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小仓藩士三浦源右卫门平政为共精通了十八个流派。他将这些流派的奥义融合,创立了辑合流,并以此授徒。但他始终困惑于“如果以各流派的奥义互相对决,最终都只能两败俱伤。如何突破这一极限。”。某夜其听到钟声后顿悟,将流派名称改为无眼流。
从第二代开始,无眼流分为木村源之丞景纯一系和反町传藏则荣无格一系。
木村源之丞景纯是中津人,在精通无眼流之后,成为书院番士,仕于小笠原忠基。当时,清国的船只频繁出没于丰前近海,景纯曾登上清船,通过笔谈与船员沟通,积极参与海上事务。后来他成为将军的近习番,负责护卫工作。
反町传藏则荣无格则是安倍摄津守的家臣。千叶周作在《剑法秘诀》中记述,反町无格通过盲人过独木桥而有所领悟,并自称为无眼流,但实际上该流派的开祖是三浦。而且这个“丸桥”的故事也在网页链接、心形刀流中有所流传,因此有周作误记的可能。
《剑术论》便是反町传藏则荣无格的弟子,无眼流第三代大束满兵卫良兴所著。
而本书则是运筹流第二代木村久甫对其的读书笔记。中内容上不仅有良兴的剑术论原文,还加入了久甫的评论与后记。木村久甫曾学习无比无敌流并在获得印可,后学习运筹流。
而笔者仅选取了上卷进行了整理分享,因其卷皆是关于阴阳、天狗、密教等内容,实与笔者意愿相背。
大束満兵衛 良興
三浦氏平政為は、武江の産也。小笠原家に給仕せり。幼弱より剣術を嗜む。尤も其器にして、十四歳の頃より三十余歳に至りて、凡十八師の流を汲で悉く蘊奥を極め、一流も免許せずと云事なし。既に東軍·一刀の二流を翫ぶ時、古今に秀たるを以て、諸士此業に志して門下に立つ人、漸三千に及べり。然れども、自らいまだ足れりとせず。其故如何となれば、十八箇流の中に、其次なるものを削去り、善ものを撰んで、彼極意と此極意と打合すれば、悉く相打になるの理を決せり。粤に於て歎て曰、此病を免れん事如何ぞや。一日閑眠に就く、時に花鯨の一声を聞て睡覚たり。忽ち悟道発明して、身体自在を得るが如し。即一時の微妙を得て、初て流義を改め、無眼流と号く。凡そ三術あり、体術·気術·剣術也。謂ありて多人に不教、故に世に弘まらず。適々二三子ありて是を伝授す。所謂、林氏·藤田氏·反町氏等也。然ふして一士相伝の奥旨有て、予が師範反町氏則栄、此大事を伝へたり。悉く他流と齟齬す。予不肖といへども、是を受伝ふ。今門人の請にまかせて、師伝の法則に自己の管見を附して、猥に書に筆す。敢て熟達の士の関見に備るに非ず。然といへども識者ありて、予が心を助てあやまれるを訂し闕たるを補はゞ、庶幾ば未鍊の人の助けともならん事迄と云爾。
三浦氏平政为,出生于武江(即江户)。曾侍奉于小笠原家。自幼便嗜好剑术,天资极佳,自十四岁起至三十余岁之间,遍习十八位师傅的流派,尽得其奥义,据说无一流未获印可。当他研习东军流与一刀流这两派时,其技艺已为古今罕见之杰,故而众多志于剑术的武士皆投于其门下,弟子人数渐达三千人之多。然而,他自己仍不自满。因为在十八个流派中,他去其糟粕取其精华,将彼此的极意加以对照、融合,以求探明其中原理,发现即便是极意之间打合也可能出现相打。他因此感叹:“如何能避免如此呢?”有一天,他在睡觉时被寺庙的梵钟一声钟鸣惊醒,顿时大悟。遂于一念之间体得微妙之理,便改变最初的流仪,称之为“无眼流”。此流大致有三技:体术、气术、剑术。因为不广泛传授,故未广为流传。仅有寥寥几人得其真传,如林氏、藤田氏、反町氏等。在这当中,有一人得其秘传的精髓,即我的老师反町则荣氏,正是他将这门重要的道统传授于我。其理念与其他流派多有不合之处。虽我不才,然得此传承。今因门人所请,依照师传之法则,附以自己的浅见,粗略记录于书。其并不是供熟练之士参阅的。尽管如此,倘若有识者能予以补正,助我改正错谬、弥补缺漏,或许尚能成为未熟之人的一点助益。谨此而已。
寛保癸亥閏四月望
恁麼斎 橘良興
剛臆を論ずる 第一
夫れ人に剛臆ある事は、胆腑の所為にして、胆大に健実なる人は剛也。胆小さく虚弱なる人は臆なるよし、古人の論じ置り。又馬は五腑にして胆なし、故に能く物に驚易しといへり。又鼠は胆小く虚弱にして、若殺されんとする時は、忽潰て其形を失ふともいへり。何にも大ならん事を欲すれども、各生質て有事なれば、是非に及ばず。然れども、又爰に一つ勉て剛を求る術あり。是呼吸の路を開にあり。呼吸の路塞る時は臆す。能開く時は剛也。人寝たる時、手を胸に当れば、必ず 魘もの也。其夢の中の心甚だ臆せり。目覚ぬれば、敢て怖き事に非ず。是呼吸の所為のみ。是を俗にいへるは、大指は邪気の入所と。故に大指を痛程嚙て寝れば魘れずといへり。是は大指を強嚙て痛みを覚ゆる故に、兼て此指を胸の上に安んじ置かず。故に魘れず。又衣類の胸に懸たるには魘れずして、手を置たるに魘るゝ所以は、衣類は器にして、身の上に覆ふといへども、自ら透所ありて、厳密に気をとどめ呼吸の路を塞ぐほどの事は非ず。此故に衣類には魘れず。又梁の下に臥ても、魘るゝと云は一向謂なき事也。若梁の下に臥て、必魘るゝ人は、誠に生得の臆病神にひかされて、兼て心懸りに思ふ故の思夢也。若それある事ならば、棟木も有べし、椽、天井の縁、二階の根太、悉く怖れあらん。梁に限るべからず。梁は猫·鼠·毒虫の類も渡るべしと思ふより、女子童部の気味悪しく思ひ、我心にて我心を劫す事、論ずるに足らず。胸に手を置き寝入たる時、呼吸の路を塞ぎ、或は鬱痰肺管に滞り、或は腹合の快からざるに乗じて、痞積の類にふさがれてをそはれん事は、勇剛の人も遁べからす。去によつて予が流儀には、呼吸の路を能く開く術を以て、第一の関とす。
人的“刚臆”是由胆所为。古人说:胆大而健实之人为“刚”,胆小而虚弱之人为“臆”。此外又有说法称,马有五腑而无胆,故容易受惊。老鼠的胆也小且虚弱,据说若要将其杀害时,便会惊吓至极,形体失常。人虽都希望变得强大,但因生来禀赋不同无法强求。然而在这里,仍有一法可供修习以求“刚”,便是畅通呼吸之路。若呼吸之路被阻,就会胆怯;若能畅通,则自然生“刚”。人熟睡时,若手放在胸前,必会出现噩梦,梦中之心甚为胆怯。但醒来后却没什么可怕的,这只是因呼吸受阻所致。俗话说,大拇指是邪气入体之所。所以民间有说,睡觉前咬痛大拇指就不会做噩梦。此说虽俗,但其实是因为咬痛大拇指会产生疼痛感,人就不会将大拇指放在胸口上,因此不会压迫胸部,呼吸顺畅,也就不会做噩梦了。此外,有衣物挂在胸前不会做噩梦,但手放在胸口却会做噩梦。因为衣物虽覆盖身体,但为器物,仍有空气流通,不至于完全阻塞气息;而手却是实在之物,紧贴胸口会妨碍呼吸,故而做噩梦。又有说法称,睡在屋梁下会做噩梦,这种说法是毫无根据的。若真的有人在梁下必定做噩梦,那完全是因为其天生多疑胆怯,总是心存疑虑,才做此类梦。如果此理成立,那连屋顶的椽木、天花板、二楼地板之类也都应令人心生恐惧才是,岂能只责怪屋梁?所谓梁上有猫、鼠、毒虫出没,女子与孩童因而心生不安,自我恐吓,实不足论。当人睡觉时,若手放胸口,会阻塞呼吸通道,或痰郁结于肺,或腹中不适发作,被痞积(传统医学认为为情志郁结所致的积滞成病,后文略)所阻,哪怕是勇敢刚强之人,也难免做噩梦。因此,本流将畅通呼吸之路作为最重要的基本功加以修习。
評曰、呼吸開く時は、気内外一貫に通じ、盈て活し、呼吸塞る時は、気隔たり、体中虚して、心乏しく、臆病生ずる道理也。
评曰:当呼吸畅通时,内外之气得以贯通,充盈而生机勃发;当呼吸受阻时,气息隔断,体内空虚,精神困乏,因而生出怯懦之心,这是自然的道理。
〇世俗、命を惜まず一途に進む者をのみ剛と思ひ、命を惜みて少の変にも遠く遁去者を臆と思へり。凡そ剛と云は、如何なる大変にも能く心をしずめ、其事の趣意を辨察し、損益利害を取そこなはず、我道を失はず、死すべきに死し、生べきに生る、是剛也。臆と云は遁れまじき場をも辨へず、ひたすら奔走し、死すまじき場をも周章して、最早叶はぬ所よと思ひ迷て、無敢犬死する類、是臆也。喩へば火災などの折から、いまだ火遠くして、家財取退らるべきに、先らろたへをそれて、手と身からにて、遙に迯行も臆病也。又火急にして四方に迫りたるに、見切もなく家財雑具に慾心を発し、焼死も又臆病也。是は欲に迷て命を失ふにより、臆病にはあらぬやうなれども、それほど貪欲なる人、曷そ命を惜ざらんや。大切なる命を家財に取易るは、全くうろたへたる所疑なし。都て変に逢て思慮
なきは、あわてるゆへの事なれば、是則臆病より出る事明なり。
〇世人往往误以为,那些不惜生命、一味向前冲的人就是“刚”,而那些珍惜生命,稍遇变故便远远逃避的人就是“臆”。但所谓“刚”,是指无论遇到多么重大的变故,都能镇定心神,分辨事情的本质,权衡利害得失而不出差错,不迷失自己的本分与方向;该死则死,该生则生,这才是真正的“刚”。而“臆”,则是指面对无法逃脱的局面却看不清楚状况,只知一味逃跑;明明并非必死之地,却慌张失措,自以为已无生机,迷乱心神,结果白白送命,这就是“臆”。比如在火灾时,火势尚远、尚有时间搬运家财,却惊慌失措空着双手逃到远处,这是“臆”;反过来,当大火急迫、四面逼近,却又舍不得家财,贪心不舍而被烧死,这也是“臆”。虽说后者看似因为贪心才丧命,不像是胆怯,但其实一个如此贪恋财物的人,又怎么可能不惜性命呢?把宝贵的性命和家财等价交换,显然是一种慌乱无措的行为,毫无疑问是内心动摇所致。总而言之,遇事若不经思考而仓皇失措,这正是由“臆”而生,其本质一目了然。
勝負を論ずる 第二
諸家兵法、皆よく勝敗を云ふ。予が流儀には勝負を論ぜず。勝ものは必負る事なくて叶はず。勝負を争ふは、小人の業なり。殊更、敵の虚を窺て勝事、俗に云ふ曲尺合の勝、透間を打といふものにて、甚拙き術也。此事をば、井澤が編める武士訓と云ふ書にも誹し置けり。若此曲尺合が少違へば、大負になる也。我先師是を戒て曰、勝事なかれ、唯己を明にせよと。深ひかな、己を明にする時は、天より勝しむ。
诸家兵法,皆擅长谈论胜败。然而我之流派并不论胜负。取胜者也无法永远不败,执着于胜负之争,是小人的行为。尤其是专门窥视敌人破绽以图取胜,这种世俗所称的“曲尺合之胜”即对破绽进行打击的事情,实在是一种非常拙劣的技术。对此,井泽蟠龙子长秀所撰的《武士训》一书中亦有所讥讽。倘若“曲尺合”稍有误差,便会招致大败。先师常以此为戒曰:“切莫贪胜,唯当明晰自身。”此言至深:当一个人能真正明晰自身之时,胜负之事自然由天所定,胜也随之而来。
真の勝と云は、木の土に克、土の水に克、水の火に克、火の金に克、金の木に克つがごとき、是則天より勝しむるもの也。しかも又、天心ありて然らしむるには非ず。自然の理、是を勝しむ。
所谓真正的胜,就如同木克土、土克水、水克火、火克金、金克木这般,这是天给予的胜利。这并非是天意有心如此安排,而是自然之理使然,因而得胜。
先後を論ずる 第三
諸流みな、先を取るといふ事を専とす。予が流儀、先を取らず。先を取る者には、又其先あり。先々の先、猶先々ありて、先尽る事なし。先を譲るを以て流義の教とす。我先師是を訓て曰、先後の場を望まず、勝負の域に居らずと。爰に先と云は、天に先達て、其はじめなきをぞ云ふなる。嗚呼よく諭すもの少き事を憾む。
诸多流派都以争先为根本。但本流不取先。因为凡是试图取先者,总还有比他更先的先手存在。所谓先先之先,先手之上还有更先的先,永无止境。因此,我流的教义是让先。先师教导说:“不图先后之机,不居胜负之域。”。这是一种不执着于先后、不被胜负所束缚的境界。真正的“先”应是超越天理、没有开端的“本初之先”。唉,真正能明白这番道理的人,实在太少,令人遗憾。
評曰、先を譲ると云ふ事、至て面白き味なれども、大方の人箇様に意得なば、又譲る位になり、待になりて害あらんか。唯先後の場を望まず。勝負の域に居らずといへるところ、甚深微妙の所なり。
评曰:所谓“让先”这件事,确实是极其有趣的境界。但若一般人误解其意,仅将其理解为单纯地退让,那就会变成“待”的状态,反倒招致损害。唯有真正做到不图先后之机、不居胜负之域,这一点,才是真正深邃而微妙的境界所在。
〇予若年の頃、武士訓といへる書を見侍りしが、少く剣術の大概を述たり。其語に曰、先を取と云ふは、事に非ず、機の位を云ふ也とあり。事にあらざる事は勿論なり。機の位と云といふも、先を取事を是とをぼへたる人にや。
〇我在年少的时候,曾看过一本名为《武士训》的书,其中略微讲述了剑术的大致内容。其中有一句话说:‘所谓取先,并非指争先本身,而是指把握时机。’说重点不是争先,这一点当然没错。但所谓把握时机之说,恐怕还是出自那些认为取先是正理之人的见解吧。
器を論ずる 第四
諸流に豫めこの業の名、称せらるゝ人の中にも、棒を怖るゝ者あり。是愚なる剣術と見へたり。先師三浦氏は、棒をば手取にせしなり。先生反町氏も又然り。予其流を汲を以て、大略棒の利ある事を知らず。凡て棒をむつかしきものに思ふ人は、第一武具の用を知らざる人と云ふベきか。棒は武器の支流にして、其用は酔狂人、乱心等の者、誰と云ふ相手も定めず、白匁を振廻し人を劫す時、何となく大勢寄て、棒を持て打ふせ、雑人等の怪我をせぬやうに取はからふベきものなれば、是足軽以下の者の役とす。中々士の懸合の勝負に用にたつ物に非ず。刀と棒と打合ては、棒は益なきものなり。棒をつかふ者は、何とぞ刀にあたらぬやうにぬけまわり、腕首を打か、胸のあたりを突べき也。面は勿論なるべし。刀持たる者が、棒にあてられぬやうにせんと思ふは、一向に下手にてこそあれ。
在诸流派中,即使是那些被称精于此技之人,也有害怕棒术的。先师三浦氏就将棒术视为基本技法,老师反町氏也是如此。因此我作为这一流派的传人,大体上认为棒术确有其用。凡是认为棒术棘手之人,可以说是根本不了解武具之用。棒是武器的支流,其用途在于应对醉汉、发狂之人等不分敌我的乱民之时。这些人胡乱挥舞骚扰众人时便需由多人持棍上前将其制服,尽量避免无辜之人受伤。这是足轻以下的人的职责,绝非士族之间比试高低时可用之器。刀与棒交锋时,棒终究是无益之物。使棒者应设法不被刀击中,反之要击打对手的手腕,或突刺其胸口为宜。面部当然也是可以攻击的。若持刀之人想着如何避免被棒击中,那便落得下乘。
評曰、前段剛臆を論ずるより、先後を論ずるまでの義、甚高し。予が願ふところなり。然るに此器を論ずる篇に至て、太刀より棒は劣りたると極たる事、不審。棒は太刀よりも長き徳あり。刀は棒よりも切るゝ徳あり。何れも利を備たれば、器物を以て論ずべからず。其人の徳に准じて、損益は分るべし。棒は匹夫下賤の道具なりとて、其利なきに非ず。刀は高士の得物なりとて、必定利あるものにも非ず。知べしへし。又棒を怖るゝ者ありと云ふ事、誠に未練の僉議なり。真剣·槍·長刀·鉄炮にも怖るゝ事なきやうの為にこそ、心気を修練し、事を試みる事なり。況や棒を怖るべきや。
评曰:前文对“刚臆”和“先后”的义理是极为高妙,这是我一向所追求的境界。然而,此关于器的论述,却断定棒不如太刀,这样武断的结论,实在令人难以信服。棒有比太刀更长的优点,太刀则有比棒更锐利的特性。两者各有其功用与长处,因此不能单凭兵器种类就妄下优劣之论。应当依据使用之人的德行来判断其效用的高低。说棒是平民下贱之人的武器,并不代表它就没有用处;说刀是高士的武器,也未必就一定有优势。对此理应深知明辨。又说有人害怕棒,这实在是缺乏修养之人的轻率议论。我们之所以要锻炼精神、磨练技艺,正是为了在面对真剑、枪、长刀、甚至铁炮这些武器时都能无所畏惧。既然如此,岂有怕棒之理?
〇鑓は、委く勝負の利を云ふ時は、刀に劣れりと意ふベし。鑓の上手と、太刀打の下手との勝負を以て定規とするは、是非に及ばず。至極の上手同士の勝負になりては、刀の方利ある事明也。是も右の棒の如く、鑓といふ物の用を知れば、猶以て能分るゝ事なり。元来鍵は、軍中に弓鉄炮を引揚て、俄に太刀打には、迭の間遠くして、仕寄に便り悪きゆへ、此時鑓を入る事考べし。太刀·長刀·棒の類にても、鑓にて打落す事も、打なやます事もなり難し。唯突とこくばかりの用也。はると云ふ事あれども、鑓にて短き物をはりて、はらるゝものに非ず。然れば甚利は少し。烈れども鑓は突手の早きものゆへ、能突けば矢にも劣らず。是故に多く鑓にて突るゝ也。早しといへども、実に矢玉の如くにはあらざる所あり。勿論遠くゆかず、人の手に持たるもの、いかほど早しといふとも、必其程といふ事あり。総じて早きゆへに、利を得たると云は、素人のいふ事にて、堪能の人は殊更に早き事を貴ばず。予も若年の頃は、いかにも事は迅速なるがよきと意得侍りし。
〇枪,如果仔细分析它在胜负中的作用,可以认为它比刀稍逊一筹。以枪法高明的人与刀术拙劣的人交手的结果来判断枪优于刀,这种做法本就无从论起,是错误的标准。若是双方皆为登峰造极的高手,则可明确看出,刀的优势更大。这一点,和前文关于棒的讨论一样,只要理解了枪这种武器的本质与用途,就能更加分明。枪在战场上的定位,是在弓箭与铁炮之后,太刀搏杀尚未展开、双方尚相隔一段距离时,为了推进剧烈而使用的。换句话说,它是为了突击敌阵而设的武器。若用太刀、长刀、或棒等兵器去对抗枪,要么被枪打落,要么陷入苦战,确实很难应对。枪的用途仅在于突刺,主要功能就是戳刺敌人。虽然也有横扫这样的技巧,但枪本身太长,不适合灵活挥舞,因此不具备太刀劈砍那样的压制力,这样一来,它的效果就有限。然而,枪的优势是突刺速度非常快,一旦能突中敌人,其威力不亚于弓箭。也正因为如此,历史上许多士兵都是被枪刺而死的。不过,即使枪再快,它也终究不如箭那种速度,因为它是由人手持操作的,再快也有其极限。总的来看,认为枪快就有利,那是外行人的说法。真正的行家反而不会特别看重快这一点。我在年轻的时候,也曾一度认为,一切武艺中速度越快越好。
此段和后一段笔者都不认同。不过在后文“评曰”中有反转。
〇薙刀は鑓よりも少し利多かるべき也。殊更直鑓に人るには、薙刀よし。凡そ鑓同士も一方入身と意得たらんには、あまり誤あるべからず。飛道具は格別、手に持ものは、次第次第に短き方が利多しと意得べきなり。
〇薙刀相比于枪,稍稍具备更多的优势。尤其是当对付持直枪者时,薙刀较为有利。大体来说,即使是两支枪对决,只要其中一方能正确把握入身之机,胜负也不会出现太大误差。远程兵器则另当别论,凡是手持的兵器,一般来说,长度越短者,其利越多,应当这样理解。
評曰、此槍、長刀の段も、前の棒、太刀の評に同じ。良興太刀はかりの利をのみ知て、余の利ある事を辨へざるに似たり。それにては、云ひ勝と云ふものになりて、論尽べからず。武器は、剣術に限りて、外の器物は皆徒事なるべきや。尤とも槍などは、長き物ゆゑ、其術至りがたく、得がたし。短き物は、其取まはし易し。仍て十人は九人まで槍不得手なるべし。されども、槍、長刀ともに、同位の立会には、槍の方勝る道理なり。如何となれば、短は長に不及。又大は小に勝の理なり。飛道具は、又槍よりも勝るゝ理也。或人曰、然らば八尺の長刀よりも二間柄の槍、又二間柄の槍よりも三間柄、四間柄然るベしと。是又論に過たり。過猶不及。刀は大概二尺五寸を法則とす。槍は大概二間柄を法則とす。皆其程、其品の徳用を知て、古人の調置しもの也。如何なる大兵強力も五尺、八尺の刀は振かたかるベし。さて又此段に飛道具は格別といひしも、最可咲。短を善といはじ、猶以て飛道具は悪かるべし。弓、鉄炮は十八九間二十間余も達する物なれば、意に是長き物なり。利あるまじや、又放で矢を注間あり。若前篇剛臆を論ずる段にいひし如き剛なる者は、死に於ては、死の道を尽すべし。さらば飛道具に怖れて、太刀を棄て降るべしや。忠戦大剛の者は、飛道具の的になりて死ぬべし。猶若己が理徳の術幸ありて、一矢を避たらば、二の矢を注間に、十間二十間走りついて、太刀にて討んこと必定なり。然れば万事器物を以て論ずること詮なきことにや。何れを以て是とし、何れを以て非とせん。予も十八歳の時より、無比無敵流を習て、二十七歳の時、免状の印可を取しが、其後今の運籌流の中位の弟子と仕合すること三箇度に及べり。然るに責て一度も勝ことならずして止ぬ。其後彼と是をかんがみるに、無比無敵流は早業を専とし、形容を正し、其外口伝且伝法のみを事とし、甚勝負に懸れり。運籌流は是に反して、例の勝負を離れ、心気の術に涉りて、初は自反慎独の義を明らめ、終には無我の本体に本づき、天理本来を自得して、有に非ず、無に非ず、有無以前を以て、自證することを本意とす。仍て無比流の師に乞て、是より運籌流堀先生の門葉となる。それより他流三四流の様を窺みるに、何れも初の無比流の類ひのみ多し。尤なるかな。人心の離れがたきは利欲也。多分は本然の理を勉ずして利を貪るもの也。理を明むる時は、自然に利を得ることを知らざるは、あさましきこと也。是によつて、鑓は太刀より善といひ、太刀よりは棒を排し、或は長刀、或は鎌、十文字、諸家混々として叫聒。唯々心気を鍊、事に試理徳の論こそ深くあらまほしけれ。総じて器にかゝはりて云時は、多く事の迫合になりて、心のさがしからんことをのみ工夫して、終に事角、知惠角となりて、論尽る期なかるべし。返す返すも心気を鍊、事を修し功積て、此輪を見破ること肝要也。然る時は、器にかゝはらず、勝負の争なく、天理の然らしむる所にて勝つ道理也。曷ぞ鑓よりも太刀の勝れたりとせん。太刀よりも鑓の宜きと云はん。彼を非とし、是れを是とするは物の至極ならざるをや。
评曰:此关于枪与薙刀的讨论,与前文对棒与太刀的评论一样,旨在指出一个核心问题,即人们往往只了解太刀的优点,而无法分辨其他兵器的妙处。这种只看一面、只论胜的心态,是无法将问题彻底看透的。难道说武器的实用性,仅仅局限于剑术,而其他兵器就是无用之物了吗?当然不是。尤其是像枪这种长兵器,因其长度,操练起来十分困难,也不容易掌握。相较之下,短兵器容易操控,因此十人之中可能有九人都不擅长使用长枪。然而如果是在“同等水平”的对决中,枪确实比刀更有利。这是因为短不如长,大胜小,是合乎道理的。飞道具则又胜于枪,这是理所当然的。有些人可能会问:如果是这样的话,那是不是说八尺的薙刀不如两间的长枪?那两间的枪又不如三间、四间的?这就又过头了,过犹不及。例如太刀的标准长度是二尺五寸,枪的标准长度是两间。这些尺寸,都是古人根据兵器的实际效用、特点制定出来的标准。如果拿五尺、八尺的刀,即便是强壮之人也难以挥动。此外,前文说“飞道具另当别论”,这话也值得深思。弓和火枪可以射达十八九间乃至二十间的距离,从用途上说是非常长的武器,自然也有其优势。但放箭与发枪之间有时间空隙,要注重把握战机。真正勇敢的人,即便是在死亡面前,也应尽其死的道义。难道说怕飞道具就要扔掉刀投降吗?忠勇而刚毅之士,哪怕死在飞道具下也无所畏惧。若是技艺高强、天资与修炼俱佳之人,能够避开第一箭,在对方准备第二箭时,立刻冲刺十几间,拔刀将其斩杀,也并非不可能。所以,若只是根据兵器本身来论优劣,是没有意义的。到底什么是“对的”,什么是“错的”?
我本人十八岁起学习无比无敌流,到二十七岁获得免状。之后,我曾与运筹流的中阶弟子比试三次,从未胜过一次。因此我思考比较两家流派的不同。无比无敌流偏重快速出招,注重形体、仪态,还有一些口传,但总的来说着眼于胜负本身。运筹流则相反,它超越胜负之论,深入心气之术。从自省慎独开始修炼,到达无我的境界,以天理本然为核心,不执于有无、超越分别心,这才是真正的本意。于是我便辞别无比无敌流的师父,拜入运筹流堀先生门下。后来观察其他三四个流派,发现大多数仍如早年所学的无比流一样。人心难舍之处,往往在于利欲。多数人只知通过修炼理来谋取实际利益。而真正明了理的人,会自然而然获得应有之利。不知这一点,实在是可悲可叹。
因此,有人说:“枪比刀好”、“刀胜于棒”,或长刀、或镰刀、或十文字等等,各家纷纷喧哗不休。可我认为:唯有专心修炼心气,实践中验证“理与德”才是最值得追求的。总的来说,只执着于兵器,就会陷入空谈,内心只是寻求胜负的计较,最终变成论术之争、智巧之辩,永无止境。因此回过头来我认为应当磨炼心气,修行实践,积累功夫,从而看破这一切论争。到那时,将不再被器物所拘,不再与人争胜负,而是依天理自然而胜。为什么非说“枪胜于刀”?为什么“刀优于枪”?否定彼、肯定此,本身就不是究竟之理。
〇都て武器にいろいろの異風を好み、をのづと流義の目印になる事あり。鑓の鎰といふも、少は異風なり。管鑓は猶以異風也。然れども少づゝの利方あるを以て、諸人是を用ゅ。尤其先哲たる人は、其事に堪能なるゆへに、是を工夫仕出し、勿論其師の秀たるを以て、流義も世上に弘まりぬれば、異風といへども、諸人用て世に行はるゝに付て、今更目にもたゝず。其外大小の拵に異風なるあり。鑓の類にして異形の物有。野太刀の類にて異形の物有り。鑓長刀の類にして、少異風なるはまだしも用ひらるベきか。野太刀などの類は、いかに利有とても常に僕にかつがせて歩行れまじ。頃或人此野太刀の様なる物を、能く手錬せし僧のあるよし、予に物語侍りしが、敢て用に立まじき物とをもふゆへに、彼僧の働をも未見侍らず。恐らくは無益の事に侍らんか。総じて器にいろいろの好物数多有て、それを混くたのみにするは悪し。必しも負にせねども、此方が利有と賞翫するに付ては、若も其道具有合ざる時は、少し心に懸りなん。是災を求るに似たり。刀の柄を柚の木、又は赤樫、或は唐木などにてするあり。又は柄を鉄にて筒の如くして、竹を細ぐ割て花生ののどごみのやうに詰て、中心をつき固たるもあり。異風の中にも取分て利悪し。刀の中心、鉄にて堅を、朴の木の柔にして、物に当りて減をぬ性の物にて包み、其上を鮫皮の堅に包み、又やはらかなる糸にて巻くといふ事は、面白き事也。何事も、古人の武功も場数も有る人々の製し置ける事は悪からず。
〇总的来说,人们对于武器,常常偏好各种异风,久而久之,这些异风便自然而然地成为流派的标志。比如枪的键(即键枪,枪杆前端有小枝,可以对对方的武器进行控制),就是一种异风。而管枪(即前手持管,枪杆从管中通过的用法)就更是异风了。然而,这些虽然形式特别,但也多少有其便利或优势之处,所以许多人也都使用它们。尤其是那些开创流派、称得上先哲的人,因为他们在武艺上造诣很高,才将这些异风之物加以研究、创造出来。而且,由于他们的老师或本人技艺卓越,流派也因此广为传播。如此一来,即使这些器具原本是异风之物,但由于广为使用,也就变得司空见惯,不再让人觉得特别了。此外,还有许多大大小小的武器制作方式也是异风。例如,在枪类中就有异形之物,在野太刀这一类中也存在异形之物。虽然在枪与长刀的范畴内,略为异风的物品还勉强能派上用场,*但像野太刀一类的超常武器,即便再怎么有利,也不可能常常背在随从身上四处走动。不久前,有人对我说起,有位僧人善于使用一种类似野太刀的特殊武器,并且反复锻炼此技。*但我并未去观其演武,因为我一开始就认为,这种武器根本派不上实际用场。恐怕它只不过是无益之物罢了。总的说来,对于器具的各种好奇与偏好数不胜数,如果过分执着、寄望于此,就不是好事。即使不负担在身上,只要心中觉得“这是利器”、欣赏它、沉迷于它,那么一旦实际战斗中不合其道,心便会产生执念与疑虑。这就如同主动在为自己招灾。例如刀柄有用柚木、也有用红橡木,或者唐木制作的。甚至还有铁质筒状在其中塞入细割的竹片,紧紧地塞进去,再将刀身插入并加以固定。这样极为异风的结构,也确实有些人使用。在各种异风之中有些特别不适合实战。
刀茎是铁制的坚硬部位,用朴木这种较软、能吸收冲击的材料包裹起来。外层再裹上坚硬的鲛皮,然后用柔韧的丝线进行缠绕。这样的结构设计,是非常巧妙的。
总之,凡是古人经历过实战、拥有战功与经验的人们所制作、遗留下来的东西,其设计都不会是无用之物。
*除了南北朝时期的武士群体之外,僧人确实好像喜欢佩野太刀,因其不需要奉公所以不用太考虑携带的问题。

这张画像是藏于奈良国立博物馆的一休宗纯像。聪明(物理)的一休
〇鎌などこそ取分て無益なれ。士の鎌を習ふベき事とも覚へず。但し何にても、其所々に有合たる道具を、取あへず用に立るとならば、是には限るべからず。総じて剣術能く手錬すれば、いかにも何様の物にても、同じ心持也。平生翫ぶ物にて、修錬の功を積て、万事に行渉をこそ、真の達人とも云ふべけれ。孔子も一を以て貫けりと仰られしぞかし。聖人の如くにこそなからめ、小芸底の事曷ぞ難からん。
〇镰一类可说是特别无益的。士人学习镰这类武器,总觉得不太应当。但若是在特定的场所,刚好有这样的器具可用,不得不用它来自卫,那么也不能一概否定。总的来说,如果剑术修炼得法,无论使用什么样的武器,心法都是相通的。若是以平时所熟悉的器具,累积修炼的功夫,并能灵活应对万事,这才可以称得上是真正的达人。孔子也说‘以一贯之’。虽不能如圣人那样彻底,但像这种小技层次的事情,又有何难?
評曰、此篇、皆々面白し。併剣術修錬すれば、何様の物にても同じ心持也と。是予が云所の万物一理也。然らば剣術に限ベからず。何にても一芸に徹せば、其余は理を推て知べし。事は勉で得べき事也。是器物を以て論ずべからざる謂也。但し剣術を修錬すれば、万器に理通達し、万器を修錬しては、剣術に通達なりがたしといはゞ、敢て称美ならず。
评曰:此篇的内容都非常有趣。其中提到“若修炼剑术,无论使用什么样的器具,心法都是一样的”,这正是我所说的“万物一理”之意。若如此,那就不应将其局限于剑术。凡事只要专精一艺,其余之理便可以由此推知。事情都是可以通过勤勉获得的,这便是所谓不可只凭器物来评判的道理。但若说“只要修炼剑术,便能通达一切器具之理;而若先从万种器具入手,却难以通达剑术”,如此说法,则并不可称道。
〇刀は古身にて、新身のやうに見ゆるは至極善し。新身にて古身のやうなる、又はたいはい能して、恰好より軽きは、地鉄の鍛甲斐なきゆへ、宜しからず。樋搔は中心まで搔捨たるがよし。堅き物に当りて折れず。鎺元にてきつかりと搔留たるは悪し。凡て樋搔は、切たる時音高しとぞ。短き脇指は、いかにも切先を能吟味すべき事、勿論也。小脇指は必菖蒲作り、又は冠落、長刀作りなど多し。突て通らぬもの也。いかにも横手慥に有て、三つ頭の能立たるが能通る物也。古身の脇指に三つ頭なきは、乱世には首搔の為に指添る物にて、突べき為にてはなきとみへたり。又新身の刀、いかにも能出来たるがよし。一二度胴に懸て、切れの鈍を捨べからず。度々切るか、又は砥数にあたりて、後に能切れ出る物也。軍中へは刃厚なるを用ゆべしとぞ。奇麗に切るは大方刃薄なる道具にあり。予が若年の頃、或老人の語しは、常には少し手に余る程の重き刀も、人と戦ふ時は格別軽く覚る也。常に手に合たると思ふ軽きは、まさかの時は手弱くて、若打合たらば折もやせんと思ふやうにて、心細き物也。必手軽き刀指たまふなと教侍りし。此人は度々事にも逢しやうに聞伝し人なり。予もさる事有べしと思ひて、過し頃までは、新身のいかにも重き刀を好侍りしが、案ずるに、常々重き刀を、戦ふ時卒に軽しと思ふは、余程とりのぼせたるにてこそ有べけれ。其気にては勝負の程覚束なし。如何にも手ごろなるがよし。さりとて余りにすかしたるは何にか為ん。
〇刀若是旧刀却能显得像新刀一样这是好的。若是新刀却像旧刀,或外观虽然好看但手感比预期轻,那多半是地铁锻炼不够的缘故,这不好。刀上的樋应该一直通到刀茎为好。如此遇到硬物时不易折断。若在镞元附近就收止不凿,则不好。大致上有樋的刀在斩击时声音会较高。短脇指,尤其是小脇指,一定要仔细端详其切先,这是理所当然的。小脇指一般多为菖蒲造、冠落造或薙刀造等形式。这些形制在突刺时不容易刺穿。一定要选择有清晰横手筋与“三つ头”(即小镐、横手和镐交汇的点)结构的脇指,才是能刺穿物体的刀。(笔者早年间看到过一篇部落格的文章,但是年代有些久远了记不太清也不确定其数据是否严谨。其内容是整理了新选组损坏的刀的数据,其中“釯子折れた”占很大一部分。这一方面说明新选组的剑术使用突刺的比例可能占比更多。另一方面证明突刺真的很吃切先结构强度。)旧时乱世中常见一些没有“三つ头”的脇指,多半是用于砍人头时使用的,看来并不是为了用来突刺的。新作的刀中,制作特别好的为上品。新刀不可因为一两次砍人体刀钝了就弃之不用。要经过多次斩切,多次研磨,才能表现出真正的锋利。在战场上应使用刃厚的刀。反之,要切得漂亮,则通常是刃薄的刀。(现在的很多试斩便是如此,看来是老传统了)我年轻时听一位老者说,平时稍嫌沉重的刀,在战斗时反而会感觉异常轻便;而平时感觉轻巧称手的刀,在生死关头反而会让人觉得无力,甚至担心一碰就折,心中不安。因此他教导我:千万别佩戴太轻的刀。这位老者据说是经历过多次实战的前辈。我起初深信此说,直到近年为止,都偏好那些又新又重的刀。但现在一想,平时用惯重刀,在战斗时突然觉得轻了,那恐怕是“过度兴奋、冲昏了头”。若是那般情绪,便会胜负未卜。所以最适合的刀,还是“手感恰到好处”的为佳。但过于轻浮的刀,又能做什么用呢?
这里笔者也稍微有点体会,相信早年的多数大陆的日系武道练习者可能也有类似的经历。第一支刀一般都是龙泉作,其实用下来也没觉得有什么不便,就一直练啊练。等后来用日本的模拟刀以及摸过真剑之后才感叹于以前简直就像在用斧头。但偶尔再回头用龙泉作感觉其实也还好,这种体验还挺微妙的,感觉也不是什么坏事。
勇を養ふ 第五
威有て猛からずと云ふは、則勇者の形容なり。人はいふに及ばず、犬馬などの類も、人にをだしからざるは、皆己れが臆病より出る事也。臆病なる者、必人を悪む。不仁なる人に勇者はすくなし。仁者は必勇あり。勇者は必しも仁ならずとあれば、仁心なる時、勇気其中に具る。敵と立向ひたる時、敵を悪む心勿れ。敵を憐む心を用よと、先師教置けり。予不肖にして及びがたしといへども、夜行に獣を以て試る事あり、獣は能人の気を知る。我彼を悪むなければ、彼も又我に敵する心なし。我彼を怖るゝ心なければ、彼又我を侮らず。若くは是近からんか。老子にも、慈なるゆへに能勇ありと見へたり。つとめて勇を求るは、我彼を拉の術也。仁にして勇あるは、自然の勇にして、天下に敵なしといふべき也。
所谓“有威而不猛”,正是勇者的写照。无论是人还是狗马等动物,若不能将其压制,其根源皆在于自身的臆病。臆病之人,必会憎恶。不仁之人,极少是勇者。有仁之人,一定具备勇气;但有勇气之人,不一定就有仁心。因此当心中怀有仁心时,勇气也会随之而生。在面对敌人之时,切不可怀有憎恨之心,应以怜悯之心对待敌人。这是我师父曾经教诲过的。虽然我本人愚钝不才,难以做到这一点,但也曾在夜间行路时,以野兽试验此理。野兽极能察知人的气息。若我心中不存憎恶之意,对方也不会生敌意;若我心中无惧,对方也不会轻视我。这或许是相近的道理吧。《老子》亦曰:“因慈故能勇”,看起来也是此意。刻意追求勇气者,不过是斗争技巧罢了。而具有仁德而又具勇气者,其勇气为自然天成,可称为天下无敌。
关于这点相信驯养过动物的人应该都能感受得到。不管是马匹、鸟类,还是猫狗甚至是人都可以通过情绪进行简单的互动。而这方面在武道上的体现,笔者这里有一点个人的拙见。
当笔者还是初学者面对前辈时,对方无论身构、足捌、体捌、太刀筋等笔者都看不出任何破绽,因此变得无从出手,要么明知没有机会贸然出手企图创造机会反而被对方抓住破绽;要么只好被动防守企图等待对方露出破绽反而将主导权拱手相让。实际上这便是被对方的“气”所压制、调动了。因此所谓“气”也好“意”也罢,其先决条件是其本身的“势”足够完备,这本应是自然而然的,或水平到达一定高度的时候稍加引导便可的事情。而笔者所接触到的环境里,日系武道群体中很多从一开始便反复对初学者强调“气”、“引导”、“无我”一类的概念,这只会增加其疑惑,因为水平不够是不可能真正理解的,反而容易误入歧途,疏于对“技”层面的修行,甚至变成魔怔人整天和人辨经;而hema或兵击的群体中则更多专注于“技”本身,少有类似日系武道中“口传”类的内容,以至于达到一定水平之后只能堆训练纯度,实力提升也变得很缓慢。在后文中也有评论此类行为的内容。
但无论是上文中所说的“天下无敌”的境界还是它流所谓的“与敌人、与世界融为一体,无我而无敌”之类的说法,也许是因笔者的水平不够,既领会不到,也未见到过任何一个至此境界之人。笔者与后辈稽古时,即使可以以“气”而攻时,也无法保证完全不被击中;同样的笔者与前辈稽古时,即使被其所引导时,也总有那么几次可以击中前辈或是相打。虽然胜负很容易判定,但没人能保证绝对的全身而退,这又怎么能称之为“无敌”呢?
〇或人、鍛冶の何某とかやに、正宗の刀は能切る物にやと問侍りしが、彼鍛冶答て曰、大様よく切るを以て鍛冶は上手の名あり。正宗ひとり切る事を貴ばず。唯敵なからん事を欲す。此故に正宗の刀にて、人と戦ふたる例の候はずとまふしき。問ける人甚感じ侍りぬ。正宗の刀にて戦ふたる人、未だこれなきにや、考ふべし。
〇某人曾向一位锻冶匠某某询问说:“正宗的刀真的锋利吗?”那位锻冶匠回答说:“通常所锻之刀因锋利而称其刀匠为高手。但正宗并不单纯以刀是否锋利为主。他所追求的,是‘世间无战、无敌’的境界。因此,据说用正宗所铸之刀与人交战的例子从未有过。”听者听后,感触颇深。
是否确实没有用正宗之刀参与战斗的人存在呢?值得思考。
〇同書に世俗剣術者を讚て云ふには、蝶鳥などの如く飛せたりなど云は拙し。蝶鳥の如く敵を飛せたりといはじ佳也と記せり。此事いかにもよし。其外、我寂然不動の体に行あらば、自然と碎去べしと云へり。面白し。然れども此寂然不動の体、能く熟得せるにや。都て彼書の中、愚意に叶ざる所多ければ、此寂然不動も、少不審くこそ。
〇在同一本书中,有一段赞扬世俗剑术家的话:“像蝴蝶、飞鸟那样飞跃击敌,实为拙劣之技。若能做到使敌如蝶鸟般飞散,才称得上高明”书中如此记载。此说法,实在很好。此外还写道:“若我能安然静立不动,其敌自然便会溃散。”这一点也颇为有趣。然而,所谓“寂然不动”的姿态,是否真正熟练掌握,令人怀疑。总的来说,该书中多有不合我个人浅见之处,因此,对于这“寂然不动”的说法,也稍感疑惑。
評曰、寂然不動の事、誠にいぶかし。文字言語にては、其徳見えず。其人を見たき事也。
评曰:所谓“寂然不动”之事,实在令人怀疑。仅凭文字与语言,是看不出其中的境界的。真想亲眼见一见那样的人啊。
如笔者上文所说之拙见。当水平差距足够,同时能领会到以“气”而攻这一点。那“寂然不动”便是自然而然的。因为已经占据了“先”,外在并不重要了,想寂然不动就可以寂然不动,想要猛烈进攻也可以猛烈进攻。
〇我先師の教方、甚だ深切なり。門弟子をして皆、藍より出て藍よりも青からしめんと欲す。古へより、一流一派の祖と称せらるゝ人、皆尖出せる人々也。然れども、其人人の意々にて、或は己に神妙を得たりといへども、其深き意味を秘して人に教へず。豫め形容をよきに習して、是を流義の刀法とし、或は己自然と器用にして、名人の体備るといへども、いまだ理に貫通せずして、言に尽す事を得ず。或は又、何となく其身に仕得たる事ありて、明ても暮ても、其刀法をのみ手錬し、人にも夫を教へ、是を流義とするもあり。我先師発明の一流、初発に教る刀法は、十八箇流の極意の刀法を用る也。夫よりして次第に形容を習しむ。譬ば如此すれば心能をさまる、如此すれば気能盈る、如此すれば呼吸能開くといふ。何れも皆形容を以て、小児を教るがごとく習しむるに、毛頭も違ふ事なし。
〇我先师的教导方法,极为深切周到。他希望让弟子们皆能“青出于蓝而胜于蓝”。自古以来,被称为一派一流之祖的人,都是那些才华出众的人。然而,这些人因个人意志不同,有的虽自觉已得神妙之境,却将其中深意秘而不传;或是预先学得优美的词句,以这些为流派的形命名;或者凭自身天资之巧,表现得如名家高手,却尚未真正贯通剑理,无法以言语完全表达出来。还有些人,不知为何通过自身体悟获得一法,便从早到晚专练此一刀,并传授他人,遂使其成为该流派的正统。我先师所开创的这一流派,在最初的教学中,即采用十八个流派的奥义刀法。由此开始,逐步让学生学习各种招式形式。比如:“如此做,能安定心神”、“如此做,能充盈气息”、“如此做,能畅通呼吸”等等。所有这些都是辅助教学,如同教导孩童一般,一步步传授,没有丝毫偏差。
評曰、此篇先師の教方至て深切、感入する所也。此段にいへる如く、流義によりては刀法をのみ大事に移して、初心より刀法を一手二手と惜み教にして、或は表の刀法五六本を一箇年程に漸く済し、其より中段の刀法何本、是亦一箇年余り教へ、さて裏の刀法などいひて、又二三年に習はせ、是より奥の刀法に懸り、数多の習事有て、一二年も教へ、夫より魔利支天の護法、昆沙門天の護法、九字·十字などの伝法有て、以上十箇年二十箇年かゝり、爰にて免状にて仕廻を付る流も有事也。されども是は何れも色想にして、誰も受取る事也。無眼先師の如きは、其器量凡を離れ、種々の習ひ、且極りたる刀法は、反て霊明を塞く基也と看破て、直道に正理自得の導のみ。親疎の私なく、唯々門弟子の、師よりも勝るやうにあれかしと、日夜·朝暮、我胸を押開て、手を以て引が如くする事也。是藍より出て藍よりも青からしめんの意趣なり。誠に、此評を書ながら、予も涕淚を催す也。難有事也。然れども箇様に白地に教る事は、其器·其徳厚からざれば成し難し。仍て刀法を幾等も拵置て、形の如く唯々極りたる通りの刀法を教へ、其外例の妖しき事ども、又は祈禱山伏の真似、或は医師の真似などを取つけて、色々習口伝と号し、同門にも秘して、奇妙不思議の事に取はやするもあり。箇様の流義は習ひ終て全く益なき事にや。心気を錬り、事に通達せしめ、正理門の導は藍よりも猶青からしめんとしてさヘ、受け取がたく止む者多きをや。但初心の人は余り白地に教ふれば、心裏に徹せず、反て信ぜぬもの也。彼相図仕形の兵法も、奥ゆかしげに教へかくる時は何とやらん奥深く思ひて、情に入て習ふものなれば、是も用にたゝぬ事ながら、外の悪遊するにはまさるべし。同くは此類の剣術は習はぬ方がよし。然れども、初心より芸の目利もならぬもの也。素人は、猶更誰殿こそ数代剣術の家ぞ、名人ぞと、人のいふに付、志の人の弟子となる事は、其人の不幸と云ふものなり。
评曰:此篇所述先师的教导方法,实在深切感人,使人由衷感动。如前段所言,有些流派将形视为至高无上的传授对象,从初学起,惜教每一招一式。比如表面上的形五六本,就要花上一年左右才教完,然后再教中阶形若干,又需一年多时间;之后传授所谓的“里之形”,再耗上两三年;接着才开始“奥义”的部分,有无数训练项目,也要一两年才能完成。之后还会传授如“摩利支天护法”、“毘沙门天护法”、“九字法”、“十字法”等秘法。如此种种,常需十年、二十年才授予“免状”作为终结,也确有如此运行的流派存在。但这些基本都是外在的东西,是人皆可接受之事。而无眼流先师则不同。他器识超凡,看破种种技艺与定式。如果执着于形的传习,反而成为遮蔽灵明的根源。他摒弃繁杂,仅以“正道”与“正理自得”为引导,不分亲疏,不存私心,唯愿弟子人人超过师父。他每日从早到晚,倾心倾力地引导弟子,如同亲手拨开弟子心中的迷雾,引其向前。这正是“青出于蓝而胜于蓝”的真义。我在写下这段评语之时,亦不禁潸然泪下。诚为难得之事。但要想以如此坦诚方式教导,若非器识宏大、德行深厚之人,是无法做到的。于是许多流派不得不编出许多形,依形传授,外加各种妖异之术,如祈祷、山中修行、甚至模仿医生的行为,将这些称为口传,还对同门讳莫如深,故意神秘化,搞得如同奇妙玄奥般。然而,这样的流派,学完之后毫无益处可言。正理之道应锻炼心气,通达事理,教导之目的在于使弟子青出于蓝。即便如此,仍有很多人难以真正接受,只能半途而废。因为初学者若一开始就被如此坦诚的教学,常常不能彻悟其内在意义,反而不愿相信。比如那些注重形的兵法,如果以神秘的方式教授,看起来若隐若现、耐人寻味,反而容易打动人心,使人投入学习。虽然这些东西无实用价值,但至少也比沉溺于其他恶习要好一些。然而从根本上说,不如一开始就不学这类剑术。但问题在于初学者本身就缺乏辨别技艺高低的眼力。更不用说完全的外行了,往往只因为“那位老师是某家流派的某代传人”、“是名人啊”之类的传言,就稀里糊涂地拜入门下,这样的选择,只能说是此人之不幸。
直心影流的传书内容中也有关于批判外他诸流的“切组兵法、所作兵法、构胜兵法、理兵法、系图兵法”等弊端的内容;以及无住心剑流直接统称其为“畜生兵法”。与此文吐槽互相印证了属于是。
〇高き事のみ辨論して、事を次にする人多し。俗に云ふ、口兵法也。師たる人も、理を高く説て、事の精き所を不教。門人事鈍にて、物に応ずる事速ならざれば、工夫せよとてつきはなす。委き事を教ざる証拠は、其口伝を聞に、意味深長にして、極則とするに足れり。さらばとて、仕合をすれば一つも間に合はず、口と手と大きに違ふ。我党の諸士、当流を習ふ事、一年或は一年半、久しといへども、二年に満ざる修行の人、彼類の流義を五年、七年、乃至十年、廿年の修行にて、免許印可を受たる人と立会て、我門の人、負たる事いまだこれなし、多くの人の知たる所なり。宜なるかな、彼類の人は、皆勝ん事を欲す。我党の士は、天の免す所を勝つ。焉んぞ勝ざるべけんや。
〇有很多人只辨论高深的道理,却把实际操作放在次要位置。俗话说,这就是“口兵法”。有些作为师傅的人也是这样,只讲高深的“理”,却不教实际操作中的精妙之处。当弟子在实际操作上迟钝、不能迅速应对事物时,就一推了之,说“你自己去琢磨吧”。其没有教授细节,就是当你听他们所谓的“口传”时,会发现说得似乎意味深长,却根本不足以作为操作的准则。可一旦真的对敌比试时,却完全应对不上,嘴上说的和手上做的完全不一样。而我们这一派的诸位门人,只要学了一年,或长一点一年半,即便学得最久也不超过两年。即使与那些学了五年、七年,甚至十年、二十年才获得“免许”、“印可”的他派门人对战,我们这一门的弟子从未败过,这是许多人都知道的事实。这是理所当然的,那些人都只为求胜。而我们这一派的人追求的是“天所赋予的胜”。又怎可能会输呢?
評曰、此篇面白し。事理は車の両輪の如く、其一つを闕時は、行く事ならず。学士能く此篇を監るべし。高き事を聞き、適事も其理に合といふとも、是は其時、師の引立によりて、暫く事理整ふもの也。此時最早悟道したりと意得て、稽古を怠る人多し。是を軽薄の人といふ也。時過、頃去て、意味に堕るゆえ、又其徳隠るゝもの也。依て其妙なる所に至りては、猶々修行忽にすべからざる物なり。然る時は次第次第に篤く心に味ふべし。物は正理の糟糠なり。高き事は辨論するが猶よし。又此篇仕合の事を述たり。前に評するごときの刀法仕立の類の剣術者との仕合ならば、さもあるべし。少し広言に似たり。事理一致の剣術者あらば如何。
评曰:此篇颇为有趣。事与理,如同车子的两只轮子,缺少任何一只,都无法前行。学者应当好好参照此篇。有的人听了高妙的道理,哪怕在实际操作中一时也能合乎那个理,但那只是因为当时得到了老师的引导,才在那一刻事与理暂时相合。然而很多人一旦有此感应,就误以为自己已经悟道,便开始怠慢修行。这样的人,就叫做轻薄之人。等时间过去、情境改变,就会堕回原来的不明状态,那个德也随之隐去。因此,越是接近妙理之境,越不能懈怠修行。当如此,方能一步步深刻地在内心品味其精妙之处。所谓“物”是“正理”之下的糟糠。而高妙之“理”只可用来讨论。此外,此篇还谈到了仕合之事。若是如前文所评的那种以形堆砌的流派之人,那获胜是理所当然的。不过,其中似乎稍带夸张之语。如果对方也是事理一致的剑术家,那又会怎样呢?
〇武士訓に、諸芸皆無我にして習ふベし。唯々剣術は、有我なるがごとくすべしといへり。此条、愚意に快からず。此条は容易に説がたし。併初学の人の惑ん事を恐る。
〇《武士训》中说:“诸般技艺,皆应以无我之心来学习;唯独剑术,应如同有我一般。”对此条,我心中颇不快。此条实在不易解释,只是担心初学之人因此而迷惑。
評曰、武士訓にいへる所も、又良興の容易に説かたしと難ぜしも、意得がたき事にや。如何なる謂ならん。武士訓に有我なる如くすべしといひしを察するに、初心の時の義なるべきか。前段に評するごとく、刀法仕立にて無理なる流義あり。又理を尽す事を不得して、事ばかりの流もあり。又目録の刀法済で祈禱·咒咀·縄等の外法に誘引するあれば、先づ有我にして、其流の邪正を察せよ。邪正も不知、師と頼みぬる上は、何事も師の云事、する事を一向無我に信じて、脇道へゆくなり。此所有我にて察知し、正道と覚たる時、無我にして習ふべしといふ意か。正理の僉議は、混沌未分にして、有無以前の位なれば、誠に容易に説がたき事なるをや。先づ事理通達の剣術ならば、無我の義勿論なり。
评曰:《武士训》中所说的内容,以及良兴所说“此条不易解释”之言,确实是难以理解的事情。这究竟是什么意思呢?我揣测《武士训》中所说“应如有我一般”是指剑术初学阶段。正如前段评语中所述,有些流派以刻板的形编排为主,显得不合道理;也有些流派根本无法通达理法,只顾实用技击;更有甚者,在完成目录的学习后,反而被引向祈祷、咒术、绳之类的旁门外道。因此,初学之时应当“如有我”般持守分辨之心,察知所学流派的是正道还是邪路。若不知分辨正邪,便盲目信任所谓师者,言听计从,结果反而走上岔路。这时应当以“有我”之心进行察觉与判断;一旦确信所学为正道后,才应以“无我”的心态潜心修习。而真正的“正理”,其根本处于混沌未分、有无未判的境地,确实是极其难以言语解释的事情。如果所学是事理通达的剑术,那么“无我”的修行之义自然是毋庸置疑的。
〇武士訓に、諸芸皆無我にして習ふベし。唯々剣術は、有我なるがごとくすべしといへり。此条、愚意に快からず。此条は容易に説がたし。併し初学の人の惑ん事を恐る。
〇《武士训》中说:“诸般技艺都应以无我之心来学习,唯独剑术应如有我一般。”对此条教诲,我个人的看法是难以完全认同,内心总觉得不太痛快。这条内容,也并非可以简单解释清楚的。我担心的是初学者因此而陷入迷惑。
〇世上に、甚拙き流義もなきに非ず。必一流を立るとて、名人ばかりもなきと見へたり。古き流義にも、宜しからぬ事もまゝあり。是等も、元祖はさも有まじけれども、後々大事の所を取失ひしにや。意得ぬ事ども甚あり。さて当世武芸を習ふ人、拙き師匠を能とをもひて、随ひ学ぶ。然る程の人なれば、目の明ざるは理也。さる中にも、又利発の人ありて、師匠の下手なる事、流義の悪き事、大方見出して夢は覚ぬれども、折角精力を竭し、年月習ひ得て、目録ぞ免状ぞ、同門の中にては何某はさるつかひ手よ、功者よ、伴頭殿などいはるゝ者が、今更他流に成たらば、新参者に成ては、初心の部に入られ、人の尻に附んとも本意なし。さらばとて一と精出し、其流も彼流も悉く極意を見んとには、又いかばかりの年月を経なん、何程の気根をか砕んもはかり難し。よしや勝負は時の運也。刀法の善悪も、人と打合て見るにこそ、心気の沙汰は人の目に見ゆる物かは。何はともあれ、此分にて人に奥ゆかしく思はれんこそ花なれと思ひて、一生を誤り通す人もあり。又初より大方宜しからぬ流義也、師匠も大抵下手哉と思ひながら、此流は此館に普くもてはやり、師匠も大将の御賞翫ある人にて、何事も此人の申さるゝは、大方御許容ましますなど云ふを屑にて、はぶりに付て習ふ人あり。是等を誠に武士たる者の風上にも置くまじき、さもしき人也。彼傾城町に有なる、やり手など云ふ者の心ばへに聊違ふ事なし。是等の人は仮合器用にして、武芸人に勝れたればとも、肝要の場にては、武冥利に尽て、相手も知れぬ犬死をするか、さらずば利欲の為などに、けしからぬ悪事を仕出し、法に背きたる死をとげんてそ痛ましけれ。
〇世间并非没有极为拙劣的流派。所谓创立一个“流派”,并不都是由真正的名人所为。即便是那些古流中,也往往存在不少不合适之处。这些问题,并不一定是开山祖师本身的问题,而是后人失传了其中的重要核心罢了。有很多地方确实令人难以理解。当今时代学习武艺的人,有不少误将拙劣的师父当作高手,便跟随其学习。如此人物,自然是“眼未睁”之辈,这也不奇怪。然而,在这些人中,也有聪慧者,他们能察觉自己的老师技艺不佳,流派本身也不高明,大体已经觉醒过来了。但他们耗费了心力、精力、年岁,好不容易取得了目录或免状,在同门之中也被称作高手、能人、领头人等等。这时若再改投他流,就得从头做起,归入初学者行列,排在人后,实在是不甘心。可是,想要再接再厉、兼修各派、悉数观其极意,那又得花费多少年岁、多少心力,实在难以估量。即便比武胜负是时运使然,刀法好坏也只有交手中才能见分晓,至于“心气”的层面,更非旁人肉眼所能识别。因此,有些人干脆自我安慰:“不如就维持现状,在人前显得深不可测,也算是一种风采吧。”于是,他们就这样误了一生。也有些人从一开始就心知肚明,这个流派并不怎么样,师父也只是一般水准。但因为这流派在当地武馆或地域中非常吃香,师父也因受到藩主等大人物的喜爱而有名,于是人们便纷纷趋附,因人气和地位而投靠。这种人实在不配称为武士,简直是卑鄙之至。其心态与花街柳巷中的牵线妈妈桑毫无二致。哪怕这些人一时因天赋或勤练而技艺上稍强于他人,但一旦到了真正的关键场面、战斗或决断的生死关头,他们终究会陷于武者命运的尽头,不是因对手不明而毫无意义的战死,就是为了私利而做出不该做的恶事,最终死于违反武德之事,那才真是悲痛可叹。
〇世俗曰、辨財天を信仰する人は、利益ある程なれば、必火災にあふ、摩利支天の冥慮に叶へば貧也といへり。怪しからぬ戯言なれども、摩利支天を信仰するほどの人は、皆武芸の成就を祈るものなり。苟も武門に生れたらん人、吝欲なるは恥る所也。欲を薄くして富べき謂なし。欲深くて貧なる人はあれども、心ばへの奇麗にて富る人は稀也。予も貧にして常にくるしむ。欲も深くて、しかも貧なるは、万に一つも、彼尊天の加護にもやと、忝くも又悲くも。
〇世俗常说:信仰弁才天(佛教护法神之一,原本是印度教中的女神,被佛教吸纳,后又被神道教日本本土化)的人,由于得到利益,结果必定会遭遇火灾;而若合乎摩利支天的冥助,则会变得贫穷。这虽是荒谬的戏言,然而信仰摩利支天之人,多是祈求武艺成就者。倘若生于武门之家,心怀吝啬贪欲,实乃可耻之事。一个人若能淡泊名利,自然不会致富。世上有不少贪欲深重却依然贫困者,而品行高洁却能致富者,却极为罕见。我自己也是贫困潦倒,终日困顿,既贪欲深重又身处贫穷,不禁思忖:是否连尊贵的天神并未对我加以庇护之故,令人既感羞愧,又觉悲怆。
〇諸流に表といふ事を付て、是を足代とせり。尤も太刀の取唀、足の踏やう等を習はすベき為也といへども、後には結句害あり。至極の場の用にはたゝずして、反て邪魔になる事多し。さて太刀の数を多くして、色々の所作を教る事、甚無益の事也。畢竟、真実の士の志に非ず。卑陋なる事也。是等の刀法は、皆平日の用にたゝざるのみならず、軍用には殊更に立がたし。都て武芸には、軍用の事をかねて習ふベき事なり。
〇各流派中所称的“表”,本是作为入门的门槛而设置的。原意是为了让习武者更好的学习太刀筋、步伐等基本要领,但到了后来,反而弊害多多。到了真正的紧要关头,这些形反倒无用,甚至成为妨碍。又将刀法编得繁多,传授各种花哨的动作,这实在是极其无益之事。归根到底,这并非真正武士的志向,而是一种庸俗卑下的作风。诸如此类的刀法,不仅平日难以实际应用,更是尤其不适用于战场。总之,对于武艺而言,应当优先学习那些可用于实战的内容。
評曰、此篇尤とも好し。前々に評する如く、理に疎き剣術は、刀法を多くせざれば、弟子に久く教べき事尽るゆえに、刀法数多なる物也。総じて刀法構等にて、自を囲ふなど云ふ事咲ふベき事也。理を知らぬ構は何程能くかまへたりとも、理法を以て崩すに崩れざる事なし。刀法かまへ等は、喩へば城郭の如し。何程櫓をかけ、塀をつらね、石垣をたゝみ、堀を深くしても、肝要の大将、理に疎く愚なる時は、其城全からず。又野陳を張り、垣一重なくとも、其大将理を明らめ、仁勇なる時は、百万の大軍にても、之を破る事成かたかるべし。古へより名将或は良将の体等、諸書に見えたり。是を以て考へし。我に構あれば、敵にも構あり。我表裏あれば、敵も表裏あり。我に習ひ伝授あれば、敵にも習ひ伝授あり。此体にては、互に剣戟を争ひ、相手向にて日を暮すのみ。是に一理を明らめ、事に通貫の人あらば、切先きを合せずして、唯々一刀に埒明き侍らん。さなき時は、大勢の敵に当る事成がたし。
评曰:此篇甚好。正如之前几篇所评论的那样,那些不明理法的剑术,之所以套路繁多,不过是因为若不如此,便无法长久地教导弟子罢了。所以才会出现那么多的刀法套路。总的来说,用各种刀法、架势等自我预设的形式,实在是一件可笑的事。不通理法的架势,无论你摆得多么漂亮,也会被真正懂得理法的人所破解。这些刀法与架势,譬如城郭一般。即使你再多地修建瞭望塔、延展围墙、堆砌石垣、挖掘壕沟,如果那座城的主帅是个愚钝、不了解兵理之人,那么这城终将不保。反过来,即使只在野外陈兵布阵,甚至连一重栅栏都没有,只要主将洞明理法,兼具仁德与勇气,那么即便面对百万大军,也不易被击败。古代以来的名将、良将之风范,在诸多兵书中皆可见。这些值得深思。我若有架势可循,敌人亦然;我有攻守变化,敌人也有;我受师传而习套路,敌人亦复如是。在这样的情形下,彼此不过是互相争斗刀枪,在对峙之中消磨时日罢了。唯有在此中真正洞明“一理”,通贯实战之人,才能不必交刀互斫,可以只凭一刀而了结胜负。倘若无此“一理”之明,则无法应对众多敌人之势。
〇居合は、互に指たる同士は、居合修錬の方勝利ある事、云ふに及ばず。居合の上手と、太刀打の上手と出会て、居合の方いまだ抜かず、太刀打の方抜身持たらば、太刀打の方百に一つも負べからず。不功者は、抜身よりも居合手錬の人の刀鞘の中にあるを、甚だ怖る
によりて、知れたる事ながらこゝに記す。
〇如果是彼此皆为高手的两人对决,居合修炼得更精深的一方会占据上风,这是无需多言的。但若是居合的高手与太刀打的高手遭遇,而此时居合一方尚未拔刀,对方则已持刀出鞘,那么在一百次中,居合这一方也难有一次能获胜。那些功夫不到家的人,往往因为对居合高手“刀尚在鞘中”这件事感到莫名恐惧。因此,虽是显而易见的道理仍特地在此记下。
評曰、此段勿論の事也。しかし居合は、用にたゝぬものと意得べからず。少し稽古せざれば、短刀といふとも抜がたき物なり。是も抜どころに事の外に一理の抜口あり。総じて居合も色々の習ひ事あれども、それまで習ふに及ばぬ事か。抜口さへ達者なれば、其余は剣術の方にて済事なり。予も心陰流の居合を暫く稽古せしが、右の意得にて侍る也。抜口の事を、帯刀の者稽古せずんば有べからず。
评曰:此段所言,实无可置疑。不应否定居合的价值。若稍不加练习,即使是短刀,也难以迅速拔出。拔刀之际,也蕴含着非常重要的拔口。总体而言,居合虽有各种各样的练习内容,但其实不必全部都学习。只要拔口的技艺熟练,其余的就可以靠剑术来补足。我也曾稍微练习过心阴流的居合,正是基于上述的体会。拔刀技巧,是所有持刀者必须修炼的功夫,不能忽视。
〇武芸に限らず、何にても、年長ても、思ひ付て習へばよし。年長たるとて、人前を恥て習はざるは、大きなる僻事なり。朝に道を聞て、夕に死すとも可也とも侍り。過て改るに憚る事なかれともあるをや。
〇无论是武艺还是其他什么事情,年纪再大,只要有想法就去学习即可。年纪大了而害怕在人前感到羞耻而不学习,是非常大的偏差。朝闻道而夕死可矣。不要因为还怕改正错误。
〇近き頃、樗山子とかやいふ人の編る、天狗芸術論を見侍りしが、心気をおさむる術を云所に、仰向に寝て、しかじがする事を述たり。是を修し覚て、又坐してしかじがする事、修行の日数を積て、変に逢ても心気動ぜず、事に応ず、事に応ずる事速なるよしを記せり。是俗に云ふ青表紙にて、迂遠なる事也。箇様にせずして、刀を持ち敵に向ひて、此術なる事あり。仰向に寝て能治りても、又起かへりては変ずる也。況んや手に剣戟を持、敵に向ふに及では、坐したる時の如くには有べからず。殊に最前あをのけに寝たる時のやうには似もつくベからず。勝負の用には立難し。身体ゆたかに静なる時は、誰も心気治り安し。強て稽古するにも及ぶべからず。敵に向ひ働く時に、能く心気治まる術を修行すべし。思按工夫にも及ばず、形容を以て仕方あり。大概彼書の趣に似たるやうにて大に異也。予若年の頃、痞積甚だ強く有しが、此術を習ひ得て、自然に消して、今は其病なし。
〇近来,我曾见过一本由名为樗山子(《网页链接》的作者,佚斎樗山,本名丹羽忠明。)的作者编纂的《天狗艺术论》,其中提到一种控制心气的方法,讲的是仰面躺着做某类动作。书中说,修炼并熟练后,坐着时也能做这个动作,经过长时间的修行,即使遇到异常情况,心气也不会动摇,反应迅速。这本书俗称“青表纸”,内容颇为迂远。但其实不必如此,持刀面对敌人时,也能达到这种境界。即便仰面躺着能够调整心气,但起来后便会变化,况且手持刀剑面对敌人时,绝不可能像坐着时那样心境稳定,更不用说像躺着那样安详。这样的状态难以用于实战。当身体安静充盈时,任何人都容易调节好心气,也无需特别强行练习。真正应修炼的是在面对敌人时,能迅速调整并安定心气的方法。这不是靠努力就能达到的,而是有一定的形态和方法。总体来看,这书的要旨看似相似,却有很大不同。我年轻时曾患有痞积,但学会了这法,自然痊愈,如今已无此病。
評曰、樗山子のいへる心気を治むる術は、強て剣術の人に斯くせよと云ふには非ず。心気滞らざれば、病不生。又応用自在なる理を述たり。是は老人·病身·或は勤繁く剣術稽古なりがたき人も、心気の修練は成べき事といふに付て、其道理を示したる物なり。良興は此段に事かましく尤たる事、気疎し。
评曰:樗山子所言的调心气之术,并非强求剑术之人皆须如此行。只要心气不滞,疾病自然不生。他所述者,乃心气可随时应变自如之理。此法适合老人、病体者,或因勤务繁忙难以专心修习剑术之人,心气的修炼亦当成行。此段论述详尽,尤显良兴对气的洞察深刻。
〇天狗論に述る所、理を説事大旨好し。彼書の末に、剣術者にあらざるを以て、芸術修行の人の為には足ざる所ある事を断れり。予は疎学にして、文章を飾りて理を説事あたはず。但し若年より習得る剣術を以て、証し得たる所の管見を述ぶ。夫れ心は我身体の主にして、重く動かざるを用とす。気は外を守りて、間断なく流行して、軽く滞らざるを用とす。此故に予が流義、心気の一つに混ずる事を厭ひ、能く気と心と分るゝ事を要す。
〇天狗论中所述的理旨甚佳。该书末尾亦明确说明,因非专为剑术者而写,对于艺术修行者而言,尚有不足之处。我学问浅陋,不擅装饰文辞以论理,唯凭年少时习得剑术所得之见解,略述一二。心是自身之主,重而不动;气则守护外界,连续流转,轻而不滞。因此,本流厌恶将心气混为一谈,强调必须明确区分气与心。
評曰、此段大概よし。併ながら心と気と分るゝ事を要すと云ふ事、さる事ながら、はつきりとして、反て見る人の心を過たんか。気の霊、是を心と云なれば、心気、大元一体なるもの也。予が流には、一切分るゝ事を嫌ふ也。敵と我とわかれず一体なる時は争なし。是を無我無敵といふ。事と理と分れざる時は、随て行ひ安し。是を事理一致と云。まして心気をや。動静の所においても、気動ずる時は心動ずる義也。心気混ずる事を嫌ひて、こなたより心気を二つに分るゝ様にする時は、気爰に滞て、心に其形ありて、霊明を塞ぐ、唯々心気濁らず、清き様にと修すべき義肝要也。然る時は、自わけずして、自然に分るゝ道理也。唯々同事ながら、分るといはず、混ぜずと云ふベしや。
评曰:此段大致不错。然而,说“必须区分心与气”,虽然是这样的道理,却可能让旁观者的心生误解。若将气之灵性称为心,则心气本为一体。我的流派,厌恶一切分离的说法。敌我不分、一体合一时无争,此即所谓无我无敌。事与理不分时,行之自如,称为事理一致。更何况心气也一样。在动静之间,气动即心动。若强行将心气分开,气便滞留,心则形成固定形态,阻碍其灵明。修炼时应保持心气不浊,清明纯净。如此,自然会不分彼此,自然分明其理。不应该说“分”不正确,而是“混”才不正确。
〇同書に、鑓の品々有事を、問を設て是を論ず。器によりて、理を異にすベき謂なしといへども、器は皆其々の用あり。用あれば、必利·不利有り。前に論ずる如く、大概刀剣鑓矛の類は、長よりも短に利多し。長を以遠を打短を以長に及すと云ば、器に泥で事理に通ぜざる也。長短一味にして、万器悉く理を同すといはゞ、理にのみ与て、事に精からざる也。事理一致せざれば、理も正理ならず。都て初学の人、事を習ふは物臭く、理を聞事は面白きものゆへに、誤る事多し。
〇同书中,对各种枪矛之类的器具提出问题并进行讨论。虽然器具本身不应因器而改变其理,但器具各自有其用途。既然有用途,自然存在利与不利。如前所述,一般来说刀剑枪矛等,短兵相比长兵更具优势。若说用长兵攻击远处、用短兵攻击近处,这种说法拘泥于器具而不通事理。若将长短视为一味,认为所有器具理应相同,则只重理论而不精于实战。事理若不一致,则理论也非正确之理。通常初学者因懒惰只学事不学理,而听道理后反而觉得有趣,因此常常产生误解。
評曰、長短の事前にも重々云へり。能々短を好る哉。短に利多しと堅く断事、是則器に泥に非や。大方前に評する所也。樗山子の云るは、器によりて理を異にすべき謂なしと、理の事を説り。良興は理利一物と意るか不審少からぬ事也。理は天に有り。利は人に有り。予が流にも万物一理とす。器に依て事と利は異べし。理は一なる物也。長より短は利有りと云も、器に泥て事理に通達せずと云ん。長短一味と云ふ義は、敵の道具と我道具を一つにする位有り。此所は言語にては述難し。自試て知べし。若し我二尺五寸の刀なれば叶ふまじや。爰に右一味の位有り。一味の位と云は、敵の太刀と我太刀と一刀にする事也。一刀にすると云事は、敵の法と我法と一如なる物也。さて又長短一味にして、万器悉理同うすと云はば、理に与で事に精からずと云より、下を察するに当世多くは理のみ高重にして事の精からざるを悪で斯云ふ成ベし。さあれば尤の事也。いづれ多分は辨口にして、事を怠る人あるもの也。
评曰:关于长短之事,前文已多次论及。实在是相当偏好短兵啊。坚决断言“短兵多有利”,这难道不是拘泥于器具了吗?大体上正如前文所评。樗山子所说的是,“不应因器而异其理”,是就“理”的层面在论述。而良兴是否把“理”与“利”视为一物,则令人颇感疑惑。理在于天,利在人为。就我流派的看法而言,万物归一理;但依据器具之不同,事与利理应有别。理是唯一的存在。即便说“短比长更有利”,若因此拘泥于器物而未能通达事理,那就不能算通达之言。所谓“长短一味”之义,乃是将敌方的兵器与我方的兵器视作一体的境地。这一点,用语言难以说明,唯有亲自试之方可得知。比如若我用的是二尺五寸的刀,那便不容易达成此境界。正是在这里,存在所谓“一味之位”。所谓“一味之位”,是指将敌之太刀与我之太刀融为“一刀”。所谓“一刀”,意指敌我之法合而为一,如此而已。再者,若有人说:“长短一味,万器皆同理”,则正如“只谈理而不精于事”之评语所说,此种倾向在当代甚多,人们往往高谈玄理,却不求事功之精。此评想必正是为批判此等风气而立,理所当然。总的来说,如今多是巧言辩士之徒,不务实修,轻忽实战之理者,实属常见。
〇理は是天理、事は是人事、人を閣天を聞く豈可乎。
〇“理”乃是天理,“事”则是人事。撇开人之事而只听天之理,岂能如此啊?
評曰、爰に又最前の意を述たり。勿論の事也。猶天理を明めて、人事を勉て益可なり。天理·人事相応ずるを以て、真の人と云。天理のみ知て、人事を不務、人事ばかり務て天理に暗き時は、事悉理に背、理悉事に通達せざるのみ。然る間、理は聞て明むべし。事は習てつとむべし。然る時は一致にして、我本然の神あらはれ、妙用不測なるべし。
评曰:这里又重申了前文的主旨,自是理所当然的事。进一步说,明天理,尽人事,则更加可贵。能够使天理与人事相应合一,这样的人才能称为真正的人。若只知天理而不实践人事,或一味操劳于人事却不明天理,那么所行之事就会背离道理,道理也将无法通达于实际。由此看来,道理应当通过聆听来明白,事务则要通过习练来精通。如此一来,理与事才能合一,自身本来之神方能显现,妙用无穷、不可思议。
〇口に仁義を云とも、其身未だ治らずんば、如何。腹に乾坤を容たりとも、四支応ぜずんば如何。
〇口头上谈论仁义,如果自身尚未修养得当,又有何用?纵使心中怀抱天地乾坤,若四肢动作不能相应配合,又能如何?
〇彼書に、同理を種々に説て繁多也。故に悉く爰に不評。其評せざる所は、大概予が容物に似たり。此業にしも不限、都て師範たらん人は、仮初にも親疎を分つ不可。貪る心を持べからず。己一分の恥辱のみに非ず。其祖師へ対して不弟也。流義の瑕瑾となる事を思ふべし。甞令己希代の度量有て、如何成る妙術を得たりとも、全く先生の糟糠を嘗て、修練し得たる所なれば、自立の志有べからず。眼の見る所、手の執る所、足の踏む所、悉く師恩に非ずと云事なし。喩ば身体を父母にうけたる所は、仏師の木仏を造出したるに同じ。名僧の開眼を得て、其仏初て霊験有り。是則師に因て道を修し得たるが如し。人の善悪は、父母の力にも産付る事不能。悪人の子に聖人も有、聖人の子聖人に非ず。又弟子に対して其事を訓るにも、いかにも其業を深切に思(ば、自ら親疎の私なく、邪なる心は発ぬ物也。尤能く人を知べき也。理より説下て能く達る人は稀也。事に器用成人には、いかにも精く教て、事より理に人しむべし。上等には大略此人多し。進退不自由にして、深切に習ふ人あり。是は不自由なる所を強て直すべからず。其人の生質なれば、急に直す程益々窮屈也。功を積て達す。是中等也。理にも昧く、事にも不器用にて、唯律義に習ふ人は、下等なれども退屈すべからず。年月を経て可達事を能く合点させ、兼日鈍にして功を積て、其芸篤く成る事を云聞すべし。能事を遅教へたるが好し。不堪の人に畳懸て能き事を教るは、脾胃の弱き人に食を強が如し。いかにも其人の腹のへりたらん時分を考て奨れば、快く食を請る也。又爰に一等あり。理にも慧く事にも如形器用にして、全体無精に嫩惰なる人有り。是こそは下等の又下等とす。何芸にても、上手には成安かるベし。但し名人には生付くべし。名人といふとも、さのみ稀なるべきかは。器用にして理明に、深切に習不怠、極名人可成也。
〇那本书中,对同一个道理作了种种阐述,繁杂冗长。因此,我并不一一作评。那些未加评论的内容,大体上与我所见略同。此处所言不仅限于武艺一业,凡为师范之人,即便是暂时性的,也不可区分亲疏。不得心怀贪念。因为这不仅仅是自己个人的羞辱,更是对祖师的不敬,须思及这会成为流派的瑕疵与污点。即使自认为拥有罕见的才识与度量,得到了某种妙法奇术,那也无非是因老师修炼而得来。因此不应心存自立的念头。眼所见、手所执、足所踏,无一不是师恩所致。譬如身体由父母所赐,就如同佛师雕出木佛;要待高僧为其“开眼”后,这佛才有灵验。此正如弟子因老师引导,方能得道修行一样。人的善恶,并非父母之力所能决定。恶人之子亦有成为圣人者,圣人之子也未必就是圣人。对于弟子的教导,若真心希望其武艺得进,就必然不会有亲疏之分,也不会有邪心生出。这就需真正具备识人的能力。仅从“理”来讲解而能通达者,极为罕见。若是能在“事”上灵巧熟练的人,必须耐心细致地教他,通过“事”去引导其领会“理”。这种人,多属上等之资。若有人行动不便,但能下苦工勤学,这样的人不要强行去矫正他的短处。因为那是他的本性,急于纠正反而让其越发痛苦。这种人靠积累经验也能通达理法,是“中等”之资。再比如有些人对“理”也模糊,对“事”也笨拙,只是靠忠厚老实勤学来进步,这种虽为“下等”,却不可轻视。时间久了也能通达道理,应多加鼓励。正因其迟钝,通过积累反倒能使其武艺深厚。对于这类人,应当放慢节奏去教。若对其急于教授高妙技法,如同让胃弱之人强吃大餐,反而有害。必须考虑他们饿得正好之时,再激励引导,使其自然愿意进食。此外,还有一种人,是“理”也聪慧,“事”也灵巧,但整体懒惰、无精打采。这种人反倒是下等中的下等。任何技艺,若想熟练倒也不难;但若想成为名人,则必须是天生有那份资质。不过所谓“名人”,也并非那样稀有难得。若一个人灵巧、明理,又刻苦深学、不曾怠惰,就完全可以成为真正的“名人”。
評曰、宜哉々々、私を去る時は、明徳顕る三浦先生の如き、十八箇流を極、猶を是を不足とする事、古今の真師是なんめり。此段良興の云る所、師の私なき義顕たり。誠に武門に生を稟たる者、斯こそ有まほしけれ。後世難及所也。多分は物捕り利欲の為、弟子を集るよし、仍て前に云如く、刀法、組物、習事、伝授事とて、且々切売にして、弟子を貪輩有るよし、尤浮世渡りの素浪人等は、斯するも尤也。歴々又は相応の禄も有る人には、不似合事也。又弟子も責て一流精魂に人て、習終する者、至て少し。適々一流を習ひ極むといへども、其流の善悪を明めず、我法貴と俗に云如く、免状印可を大事にして、箱に納め、さて事を止る人多し。三浦先生は、其一流を極て、猶白試て足りとせざれば、又彼流を学び、猶我に証する所なければ、此流に従り、以上十八箇流の極意を見届てさへ未だ得道せざる所有とて欝憤して、終に花鯨の一声に十八流の夢覚て、本来の徳に帰れるのみ。如此心を委て習ふ程こそなからめ、当世歴々の士、刀法四五本、或は一箇月二三箇月にて止ぬる人のみ多し。又は止たると云にはあらねど、今日は鮎釣、明日は漁、或は花見、茸狩、搆山など云、無益の事を家芸よりも重専とし、武芸の事は、一箇月に一度、一箇年に一度も思ひ出しもせぬ族、さりとは本意なき事とも也。君の禄を貪ながら、其職分を不勉事、知行盗人と云成べし。勉て不器用なるは是非なし。一向に不心懸と云は恥かし。茶の湯、碁、双陸、三味線にて、大敵は追討成べからず。ならぬまでも其家業を大事に意得る義、士農工商ともに、職分を勉ると云也。兎角三浦先生の如き師も少く、又三浦先生の如くに、我意を廃て習ふ人は猶少し。故に、名人世に稀也。
评曰:妙哉,妙哉。当一个人抛却私心时,就会显现出像三浦先生那样的明德。他精通十八种流派,仍然认为这还不够,这种精神正是古今真正的师者应有的样貌。这一段中良兴所说的“师者应无私心”的道理已经显露无遗。的确,身为武门之人,应当具备这种精神,但这却是后世难以企及之事。如今多半是为图名利而聚徒授艺,如前所述,将太刀筋、切组、练习方法、传授等逐一零碎贩卖,唯利是图的家伙大有人在。那些身无分文的浪人或许还可以理解,但对于那些已经有相当俸禄的人来说,这种行为就十分不相称了。而弟子之中,真正全心投入一个流派并修炼到底的人也极为稀少。就算偶尔有人精通了某个流派,也未必能辨别其流派的优劣,只是像俗话说的那样自我陶醉,以为自己所学是最好的,拿着免状印可当作宝贝,封在盒中,从此便停止不前,这种人比比皆是。而三浦先生,即使精通一流,也不因此自满,还要进一步探求其他流派,若未能印证己见,就继续向他流学习。即使见尽十八流的极意后仍感未得其道,于是怀着愤懑之心,终于因梵钟一声惊醒,返本归真。这种把全部身心都委托于学习的态度,实在世间少见。但今世那些身居高位的武士,大多只学四五本刀法,或在一两个月内草草了事。也有些人虽然说不上是中断学习,但今天钓鲇鱼、明天出海捕鱼,或是赏花、采蘑菇、游山等无意义的活动反而成了他们生活的中心,而武艺之事,一个月想起一次、一年想起一次的人比比皆是,实在令人遗憾。这种人一边享受着主君给予的俸禄,一边却不履行自己的职责,简直就是知行盗人(日文四字熟语,指光拿钱不办事)。若是努力了却天资有限,那是无可奈何的事;但完全不上心,那就是可耻了。用茶道、围棋、双六、三味线这些玩艺儿,是无法讨伐强敌的。即便不能成大器,也应当将自己的家业看作大事去履行。无论士、农、工、商,都应当尽心尽力于本职。总之,如三浦先生那样的老师实在稀少,而像三浦先生那样,放下自我之见、全心向学的人更是稀有。因此,世上的名人也才那么罕见啊。
〇三浦源右衛門、平政為、極則相伝、十八流如左。
〇三浦源右衛门平政为所至极的武艺流派,共十八流,如下。
一刀流 山口流 戸田流 心流 吉岡流 眼志流 慈眼流 心陰流 新心流 鞍馬流 東軍流 武蔵流 今枝流 浅山一伝 楊心流 稲妻流 ト伝流 随変流
右十八箇流、十二歳より三十七歲までに、免許せる諸流也。無眼流と改る事は、天和三年癸亥十月廿三日也。宝永六年乙丑九月廿四日、行年六十有五にして遠去す。武陽小石川祥雲寺に葬る。法名、三室全浦居士と号す。
以上十八流派,皆为三浦源右卫门自十二岁至三十七岁间获得免许的诸流派。其将所传之流改名为无眼流,是在天和三年十月二十三日。其于宝永六年九月二十四日辞世,享年六十五岁。葬于武阳(即武藏国,今东京都)小石川的祥云寺。 法号为三室全浦居士。
剣術論巻之上 畢
或人剣術論を携来て、予に授く。全部二巻、甚だ高論にして、而も我党の助とするに足れり。然れども都て此書、事理の本末、器の長短、理利の辯、心気動静、各々予が心に少異なる所あり。惟に良先生事を勉る事深切にして、後自然と一理解たりと見ゆ。故に事を本とし、理を末にすと見へたり。予が師伝は、理を本とし、事を末にする故に、前後の旨段、良興に大同小異也。然れども、事理相整たる所は、彼我同断なり。此書の評に良先生を誹るに似たる所有りといへども、是全く予が本意に非ず。唯々予が導引く所に少し異る所あれば、我党の見惑ん事を意ふゆへに、竊に愚意を以て評して、我党に示すのみ。併予が不敏を以て、是に評詞を加ふる事、其の恐れ少からず。且つ于干の違あらん事を。必見る人識者によらずして、是非を度量して、取捨有べきもの也。総じて理は得安き物とおもひて、辯舌筆頭にまかせぬれども、是は是、良先生の云へる如く、皆私心に識得したるまでにて、悉く正理に非ず、画餅也。正理は私なきを以て無心とす。此故に覚もせず、識得もせず、其心に是と覚たる物は、皆理の跡にして、正理に非ず。正理は、識得もせず、識得せざるにも非ず。唯々おかしきもの也。されば事理一致の修行に非んば、至りかたからん。理のみ高重にして、事拙を口兵法と云と也。誠に理のみ得たりとも、事応ぜずんば、欲するところへ身したがふまじければ、膝行兵法ともいふべし。又事のみ得たりとも、理といふ眼なくば、是をも盲兵法といはんかも。
有人携来一部关于剑术论授予我,全文共两卷(笔者之分享了其上卷,原因前文有述,略),是一部非常高妙的论著,而且足以成为我门派的助力。然而,整部书中,对于“事与理的先后”、“才能的优劣”、“道理与实用的分别”、“心与气的动静”等各项内容,与我的心意略有不同。只不过,良先生对于修业之事,实在精深恳切,因而自然形成一种独到的理解。故可见其将“事”作为根本,将“理”视为辅助。反观我师所传,则是以“理”为根本,以“事”为辅。因此,在各个论点前后所下的判断上,与良先生有些许出入,但大体上仍属大同小异。尽管如此,书中事理相调之处仍是彼我同断。在本评中,有部分或似在诋毁良先生,但这绝非我的本意。只因我引导门人学习时所依之方向略有不同,恐其混淆视听,故私下以愚意加以评点,提供给我门中人士参阅而已。然而,以我之愚拙愚识,贸然评论此书,心中未免惶恐不安。况且其中若有错误之处,自当仰赖有识之士加以鉴别裁量,取其可取、舍其应舍。总的来说,人们往往认为“理”是容易理解之物,任凭辩舌与笔墨而谈,但就如良先生所说,这些理多是自我所识而得,并非真正的“正理”,不过是画饼而已。真正的“正理”,在于没有私心,称之为“无心”。因此,它既非“感知而得”,也非“识得之物”。凡是自认为“这是对的”的心识,皆为“理的余迹”,而非“正理”。正理既非“识得”,也非“不识得”,只能说是一种“说不出的奇妙状态”。因此,若非在“事理一致”的修行中体得,是难以抵达正理之处的。若只是“理”上高谈阔论而“事”上无实修,则可称为“口兵法”。纵然理上了然于胸,而身体无法应对所欲,则如同“膝行兵法”(无法自由运用的兵法)。反之,若只是事上熟练,却无“理”之眼加以观照,则或可称为“盲兵法”。
宝曆七丁丑歳次初冬上旬
運籌流隣実末弟 北陽金城下
一小子 源久甫評述