亦名《无住心剑传法》、《一云先生传书》、《云弘秘鉴》、《剑法夕云先生相传》等
小出切一雲
由于本人能力有限,译后内容全请视为机翻处理,红字部分为译者夹带的私货,内容皆不能保证准确,望君自行斟酌。其目的在于抛砖引玉,错误之处或者有其他建议也望一同探讨。勿转载以及商用,侵删
本书是由针谷夕云的弟子小出切一云整理而成的兵法著作。大致介绍了其流派与流派名字的来源,以及流派的主要思想并进行了论述,即崇天理灭人欲(但以笔者的角度来看书中所谓的“天理”、“圣人”等等也很主观,和其所批判的“畜生”之道并无本质上的区别),以及相拔的合理性,在此基础之上修习兵法。(其思想想要达到的目的可能是不被外界所调动)另其所描述的以相拔为核心的无胜负无调子无胜口的训练方式和直心影流的法定的内核非常相似,到底是同根同源。(稍微有点巧合的是本书所选取的版本是抄自天真白井流的白井亨所持,之后笔者也会分享其著作)
夕云是小笠原源信斋的门人,通称五郎右卫门,号夕云。据传生于上州针谷。其一生未曾出仕。其早年不识字,四十岁后跟随龙光寺的虎白和尚参禅,达到了剑禅一如、超脱胜败的无碍心境。“无住心剑”一名便由虎白和尚所命名(虎白和尚语录中称其为“离想流”)。
一云是榊原式部的家臣长谷川玄养之弟,会津人。原名长谷川如庵,曾任半井驴庵塾的学头。是一位学者剑客,二十八岁时师从夕云,三十四岁获得免许皆传,六十岁剃发出家,号一云。
先師夕雲の談ぜらるゝは、当世より百年許以前は、兵法さのみ世間にはやらず。其子細は天下乱国なるによりて、武士安座の暇なく、毎度甲冑兵杖を帯して戰場に臨て、直に敵に逢て太刀打組合をして、運の強き勇者は長らへ、数度の場に逢て自己に勝理を合点して、内心堅固にすわる事、当世諸流の秘伝極意と云ものよりも猶たしかなる者多し。如此の時代には、我も人も取とめて習ふベき隙もなく、若又偶々習ても、戦場其外真実の場の働に及ては、俄に習ひを以て勝利を得難く、只面々の運と覚悟とに任せたると見えたり。
先师夕云曾谈到,距今大约一百年前,兵法并未像如今这般在世间流行。因为当时天下大乱,武士们无暇安坐,常常身披甲胄、手持兵器奔赴战场,直接与敌人交锋,进行刀剑对决。运气好且勇敢的人得以幸存,多次经历战场后,他们领悟到自己的胜利之道,内心变得坚定。这种经验比当今诸流派的秘传极意更为真实可靠。在这样的时代,无论是自己还是他人,都无暇专门学习兵法。即使偶然学习,到了战场或其他真实场合,也难以凭借所学获得胜利,只能依靠各自的运气和觉悟。
近代八九十年此方、世上も静謐となり干戈自ら熄み、天下の武士共安閑に居睡りするやうに成行て、戦場に臨て直に試み習ふべきやうなければ、せめては心知良友に相対して、互の了簡を合せ、勝理の多く負る理の少き方を詮議して勤習する事、治世武士の嗜みと成て、木刀しなひなどにて互の了簡を合せ試る事、兵法の習ひと成て、隙ありの浪人等朝夕工夫煅練して、所作にかしこき者は自ら佗の師ともなりて教を施す。如此する間に次第々々に兵法者卓散になりて、諸流区々なり。
近八九十年以来,世间趋于平静,战乱自然平息,天下武士们得以安闲度日,不再需要亲临战场实践所学。因此,他们转而与志同道合的良友相对,互相切磋,探讨胜多负少的道理,并勤加练习。这种修习方式成为太平时代武士的修养。他们用木刀或竹刀互相切磋,验证彼此的理解,以此作为兵法的修习方式。一些有闲暇的浪人日夜钻研锻炼,技艺高超者自然成为他人之师,传授技艺。在这样的过程中,兵法者逐渐增多,各种流派也纷纷涌现。
秀吉公の天下を治め玉ふ時分に当て、鹿島の生れに上泉伊勢と云者有て、兵法中興の名人なり。それまで日本にある流には、鹿島流·梶取流·神刀流·戸田流·卜伝流·鞍馬流など云て、日本国中に漸く六七流のみなり。上泉は世間に勝れて、所作も上手にて道理も向上なるに依て、諸人信仰す。初は神刀流なれども、所得の事ありて神陰と流の名を改め、諸国を修行して後は伏見の里に住居して、秀頼公の旗本其外の諸侍に兵法を指南し、弟子三千人に及べり。其中に挽田文五郎·戸田清源·柳生但馬·小笠原玄信と云者、印可を取たり。挽田は西国筋に住して指南し、其流派はびこりて品々に分れ、種々の名あり。柳生は当御家へ召出されて、此亦弟子の中に品々の所得ある者出来て、流の名を改て様々にあつかふ。戸田は加賀の国ヘ行て、いかなる故ありてか終に戸田流の家を相続す。小笠原は入唐して異国の武士に交りて日本流の神陰流の兵法を指南して居住する中に、不慮に張良が末孫なりと云者弟子の中に有て、委く尋ぬれば粉れもなく彼者先祖張良より此方嫡々伝来の戈の術と云事を鍛練す。玄信は又かの者の弟子となりて戈の術を習ひ、師弟互ひに芸かへして修行する内に、玄信は戈の術の八寸の延かねと云事を我が神陰へ用ひて、以の外勝理の益なる事を自得す。帰朝の後、上泉伝の古き相弟子共に立合ひ、八寸の延かねを試みるに、人一人も手に障るものなく、恐らくは先師上泉が存生にて立向ふと云とも、上泉に勝は取せまじきものをと思ふほどの道理を発明して、広く世間に教へ、玄信が弟子も三千人に及べり。
在秀吉公治理天下的时期,有一位出生于鹿岛、名叫上泉伊势的人,被誉为兵法中兴的名人。在此之前,日本存在的流派仅有鹿岛流、香取流、神刀流、户田流、卜传流、鞍马流等,全国范围内不过六七流而已。上泉因其技艺高超、道理精深,深受众人信仰。他最初修习神刀流,后因有所领悟,将流派名称改为神阴流,并在诸国修行。晚年,他定居于伏见之里,为秀赖公的旗本及其他武士传授兵法,弟子多达三千人。其中,挽田文五郎(即疋田丰五郎景兼)、户田清源、柳生但马、小笠原玄信等人获得了印可。疋田居住于西国,传授兵法,其流派广为传播并分化为多种分支。柳生被召入幕府,其弟子中也有多人有所成就,流派名称多次更改。户田前往加贺国,因某种原因最终继承了户田流。小笠原远渡唐土,与异国武士交流,传授日本的神阴流兵法。在此期间,他偶然发现一名弟子自称是张良的后裔,经详细询问,确认其祖传戈术源自张良。玄信拜此人为师,学习戈术,互相切磋技艺。玄信将戈术中的‘八寸之延曲(亦称八寸延金)’技法融入神阴流,发现其胜理极为显著。回国后,他与上泉的旧同门比试,使用‘八寸之延曲’技法,无人能敌。他认为,即使先师上泉在世,也难以胜过自己。玄信将这一技法发扬光大,广传于世,其弟子也多达三千人。
余が先師夕雲は、十三四歳より兵法品々を習ひ、後に小笠原が弟子になりて神陰を伝へ、八寸の延かねの秘伝までを残らず受継て、初めは小笠原が弟子の中にて二人三人の上手といはるゝ神陰流の兵法なり。然るに先師禅学を嗜みて、諸禪師に示論を受らる。就中、東福寺の隠居に虎白和尚と云智識あり。此禅師にひしと帰依して、本則十二三則も実参を遂げ、禅学の意味より窺ふ時は、元祖上泉を始め、外の戸田·卜伝も、自己の師玄信が心入も八寸の延かねも、皆悉く妄想虚事の類にて、人生天理当然の性の受用にあらず。多くは只畜生心にて、己れに劣れるに勝ち、まされるに負け、同じやうなるには相打より外はなくて、一切埒のあかぬ所のあるぞと云事を心付て、それより此方時々刻々工夫修行して、畜生心を離れ所作を捨て、自性本然の受用の中より勝理の具はる事を自得せんと研究せらる。一旦豁然として大悟し、兵法を離れて勝利明かに、人生天理の自然に安座して一切の所作を破り、八面玲瓏物外独立の真妙を得られたり。それより他流に立合て、只今の工夫自得の用を試るに、終に障る者なし。
我的先师夕云,从十三四岁起便修习各种兵法,后来成为小笠原的弟子,传承神阴流,并完整继承了‘八寸之延曲’的秘传。起初,他在小笠原的弟子中以神阴流兵法闻名,被誉为两三位高手之一。先师深嗜禅学,曾向多位禅师请教。其中,东福寺的隐居高僧虎白和尚是他的重要导师。夕云虔诚皈依虎白和尚,完成了十二三则禅宗公案的实修。从禅学的角度来看,他发现无论是元祖上泉,还是户田、卜传,甚至自己的师父玄信所传授的‘八寸之延曲’,皆为妄想虚妄之事,与人生天理自然的本性无关。这些大多只是畜生心层面的事情,只能胜过弱于自己的人,输给更强的人,与实力相当者则只能两败俱伤,毫无意义。夕云意识到这一点后,便时刻修行,试图脱离畜生心,舍弃外在技艺,从自性本然中领悟胜理。最终,他豁然开悟,超越了兵法,明见胜利的本质,安住于人生天理的自然状态,破除一切外在技艺,达到了八面玲珑、物外独立的真妙境界。此后,他与其他流派比试,运用自己所悟之法,无人能敌。
幸に先師の玄信いまだ在世なる故に、自己の所得を談じ聞せ、其上に立向て試るに、玄信が秘々の八寸のかねまで打破て見るに、烈火の竹を破るに似たり。故に前々の諸流を捨て、自己の禅味より得たる所の一法につゞめて、一生の受用とす。流と云べきやうもなければ名もなけれども、若強て名づけば、無住心剣術と云んかとは、虎白の仰られし名なり。夕雲すでに六十余歳、古き弟子二千四五百人もあり。
索性先师玄信仍在世,夕云将自己的领悟向他讲述,并与之比试,结果连玄信秘传的‘八寸之延曲’也被彻底打破,如同烈火破竹一般。因此,夕云舍弃了之前所学的诸流派,专注将从禅味中领悟作为一生的修行。这一修行法门并无流派之名,但若勉强命名,可称为‘无住心剑术’(取自《金刚经》‘应无所住而生其心’),这是虎白和尚所赐的名字。当夕云六十余岁时,门下弟子多达两千四五百人。
余が二十八歳の時初めて謁し、口授を受て三十三歲の時、夕雲と真実の試合を三度して、三度ながら相ぬけをして、真面目と云ふ印可の卷物を受とる。相ぬけの日は、夕雲いかゞ存ぜられけるか、懷中より念珠を取出して、余に向つて香を焚き余を拝せらる。其年、夕雲逝去せらる。余更に兵法を取広むる心なく、只日夜に其理を楽みとして自己の飢寒を忘れ、三十九歲の時深川へ退去して姓名を改め、深く兵術を秘して著さず年月を送る処に、同志の旧友時々需めてやまず。黙止する事能はずして一二人に手引すといへども、縁にふれてひたすら多くなり、三十人に及べり。其中に性根の器用に依てか、自分の勝にもとづき、他流の畜生兵法をば如何様にも自由三昧にあつかふ人、四五人も出来たり。此器用人たち、そろそろと弟子を取扱ふて世間へも弘め、余が名も自ら顕れ、先師夕雲老後に自得せらるゝ所の妙術も、これに依て世上へ流布す。
我二十八岁时初次拜见夕云,接受口授,至三十三岁时,与夕云进行了三次真实的比试,三次均以平手告终,最终获得了称为‘真面目’的印可卷物。在最后一次平手比试的那天,夕云不知为何,从怀中取出念珠,焚香向我礼拜。同年,夕云去世。我此后无心广传兵法,只是日夜沉浸于其理趣之中,忘却饥寒。三十九岁时,我隐居于深川,改名换姓,深藏兵术,不再著述,如此度过岁月。然而,相同志向的旧友时常前来请教,我无法拒绝,便为一二人指点,后因机缘渐多,弟子增至三十人。其中,有四五人天赋异禀,能够根据自己的胜利经验,自由运用他流的‘畜生兵法’。这些天赋之人逐渐收徒传艺,使我的名声自然传扬,先师夕云晚年所悟的妙术也因此流传于世。
今の勢を以てつくづぐと考るに、当流は水の初めて溢れ出たるが如くなれば、月を重ね年を累ぬるに随て、いょいよ盛に世に行はるベし。然れば予が落命の後も、当流の功者こゝかしこにあるべし。それに付て思ふに、今余に直に相伝を受る人の中にも、面々の天機の得やらにて、理を説く所にかはりはなけれども、聞得る所には少づゝのかはりはあるやう也。又其人々の他へ説き聞かせ教へらるゝ上に、面々の天機に任せて説き聞かせらるれば、其聞人の心得又差別あるべければ、二伝三伝の後は、先師の本分をも取失ひ、余が愚案の意味あひも空しくして、面々の了簡を極意として、名誉の上手になりて勝を楽んで、終に正理に迷ふ人も出来らんかと憚り恐るゝ所なり。
如今的势头,本流如同刚溢的水,随着岁月的推移,必将盛行于世。因此,即使在我去世之后,本流之功者也必会遍布各地。然而,我想即便是现在直接接受我传授的人中,因各自天赋不同,他们所领悟的可能略有不同,虽然我所讲的道理并无差异。此外,当他们向他人传授时,也会根据各自的天赋和理解去讲解,因此听者的领悟也会有所差别。如此一来,经过二传、三传之后,可能会失去先师的本意,我的愚见也可能被忽视,众人将自己的理解视为极意,看中名誉,以取胜为乐,最终迷失于正理。对此我深感忧虑。
第一、当流修行の人は、芸者の心を捨て、何とぞして兵法を芸になさぬ工夫、兵法の所作に妙不思議の生ぜぬやうにと慎む事肝要なり。人によりて、初めは心理を信仰して実事を望むふりに勉るといへども、畢竟の内意は功者にならば人にも教ヘ弘めて世上へ其名を著し、当分流浪の間は弟子中の助力を受て貧窮を救ひ、或は官途を望まば這の芸を售て小禄をも貪る為にと思ふ、意地の輩もあるべし。早く師の目に入らば、さやうの人をば、流を追放す事専要なるベし。始終名と利とを離れず、名利の心あるくせに必ず少しの処にもわる我の強き者なれば、如此の輩は如何程勉めても、当流の半途へも及ぶべからず。
首先,修习本流派之人,应舍弃技艺之心,切勿将兵法沦为技艺,务必谨慎避免在兵法的动作中生出奇妙不可思议的念头。有些人最初心理上信仰,努力追求实事实理,但其内心却希望成为功者,借此向他人传授技艺,扬名于世,或在流浪时依靠弟子的帮助摆脱贫困,甚至希望通过此技艺谋取官职、贪图小利。若被师父察觉,此类人应被逐出流派。始终不离名利之心者,因其个性恶劣、自我强烈,无论如何努力,也无法达到本流派的一半的水平。
去ながら面々君子の生れ付は稀なる者なれば、我も人も名利は望にて、諸事に我執も強きものなれども、道学に入て修行するといへば、其名利の意を離れ、我執を捨て、天性の理に本づき、月々年々を歴て君子盛徳の場へも入る工夫第一なり。天性に本づく風情に見せて、人慾の私を立、我執をくぢく振りにて、内心は我強く、口には名利を離れて内心は飽まで名利に耽る輩、たとへ弟子の中にあればとて、一月か二月の中に漸く一度か二度対面して、暫時稽古する間の事は、いかやうの盛徳の君子ぶりにも仕なし、口に向上の理義を談ずるも易き事なれば、皮肉の上より見透すべきやうもなくて、師一生の間も真実の人柄を知らずして交はる弟子は、いかほどもあるベき事なり。畢竟面々の心には覚あるべし。其うへ天理と人欲とは至て知り易きものなれば、能知り分て、天性に本づく人欲に落るかと自己に省み、外の誉め毀りにかまはず、只管に君子の徳行に移る修行に励み、かりそめにも畜生心の発せぬやうに用心あるべし。
然而,天生为君子者本就稀少,无论自己还是他人,虽有名利之心,自我执着强烈,但若进入道学修行,便能远离名利之意,舍弃自我执着,回归天性之理,经过岁月积累,终可进入君子盛德之境。此为第一要务。若有人表面上以天性为本,实则立人欲之私,以自我执着为手段,内心顽固,口头上却远离名利,实则沉溺其中,混在弟子之中,每月仅见一两次短暂修习之间也难以识破其伪装。即便口谈向上之理,也易掩饰,师父一生中也难以识破其真实品性。毕竟,众人心中自有觉悟。此外,天理与人欲极易分辨,应能自知,反省自己是否落入人欲,不顾外界的毁誉,专心致力于君子的德行修行,切勿让畜生心显露丝毫。
畜生心と云は、先師夕雲の平生の詞なり。夕雲は学問もなく、文盲第一の人なり。故に言語に鄙俗なる事あまたあり。然れども理は本分に通じて、文才の人の註釈よりも早く聞ゆる事のみ多し。折節々々には、畜生心·畜生兵法などと云れたるも、むだ言には非ず。
‘畜生心’一词,是先师夕云平日常用的说法。夕云没有学问,是大文盲,因此言语中多有粗俗之处。然而,他的道理却直指本分,比文才之人的注解更易理解。他时常提到‘畜生心’‘畜生兵法’等词,但这些并非无谓之言。
畜生は元来天理を全得せざるものなれば、五常備はらず。五常なきが故に、君臣·父子·夫婦·兄弟·朋友の分ちもなく、時々刻々唯食を貧るのみ専一の心を用ゆ。形の大小に随て勝負をなし、己に劣れるものをば已が類なりといへども、今日の食として終に飽く事なく、一生貪·嗔·痴の三毒の深きもの也。世間上下おしなべて畜生心なる中に、取分て兵法者といはるゝ者に、畜生心の張本多く出来る事なり。油断すべき業に非ず、大切なる芸也。
畜生即未完全领悟天理,故不具备五常。因无五常,故无君臣、父子、夫妇、兄弟、朋友之分,时时刻刻只专注于贪求物欲。因胜负而影响其欲望的大小,即使和不如自己的人在一起,也永远不满足眼前的利益,一生深陷贪、嗔、痴三毒之中。世间上下普遍存有畜生心,而其中尤以被称为兵法者之人,畜生心之表现尤为明显。此非可轻忽之事,实为重要之艺。
いかんとなれば、兵法大概は如此迷暗邪曲なる畜生の所作に心を移して工夫の種とし、或は獅子奮迅·飛蝶·虎乱·猿飛·雷電·蜘蛛などとて、品々の畜生働きを学び、猶も向上に云んとて、夢中に神に告られたるの、或は山籠りして天狗の相伝を得たりなどゝ言ひなして、漸く鷹の鳥を獲り猫の鼠を捕ふる程に所作をしなして、或は上を打かと見せて下を払ひ、横を払ふ振りにしては頭上を堅割にし、身を捨てあたふるやうにして却て此方へ奪ひ、大勇の気を張出し、少も身命は惜まぬ風情にして、既に破るゝ時に臨て、うけ、かぶり、飛ちがへ、跡へはづし、種々の才覚·意識·智恵を取出して、七転八倒して、俄に当分の難を逃れんとす。畢竟は、己を十分の才覚かしこき勇士に成し極めて、敵をば大愚鈍の臆病者に落しつけたる了簡、誠に天理人欲の分をも知らず、意識我慢を増長したるの至極なれば、朴なる畜生には結句劣りなれども、兵法上手の名を得、世間より崇敬をも受る。此類の者共は、天道にも人性にも暗きは必定なる故に、夕雲は一代、畜生心·畜生兵法とて嫌はるゝなり。
为何如此?因兵法大抵以如此迷暗邪曲的畜生动作为修习对象,或学狮子奋迅、飞蝶、虎乱、猿飞、雷电、蜘蛛等种种畜生之技,甚至妄言梦中得神启示,或隐居山中得天狗相授(好骂,甚至连自己一起骂),渐至如鹰捕鸟、猫捉鼠般熟练动作,或佯攻上而实击下,或假横斩而实劈头,或舍身攻击却反夺敌势,装出大勇之气,看似不惜性命,临败时却以格挡、闪避、跳跃、退避等种种才觉、意识、智慧,七转八倒,试图逃脱眼前之难。最终,自以为十分聪明,将自己视为勇士,将敌人视为愚钝懦夫,实不知天理人欲之分,傲慢之心至极,虽然还不及朴实的畜生,却得兵法高手之虚名,受世人崇敬。此类人必对天道人性无知,这便是夕云一生厌恶的‘畜生心’‘畜生兵法’。
人と云は、元来万物の霊長たり。其霊なる子細は、未だ生を受けざる以前、天に備りて理と云ものあり。這の理中には、元·亨·利·貞の四徳そなはる。其天の理を感得して人と生るゝ時、性と云もの具はる。其性中に、仁義礼智の四徳そなはる。此則ち天理中の元享利貞と、人性中の仁義礼智さらに別ならず。此性全くそなはる故、万物の中の霊長たり。
人本为万物之灵。其灵是在于未出生之前便已具备,天所给予的‘理’。此理中,有元、亨、利、贞四德(元为始,代表春;亨为长,代表夏;利为遂,代表秋;贞为成,代表冬。)。人感得此天理而生,便具备‘性’。此性中,亦有仁、义、礼、智四德。此即天理中的元、亨、利、贞与人性中的仁、义、礼、智并无二致。因具足此性,故人为万物之灵。
其性寂然として不動ときは、性のまゝにて別に言語を入るゝに及ばず。感じて物に応ずるときは、夫々に随て過不及なきの理行はる。此時初めて道と名づく。此道千変万化にして、人間一生の間限りはなし。我より前代に生れて、早く道を行ひ尽したる人は、君子の名ありて後学の師たり。我は後に生れて、今此道を行ひつくさんと勉る故に、後学の名ありて修行の人也。人に古今はあれども、道に古今はなし。然れば一生の中を考るに、君に忠を尽し、親に孝を尽し、兄弟に和順し、夫婦に別礼あり、朋友に信あり、臣僕に愛恵あるを本として、毎日事々物々に応じて当然の理を行ひ、他岐に涉らざるを人の妙用とす。譬へば、火に逢ては炙り乾かし、煖め焼く事を行ふ。水に逢ては洗ひ潤し和ぐる事を行ふ。其中に、過不及の了簡は良知ありて自然に出づべし。其外金·木·土、一切万物、一物あれば一理づつはそなはるものなれば、夫々に理に背かぬやうに法り行なふを当然といふ。事物当然の理を能く知り明らむるを人の要とす。然る処に、人は人にて形は畜生にあらねども、人心を知らぬ人は、水を火に使ひ木を金に用て見んとする如く、万事の道理逆か横かに取扱ひ、当然を背きて思ふまゝにならぬ時は、己が心の扱ひの物の理に背く故に、物の自由にならぬこと立帰り悔る心はなくて、弥々我を強く張り、邪曲の思案工夫に性根を疲らかし、果は天を怨み人を尤む。不断憤りをいだく故に、浮かぬ面構に成て、人柄をそこね、其上にも誉れを求め、毀りを嫌ひ、利を貪り、衣食住の三つに分外の願ひを生じ、天命を知らず、才覚知恵にて調ふる事かと心得て、東西に奔り南北に廻りて、朝より夕に至るまで隙もなく苦み、年月を送て終に人道天理の当然の安閑と云事を知らず、暗昏盲迷として臨終に至れども、自己より悔み恥る心もなく、一息截断の涯までも如此なれば、一生は畜生を行ひ、畜生のまゝにて死する也。此迷魂輪廻せば、いかやうの縁にひかれてか又立帰り、生を受まじきものにも非ず。仏法に輪廻の説法あるも、至理たり。かやうの人の類を、書には人面猷心などゝ聞よく云置れたれども、夕雲は直におしつけて、畜生心の人と云れたるなり。
当性寂然不动时,无需言语,本性自显。当感物而应时,随事而行,恰到好处自然显现,此时方称为‘道’。此道千变万化,贯穿人之一生。前代已践行此道者,称为君子,为后学之师;我辈后生,今勉力践行此道,称为后学,为修行之人。人有古今之分,道无古今之别。故在一生之中,应以尽忠君、尽孝亲、和顺兄弟、夫妇礼节分明、朋友有信、爱惠臣仆为本,每日应对事物,行当然之理,不涉他歧,此乃人之妙用。譬如,遇火则炙烤、干燥、取暖、焚烧;遇水则洗涤、滋润、调和。其中,过与不及之判断,自有良知自然显现。此外,金、木、土等一切万物,一物一理,各循其理而行,方为当然。人能明晓事物当然之理,乃为要务。然而,人虽形非畜生,却有不识人心者,如以水为火、以木为金,逆理横为,违背当然之理,事不如意时,因己心违背物之理,故物不得自由,却无悔改之心,反更固执己见,以邪曲之思虑疲敝性根,终怨天尤人。因常怀愤懑,故面生愁苦,败坏品性,更求名誉,厌毁谤,贪利益,于衣食住之外生分外之愿,不知天命,自以为才觉智慧可调万事,东奔西走,南来北往,朝至夕无暇,苦度岁月,终不知人道天理之安闲,昏聩迷茫至临终,亦无悔愧之心,直至最后一息仍如此,则一生行畜生之事,如畜生般死去。此迷魂若轮回,不知因何缘而复返,可能不会正常将下凡间。佛法中有轮回之说,实为至理。此类人,书中称为‘人面兽心’,而夕云直斥为‘畜生心之人’。
当流兵法の意地は、元来勝負に拘はらず。取分け余が思ふ所、相討を以て至極の幸とす。その子細は、兵法を用るに及て、其場漸く三つならではなし。一つは戰場の太刀討、一つは泰平の時主君の命に依て仕る討者、さては運命逆になりて不意の喧嘩の切合ひ、此外さらに太刀討すベき場なし。三つ共に、其場の相討死は、武士の耻に非ず。取分け喧嘩などゝ云は、君父への忠孝にも非ず、不慮の逆境に臨んで運の極る時なれば、耻を取らぬ前に討果すか、又極々運つきて既に耻を受るによつて討果すものなれば、切勝て身命を全ふする事を心にかくる隙もあるまじきものなり。只戰場は一日も長らへ、一人づゝも敵を亡し、主君への忠を励し度き時なれば、臆病にて命を惜むにはあらざれども、身を全ふして勤め働く程、忠を立る場なり。併し当の敵にうたれて其敵を逃すか、自然流失などに中りて独死をせば、主君へは武士一人の損を取らせ、自己は平生の嗜みを空しくして、屍の上にも遺恨はのこるべき事なれば、相討は戰場にてさへ損には非ず。主命のしものも、自己の命を捨ても主人の憎み深き罪人を討て捨るならば、残念といふ事は有べからず。若し、我は討れて其場に死し、罪人をば取迯しなどして主人に憤りを益せば、武士一人の損をとらせ、己は死耻をかきなどしたるには、遙かにましなるべし。喧嘩も相討は、見よく聞よきもの也。或は人に切殺され、当の敵を迯し、近き親類の苦労邪魔にして、漸く己が死後に親類の力を頼て讐を報じてもらふ輩も、十に六七はあるもの也。此等は臆病と云ふ煩には非ず、無病なれども常々不心掛にて、何時も自由になるものゝやうに覚へて、大拍子に世の中を送る人に多く有もの也。先にてもあれ後にてもあれ、向ふたる敵は夜の寝覚の不意にも必ず其場に打止て、我も打たるゝは理の当然なれば、何を恨み何に念が残んや。更に武士の耻と云べき事はあるべからず。
本流兵法的宗旨,本不拘泥于胜负。我认为尤其以相讨为至幸。其原因是,运用兵法的场合不外乎三种:一是战场上的刀剑对决,二是太平时期奉主君之命讨伐敌人,三是时运不济突发的争斗。除此之外,再无刀剑对决的场合。这三种场合中,同归于尽并非武士之耻。尤其是争斗,并非是对君父的忠孝,而是遭遇意外的灾运来临在蒙羞之前讨敌,无暇顾及保全性命。
唯有在战场,作战的时间很长,每消灭一个敌人都是对主君的效忠,故非因怯懦惜命,而是为保全自身,尽力尽责,此为尽忠。然而,若因被敌人击败而让其逃脱,或因意外独自死去,则不仅使主君损失一名武士,亦使自身平生修习化为乌有,尸骨之上亦留遗恨,故同归于尽在战场上亦非损失。
若奉主君之命讨敌,即便舍命讨伐主君深恶之罪人,亦无遗憾。反之,若我战死而罪人逃脱,使主君更加愤怒,则不仅使主君损失一名武士,亦使自身蒙羞而死,远不如同归于尽。
争吵决斗中,同归于尽亦为善终。若是被敌人斩杀而让其逃脱,连累近亲劳苦,最终依赖亲族之力报仇者,十之六七皆是如此。此非怯懦之病,而是因平日无心,总以为万事如意,粗心大意度日之人常有之事。
无论先死后死,面对敌人,即便在夜半惊醒之时,亦必当场斩杀,我亦被杀,此乃理所当然,又有何恨何念?此更非武士之耻。
此心得を以て、余は相討を最初の手引として、兵法を伝ふる也。上古より近代までの軍記どもを見るに、相討を心やすく思ひこめ、いつも相討よと心得たる武士は、一代運さへ尽ぬ程なれば、無類の勇を働きたる事限りもなし。自分を全うして勝を取らんと計りしたるものゝ、思ふまゝに勝を得たるは一人も見へず。相討さへ快くはならずして、片負け計りしたる類多し。惣別相討といふ事を、何の造作もなきやうに諸人の心得る事なれども、其場に臨んでは、相討を憚り嫌ひて、全き勝を得たく思ふもの也。常々かるく思ひこなしたる相討の、其場に臨んでは何としていやにはなるぞ。己が心に二種あるやうにて、更に不審なるぞと云所に工夫をつけて、常住不変の心の躰を備へて、諸事の理を求むる事専要也。
以此心得为基础,我将“相讨”作为最初的引导传授兵法。从上古到近代,翻阅诸多军记可以发现,那些将“相讨”视为平常之事、始终以“相讨”为信念的武士,往往能够在一生中展现出无与伦比的勇气。而那些只顾自保、试图以巧计取胜的人,却从未有人能够如愿以偿。即便是想要“相讨”,也未必能够顺利实现,反而常常以失败告终。虽然“相讨”在表面上看似简单,但真正面临战场时,人们往往会畏惧它、厌恶它,反而希望取得完全的胜利。然而,平时轻松看待“相讨”之人,当真正面临那种场合时,又怎么会感到厌恶呢?这是因为自己的内心中有两种互相矛盾的状态令人困惑,因此需要下功夫去修习,培养一颗常住不变的心,专注于探求事物的真理。
俗語に云ふ畑水練の類は、皆々意識のなす所也。意は真実のものに逢ては、必ず変じやすきものと知ベし。故に、一切の文字·学問者、見聞覚知ありて辨口のかしこき者、当流に第一きらふなり。見聞は耳目より入るなれば、大概は意に止りて意の覚知となりて、結局自然天生の心の妙を塞ぐもの也。尤先賢の遺著は皆々心理を示し道徳の門へ引入るベきのためにて、譬へば高きにのぼるの階の如くなるものなれば、好く学べば一段能き事なれども、近代の学者に、書面より入て天理の真心まで得取付きすましたる人終に承り及ばず。大形はいがたに泥みて、活然たる心の妙用を膠付のやうになして、自由を失ひ十方を辨へず、一方にさへ暗きやうに見ゆる学者のみ多し。諸人の師となりて高慢をする学者·老儒さへ如此なれば、夫を師と仰てかゞみ学ぶ弟子分の人に、千人に一人も本心を悟り天理を見聞て、大道に志の移る程の学者はあるべからず。
俗语中所谓的“畑水練”(在旱地练习游泳,纸上谈兵之意)之类,都是意识的训练。意识在面对真实事物时,必然会发生变化。因此,我流派最厌恶的就是那些满腹经纶、能言善辩的学者。见闻虽然通过耳目进入心中,但大多停留在这意识层面,最终会遮蔽自然天生的心灵之妙。先贤的遗著大多是为了揭示心理、引导人们进入道德之门,就像攀登高处的阶梯一样,认真学习固然有益,但近代学者中,能够从书本中领悟天理真心的人却几乎没有。大多数人只是拘泥于形式,将活然的心灵妙用束缚住,失去自由,无法全方面理解事物,甚至连其中一方面都搞不清楚的学着也很多。那些成为众人之师、自高自大的学者和老儒尚且如此,更何况那些以他们为师、学习效仿的弟子们呢?千人之中,也未必有一人能够悟得本心、洞察天理,志于大道。
然れば皆耳だこのあたり、目功のつみたる意識の智解を高ぶり、自己を向上に思ひ誤り、人を目八分に見落して、舌和らかに口かしこく、聖賢·仏祖の言語のうはさばなしの利発に聞へたるまで也。若しかやうの人は、当流を望まるゝとも、達て辞して流へ入れぬが肝要なれども、是非共辞すべき道なくして弟子分に入るゝならば、旧学の意に染み著きたるをそろそろ削り捨て、幾年月を経てなりとも、自己の積非をよく明らめ悔み、元来無学の時の良心に立帰るやうの手引専要なり。当流は無色声香味触法の中より出たるものなるを、此理か彼の理かと理を種として求んとすれば、無法の中に法識を生じて、却て流の障となる。其外色より求め、調子より窺ひ、味もなき処に味を付て、味より食ひ入らんとする類、ことごどく無学の人には稀にして、学者に多き病也。
因此,这些人只是耳濡目染,积累了一些肤浅的知识,却误以为自己已经进步,轻视他人,口齿伶俐,善于引用圣贤、佛祖的言语,显得聪明伶俐。如果这样的人想要加入我流派,必须拒绝这非常重要。如果实在无法推辞而收为弟子,则需要逐步削除他们旧有的学问意识,经过多年努力,让他们彻底反省自己的错误,回归到原本无学时的良心状态。本流派是从无色声香味触法之中产生的,如果试图用逻辑去理解它,反而会在无法中生出法识,成为修行的障碍。此外,那些从外在中强求意义的人,往往是学者常见的毛病,而非无学之人。
一切の書中に在る向上の語には、其道徳体用の成就を脇より讚嘆して云たる事多きもの也。たとへば孔子を子貢がほめ奉りて、温良恭謙譲と云も、孔子の温良恭謙譲をそのまゝ取も直さず言出したる語なれば、今の学者の温良恭謙譲の字心を求めて、温良恭謙譲の徳を満てんとする便りにはなるべからず。鑽ればいよいよ堅し、仰げばいよいよ高し、前にあるかとすれば忽然として後にありといはれたるは、顔子分上の道徳にて、鑽て堅きを知り、仰て高きを知り、前を見て後にあるを知る、これ皆顔子の分上にて、孔子をうかゞふの語なり。
一切书中所说的向上之语,大多是从侧面赞美和描述道德体用的成就。例如,子贡赞美孔子“温良恭俭让”,这只是对孔子品德的描述,而非学者们通过钻研“温良恭俭让”这几个字就能达到的境界。颜子曾说:“钻之弥坚,仰之弥高,瞻之在前,忽焉在后。”这是颜子对孔子道德的体会,而非通过钻研仰望就能理解的东西。这些都是颜子的境界,而非孔子本身。
我が身顔子にあらざれば、堅きも高きも合点はあるまじ。此類の語、書中に際限もなし。又もろもろの字註、或は主一無適は敬也と知て、主一無適をつとめて敬をみつるなどゝ云ひ、或は純一無雑は誠也とて、純一無雑を勤めて誠にならんとする学者は、却て敬誠に遠し。字を註して見るときは、主一無適は敬の字の心よく聞こへ、純一無雑は誠の字の心よく聴ゆ。然れども字註に便りて、身心誠敬にはなりがたし。真実誠敬なる人は、自然に主一無適·純一無雑の所が有るなり。此時にこそ、前賢の註の偽りならぬを自知すべし。
我不是颜子,无论“坚”还是“高”,我都无法真正理解。这类话语在书中无穷无尽。此外,许多字句的注释,比如“主一无适便是敬”,有人知道这一点后,便努力做到“主一无适”,试图以此达到“敬”;又比如“纯一无杂便是诚”,有人便努力做到“纯一无杂”,试图以此达到“诚”。然而,这样的学者反而离“敬”和“诚”越来越远。从字句注释来看,“主一无适”确实很好地表达了“敬”的含义,“纯一无杂”也确实很好地表达了“诚”的含义。然而,仅仅依靠字句注释,身心却难以真正达到“诚”和“敬”的境界。真正“诚敬”的人,自然会做到“主一无适”和“纯一无杂”。只有到了这种境界,才能真正明白前贤注释的真实性。
身一つに心二つあるやうにて、時々刻々境に依り物に応じて、平生の了簡と相違する人は、いかほど博学たりとも、皆意識学者の文字故事をおぼえたる分なり。別に頼もしき事もなし。常住不変·内外一般に成就して、夢中とても今日に一毫もたがはず、常も変も一同に落着して、臨終一息截断の際迄も、常にかはらぬやうになりたらば、たとへ文盲の人にても、学者と同意也。若し又学者に有らば、真実の学者なるべし。
如果一个人身心分裂,随着时间和环境的变化,言行与平时的理解相违背,那么无论他多么博学,也只是记住了文字和故事的学者而已,并没有什么值得信赖的地方。如果一个人能够常住不变、内外一致,即使在梦中也不会有丝毫偏差,无论常态还是变化都能统一,直到临终最后一刻也能保持一贯,那么即使他是文盲,也与学者无异。如果他是学者,那便是一个真正的学者。
凡そ心理を究め天命を知るとならば、たとへ天地が微塵となるとも、聊か変動する気は自己に有べからず。況んや其外の一切有為世界の諸慾の上にて論ぜば、天下を授受するの所に至りても、義と不義とを了簡するは格別、是が為に慾心を動かして、天理に迷ふ裁判は有間敷事なるに、夫程の大きなる事にも無き、僅かの地震雷動にも夥く膽をつぶし、或は僅か二三百或は四五百石の知行分限の沙汰にさへ欲心動きて、兼てより所持する人は、失はん事を恐れて義に暗みたる言行を為し、始めより所持せぬ輩は、是を求め得んが為に義を忘れて人に諂ひ、片息になつてかけ走る。一生の面々の命数は長く取て六十年、その中を三十年四十年は我物にして積重ね来るなれば、忽ち只今に死に及ぶとも、損と云程の事もなし。其上今日の義必に究まりたらば、脇目を使ふベき子細もなきに、耻を忘れて穴隙をくゞりてなりとも死を遁るゝ謀、生を延ぶる術を成す類、近来の学者に卓散ある事也。愚の上の至愚、言語同断たる所なるべし。
若究明心理、知晓天命,那么即使天地化为微尘,自己也不会有丝毫动摇。更何况在世间一切的欲望之上,即使是接受或放弃天下这样的大事,也不过是分辨义与不义而已,绝不会因为欲望而迷失天理。然而,那些连地震、雷声都会吓得胆战心惊,或者为了区区二三百石、四五百石的俸禄而动心的人,因为害怕失去而做出违背义理的言行,或者为了得到这些而忘记义理、谄媚他人,甚至拼命奔走。人的一生最多不过六十年,其中三四十年是自己的不断积累,即使突然死去,也没有什么损失。更何况,如今义理已经明确,就不应该分心他顾。然而那些忘记羞耻、钻漏洞试图逃避死亡延长生命的人,在近来的学者中比比皆是。这是愚昧中的极致,言语都无法形容。
学問をして知りたき事は、第一に天理、さては我心性·情意·気神·魂魄·命運·時数なり。大概の学者を見るに、よその心性·情意·気神·魂魄の沙汰は明かに耳も澄む程に談じて、自己の心性·情意·気神·魂魄の沙汰一円あきらかならず。よその命運·時数は、埒明き顔し
て迷はず発明だてを語らるれども、自己の命運·時数に通じたる学者は稀也。当流修行の面々、さのみ学問者をうらやみ玉ふベからず。
想要了解学问最重要的就是天理,其次是自己的心性、情意、气神、魂魄、命运、时数。 观察大多数学者,他们能够清晰地谈论他人的心性、情意、气神、魂魄,仿佛耳朵都竖起来听,却对自己的心性、情意、气神、魂魄一无所知。他们能够毫不迷茫地谈论他人的命运和时数,但真正了解自己命运和时数的学者却很少。因此,我流派的修行者们不必羡慕这些学者。
面々が二三歳の時、母に懐かれ母の乳ぶさをひねりて乳を飲たる時分が、良知良能と云ふ天理自然の妙用ありて我に足れり。這の良知良能にて、我が一生の間六十年七十年にても、万物に応じて自己十分の用に足る筈のものなれども、五六歲の時よりそろそろ良知を失て、外に智解と云もの出来て、良能をば忘れて、才覚働の所作かしこくなる程に、漸々に失てあと形もなくなしたり。
在我们两三岁时,被母亲抱在怀里,扭动母亲的乳房喝奶的时候,就已经具备了“良知良能”(孟子所说的“不学而能的是良能,不虑而知的是良知”),这是天理自然的妙用,已经足够我们一生使用。凭借这良知良能,即使活到六七十岁,我们也能够应对万物,满足自己的需求。然而,从五六岁开始,我们逐渐失去了良知,外在的智开始显现,忘记了良能,变得越来越依赖才觉和技巧,最终完全失去良知良能。
聖人の教へ玉ふ言語には、赤子にかへれと云事は見へね共、赤子の良心に帰りたる輩あらば聖門にても容すべし。老子はすでに嬰児に復帰せよと教へ玉ふなれば、云に不及、又当流の稽古初めより極意まで、赤子の心と所作とに本づきて修行す。敵に向って太刀討すといへども、早からず遅からず、好き加減といふ事もなく、我が自然の常の受用にまかせ、強からず弱かラず、能きかげんと云事もなく、此又自然に任す。勇気の俄に張り発する事もなく、又怯を示さず、敵を不見我を不覚、畢竟近く取て、たとへていはゞ、朝夕の物を喰ふ時に膳に向て箸を取る手の内、太刀を取るに好し。飯に向て箸を取直して喰ふ心にて、敵に向つて太刀を用るまでの働の外には、何なりとも一毫も添ヘ足すものはなし。若し少しそへたすものあれば、当流成就の人には非ず。此所を言んとては、太極本然の位或は無為の所作、或は恬淡虚無などゝ語るによつて、聞く人其語に取付き迷ふて、弥々正理を失ふ也。
圣人的教诲中虽然没有直接说要回归赤子之心,但如果有人能够回归赤子的良心,圣门也一定会接纳。老子则明确教导要回归婴儿状态,这更不用说。我流派的修行从初学到极意,都是以赤子的心和行为为基础。即使与敌人挥刀相向,不快也不慢,没有刻意的喜好,只是顺应自然的常态;不强也不弱,没有刻意的调整,完全任其自然。不会突然爆发勇气,也不会表现怯懦,不见敌人,不觉自我,最终只是接近。就像每天吃饭时拿起筷子一样自然,用刀也是如此。面对敌人时,心如同拿起筷子吃饭一样自然,除此之外,没有任何多余的动作。如果有一丝一毫的多余都能算是习得本流之人。如果要进一步解释这一点,而用“太极本然之位”或“无为之所作”或“恬淡虚无”等词语来描述,反而会让听者迷惑,越来越偏离正理。
惣別心病の名目、卓散に前賢の書に載せ置き、其心病の薬法·薬味も品々に論じ説きおかるれども、病名と薬名とばかりを目にて見知りたるとて、病を療する術に暗ければ、無用の事となる也。面々に赤子の時に帰りて見れば、天地の破裂するにも目まじろがぬ大勇も貝りて、歴々たり。天下を得ても悦びとせず、失ふても憂へぬ大義もあり、一切世間有為諸欲のたぐひ一箇も赤子の心に感ずる事なく、是が為に中の動く事は更になし。
总的来说心病的名称在前贤的书籍中记载了很多,治疗心病的方法和药物也被详细讨论。 然而,如果只是通过眼睛看到病名和药名,却不知道如何治疗疾病,那么这些知识就毫无用处。如果每个人都能回归到赤子的状态,就会发现,即使天地破裂也不会眨眼的勇气,早已存在于心中。即使得到天下也不会感到喜悦,失去天下也不会感到忧虑的大义,也早已存在。一切世间的欲望,都无法触动赤子之心,因此内心不会因此而动摇。
然れども飢ては乳を飲み、飽ては乳を離れ、乳の出かぬればひねり出し、一気の運動にまかせて、自然と手足の伸び屈みをなして、今日我に当然の用に事欠けぬ程の真知の働きは自由に備る。此の気を浩然と云はゞ、浩然にもなるべし。こゝを主一無適とも、純一無雑とも云べし。敬といはね共、敬也。誠と知らねども、誠なり。放心と嫌ふべきものもなく、閑思雑慮と忌むベきやうもなし。本より不偏不倚なれば、過不及もなし。不忠·不孝·不和·不信·不義と云ふベきもの一つもなし。
赤子饿了就会喝奶,饱了就会停止,奶水不足时就会扭动乳房,完全顺应自然的运动,手脚自然地伸展和弯曲,如今我也能够自由地运用这种真知的能力。此确实便是浩然之气。此便可称为“主一无适”或“纯一无杂”。即使不称之为“敬”,也是敬;即使不称之为“诚”,也是诚。即使迷茫没有什么需要厌恶的,即使闲思杂虑也没有什么需要忌讳的。因为这本来就是不偏不倚的,所以没有过度或不足。也没有任何不忠、不孝、不和、不信、不义的行为。
只願くば深入を止めて、如此身近き面々の、赤子の時へ立帰て、工夫を着て修行せば、書物学よりは却て早く、天理大道の本分を辨ふる事もあるべし。惣別、今日即今の用に非る事を言ふを、閑言語といふ。此れ道人の上にはなきもの也。赤子にもなし。今日の用にあらざる事を所作にするを、閑事業といふ。道人の上にはなき事也。赤子にもなし。
只要停止深入探究,回归到赤子的状态,专心修行,就能比读书学习更快地领悟天理和大道的本分。总的来说,谈论与今天无关的事情,被称为闲言语,这在修道者身上是不存在的,赤子也没有。做与今天无关的事情,被称为闲事业,这在修道者身上也是不存在的,赤子也没有。
仏法には輪廻といふ教をたてゝ、過ぎ去る事に心をひかるゝを、輪廻とて払ひ捨て、未だ来らざるに心を運ぶも、輪廻とて払ひ除て、只即今即心の妙に眼を看るを、端的とて専に修行す。端的の外は輪廻と払ひ捨たる修行は、尤も至当の業なり。儒に日用事物当然の理とて肝要にするも、只今眼にも見へぬ事々、耳にも聞へぬ物々は、当然も不当然も論に不及、目に見へ耳に只今聞へ、形に只今触るゝ上に於て、事物当然の理をのつとり行ふが、修行の上の専要とす。これ又、端的といふと同じ物也。
佛法中提出了轮回的教义,将心系于过去的事情在轮回中将其抛弃;将心系于未来的事情也在轮回中将其排除。只专注于当下的妙处,专心的修行“端的”。除此之外,其他一切都在轮回中抛弃,这是最恰当的修行方式。儒家强调日用事物当行之理,那些看不见、听不到的事物,是否当然也不去讨论。只有在眼前看到、耳边听到、手中触摸的事物上,实践当然之理,才是修行的核心。这与“端的”是相同的。
大人に教を施す故に、言を設けて端的の当然のと、口手間も取るなり。赤子の心は、皆々端的当然の外に、跡へもどり或は先きを取越す心は一毫もなし。
因为要向成年人传授,所以需要用语言来解释“端的”和“当然”,但这只是口头的表达。赤子的心完全专注于“端的”和“当然”,没有任何回溯过去或超越未来的念头。
凡そ太刀を取て敵に向はゞ、別の事は更になし。其間遠くば、太刀の当る所まで行べし。行つきたらば、打べし。其間近くば、其まゝ打べし。何の思惟も入るべからず。然るに敵を一目見て、目付と云事を定め、其間の遠近に慮を加へ、活地、死地の了簡を生じ、或は太刀の長短の寸尺に泥み、其上に与へ、奪ひ、うかがひ、劫し、動かし、擒め、縱るめ、遅速品々の習ひ心どもを発して、上手めかしく働く。
如果与敌人刀剑相向,没有其他事情需要考虑。如果距离远,就走到刀能触及的地方;如果距离近,就直接挥刀。不需要任何思考。然而,有些人一看到敌人,就定下目光,考虑距离的远近,判断活地和死地,纠结于刀的长短,再加上各种技巧,如引导、夺取、窥探、劫持、动摇、控制、放纵、快慢等,试图表现得高明。
如此の心入れに、天理本分の良知良能は聊もきざすべからざるに、如此取扱ふ流の人などの、向上を談じ聖仏の言句などを引言にして、心を説き気を談じて極意のやうにせらるゝは、耻の上の耻なれども、自己心元来明かならぬ上に、暗師の伝を受て弥々意識の増長したる輩なれば、尤とも云べし。金屑眼に入て翳となるといふは、畢竟聖仏の言句、いかやうの向上なる言も、心上にとゞむれば障りとなるのたとへ也。
在这种心态下,天理本分的良知良能完全无法发挥作用,那些以谈论向上、引用圣贤和佛祖的言句为借口,谈论心和气,试图表现自己达到极意的人是可耻的。他们原本就不明白自己的心,又接受了错误的教导,导致意识越来越膨胀。正如金屑进入眼睛会形成翳障一样,圣贤和佛祖的言句,无论多么高深,如果停留在心上,反而会成为障碍。
それ心と云は、密に蔵るゝときは声色臭味に下らず。推し弘むれば、天地に充満し古今に通徹して、縦横無礙なり。其妙、凡聖一致、己れに何ぞ無らん。此則ち学解修行の力に依て得るには非ず。元来受生の初より此心ありて、赤子の時は凡聖一般なり。此所に立帰りて、自己の良心を観得するの外には、皆迂遠にしてむつかしき無用の学文なりと、余は思ひ寄るなり。いはれざる学知のくせにて、生死の沙汰を不断擔ひて今日の用に滞り、目にも見へず其境も未だ臨まぬ勝負にしばられて、端的の理を余所目に見る輩は何とやらん。その模様異相にして言語も穏かならず、起居も楚忽になり、内心は我執強くして人をさげすみ、我に勝れるをばそねみ、我に劣れるをば侮り、人柄を失ふ類も多し。
心在隐秘时,不会落入声色臭味之中;若推广开来,则会充满天地,贯通古今,纵横无碍。其妙处,凡人与圣人都一样,自己怎么会没有呢?这并不是通过学习或修行获得的。从出生开始,这颗心就已经存在,赤子时凡圣并无区别。回归到这一点,观得自己的良心,除此之外,其他一切学问都是迂远而无用的。那些被未经历过的生死问题所困扰,被看不见、还未来临的胜负所束缚,忽视当下真理的人,他们的模样怪异,言语不稳,起居粗忽,内心充满我执,轻视他人,嫉妒比自己强的人,嘲笑比自己弱的人,失去了作为人的品格。
当流修行の人、かりそめにも勝負を心にかけらるべからず。勝負は勝負のいる時の事にして、其場に臨て随分の不出来にて、相討なれば苦しからず。生死の沙汰は、一入取こし法問とて、いかやうの知識が云ても、実の己が生死の為には何の益にもならず。尤、智識は問ても答へぬものなり。死は死に打任せて、死する迄は生る事、是又凡聖同事なり。其間の今日々々の端的々々と行懸る間に、或は火難·水難·病難·剣難、其外種々の難に逢ふ今日もあり。又其うらなれば、高位に昇り、高官を経、重禄を受け、其外種々の幸に逢ふ今日もあるべし。一生の間、吉凶くるりるりと車のめぐる如くに、天の時と同くめぐる所へ行きかゝる我が身なるものを、己がためによき事ばかり許りに逢て、あしき事には逢はざるやうにとするは、至極の愚なり。
我流派的修行者,绝不应轻易将胜负放在心上。胜负是胜负之时的事情,当真正面对时,即使表现不佳,甚至同归于尽,也不必感到痛苦。生死的问题,即使向智者请教,无论他们如何解释,对自己的生死也毫无益处。毕竟,智者也无法回答生死的问题。死亡就交给死亡,活着的时候就好好活着,这是凡圣共同的事情。在这期间,每天专注于当下,可能会遇到火灾、水灾、疾病、刀剑之难,也可能会遇到升官发财、享受荣华富贵的幸运时刻。一生中,吉凶祸福如同车轮般循环往复,与天时同步。如果只希望遇到好事,而逃避坏事,那是极其愚蠢的。
無心にして行懸りにして見るに、死に行かゝらば死する迄よ。何と斟酌しても、天理ゆるすべからず。難の日に中らば難にあひ、吉事に行きかゝらば吉事に逢ふまでよ。思案工夫に及ぶベき所には非ず。如此見る中に、義と不義とを知るは、学知の徳なるべし。平生柔和忍辱を第一として能く衆に交り、高慢の心を砕て謙遜辞退にわが身を置き、礼義を自己の分よりは厚く尽し、虚論を好まず我を立てず、諸流をそしらず、約束を変ぜず、道だてをせず、尤も諂はず。無事淳直の心より無事淳直の働き計りつとめて、未練の時は誰にも打るべし、いかほど打るゝとも恥恨むべからず、未練の当然なり。もしたまたま人を打ても、未練の時打たるは理には当らず、時の幸なるべしと心得て、少しも自慢すべからず。年月を累ぬる自然の鍛練を得て、本然の勝を見るべし。
以无心的态度去面对生活,如果遇到死亡,就坦然接受;如果遇到灾难,就面对灾难;如果遇到好事,就享受好事。不需要过多的思虑和谋划。在这样的过程中,能够分辨义与不义,才是学问的功德。平时应以柔和忍辱为第一要务来与人交往,摒弃傲慢之心,保持谦逊退让,尽礼义之责,不喜虚论,不自以为是,不诽谤其他流派,不违背约定,不刻意标榜自己,更不谄媚他人。以淳朴正直的心态,专注于淳朴正直的行为。在未熟练时,可以向任何人请教,即使被打败也不应感到羞耻,因为这是理所当然的。即使偶尔打败了别人,也应明白这是偶然的幸运,不应自满。通过多年的自然锻炼,才能看到真正的胜利。
当流修行の人の中にも品々あるべし。天生意識さかしく見聞知の発明なる人は、早く相弟子中をも抜け、師にも褒られんと心得て、虚実にかまはず勉め行かば、次第に口を説く事も賢くなり、木刀を取て畳の上にて稽古一通りを所作する時は、残る所もなく諸非悉く去て、天晴れ見事なる兵法になる事もあるべし。併、内徳初のまゝにて諸悪退かず、我執十分にて、一旦稽古の上の誉れ計りを意識にてたしなみ、繕ふて外見の見事なる分の心の人は、能の仕舞などの類にて、大切の場の仕合功者の古兵法者には負を取る事あるべし。是師の越度とも云難し。尤も流の疵に非ず。自分の修行の外見を第一にして、実にはまらざるの報ひなり。又或は実に能く合点して柔和も大概は調ふといへども、天生所作不器用にして、相弟子の会合、つねの稽古師の見る所もさのみ勝れぬやうにありても、大切の仕合場に臨み他流などに出合ては、思の外勝を見事に取る人も有べし。右の二種は、師も委く心を著て伺はねば、知れかぬる所なり。又或は意識さへ鈍にて、見聞の学知なく、所作不器用にして、血気の勇などは結句平人よりは強くして、わる我のある生れ付などの人は、稽古のはか行くべからず。仕相などに宜き事は、終にあるべからず。又或は修行年々月々上達し、心理発明にして凡情意識を尽し、大道本然の天理に近づき、平生の所作稽古も流の心を守り、実のしあひの場に臨みても、常の稽古のまゝにて少しも自己の了簡を加へず、内心教の如くに調て、いさゝ力勝負にわたらぬ人あるべし。当流上品の弟子也。終には師と相ぬけすベき器量なり。
我流派的修行者中也有各种类型。天生意识敏锐、见闻广博的人,如果能够迅速超越同门弟子,得到师父的赞扬,并且不介意虚名,努力修行,逐渐会变得口才出众,甚至在木刀练习中表现得无懈可击,成为出色的兵法家。然而,如果内心德行未改,恶习未除,我执深重,只在意练习中的虚名,外表光鲜但内心空虚,这种人就像能干的舞者一样,在关键时刻可能会输给古流派的兵法家。这很难说是师父的过错,也绝不是流派的缺陷。这是那些只注重修行外表而忽视内在实质的人所得到的报应。还有一些人,虽然内心领悟深刻,性格柔和,但天生动作笨拙,在同门练习中表现平平,师父也看不出他们有什么特别之处。然而,在关键时刻与其他流派对决时,他们却能出乎意料地取得胜利。这两种情况,师父如果不仔细观察,也难以察觉。
还有一些人,意识迟钝,缺乏见闻和学识,动作笨拙,但血气之勇比常人更强,性格刚烈。这种人很难在修行中取得进展,在实战中也难以取得好结果。
还有一些人,经过多年的修行,心理逐渐开悟,尽除凡情意识,接近大道的天理,平时的练习也严格遵守流派的心法,在实战中也能像平时练习一样,不加任何多余的思虑,内心如教义般调和,不轻易进行力与胜负的较量。这种人是我流派中的上品弟子,最终有望超越师父。
相ぬけと云事、他流にて古今沙汰せぬ事也。他流は昔年源義経より此方、兵法を三段に心得、我に劣るには勝ち、我に勝るには負け、我と同じやうなるには相討すと立てゝ、其中へ運命を取合せて沙汰し来る也。当流には、勝負へ運命の事は取合せぬなり。第一、我に勝れる者は世界になしと極めて、外は皆々我に不及、勝よと落着して、もし我が如くなるあらば、相ぬけよと立たり。故に弟子の修行年月をつみて、他流はいふに及ばず相弟子中にも不残自由三昧の勝をふるまうと云とも、師一人には勝つ事ならず。段々修行し年月を送る中に、師も又その一人に勝つ事ならぬやうに成られたる時、真実のしあひを師と弟子と仕て見るに、互にあたらぬ時を相ぬけと云なり。師には負れども他流には勝ち、相弟中の我が如くなるとは、互にあまらず勝負の分らぬが有とて、誰と我とは相ぬけよなどゝ云事はあるべからず。それは相ぬけと云ふ言葉をきゝ覚えたる分にて、実の相ぬけの理を心に知らぬ故なり。扨、当流に我より勝れたるはなしと立る事、何とやらん高慢のやうに聞ゆれども、少しも高慢にはあらず。前に論ずる如く、畜生心にて天理人道に暗く、又々人道を知るふりにしても、聊か聖意不案内にて意識我執の凡情の兵法ならば、いかほどの上手奇妙の名人たりといふとも、又その上々が有て果はあるべからず。其子細は、所作万殊なればなり。当流は聖に本づきて、聖意にはまる上は、聖は古今一聖にして二途なく、上古の聖も末代の聖も符節を合せたる如くにして一毫の差別なければ、いづれを勝れ何れを劣れりと云べき所もなし。聖と聖との出合なれば、いづれも相ぬけなり。若し聖より勝れたる人ありといはゞ、それには聖も負べきかなれども、聖と天理と一般なれば、外に又天理にも聖にも勝れてよきものあると云んは、異端也。然れば聖にあらざる人は、たとへ大賢なりといふ共、聖の次なれば、聖には負るの理なり。況んや凡情兵法の上手、或は畜生働きの所作きゝなどが、高天をかけり大地をくゞり雨をふらし霧を起すの奇妙をすればとて、当流などからそれを我に勝れる分にはいさゝかせぬ事也。此理をふまへにして日々夜々の工夫、只天理人欲のさかひを見分け、天理に本づいて人欲を捨て、聖の体用と一般になる修行成就の上にて、己れに勝れる師と相ぬけしたるを証拠印可とす。
“相抜”这一概念,在其他流派中从未被讨论过。其他流派自古以来,自源义经以来,将兵法分为三段:对弱于自己的对手必胜,对强于自己的对手必败,对与自己相当的对手则同归于尽。他们将命运与胜负联系在一起。然而,我流派并不将胜负与命运联系在一起。我们首先认定世界上没有人能超越自己,其他人都不及自己,因此必胜。如果遇到与自己相当的对手,则称之为“相抜”。
因此,弟子经过多年的修行,即使在其他流派或同门中能够轻松地取得胜利,也无法超越师父。随着修行的深入,师父也会逐渐变得无法被任何弟子超越。当师父与弟子进行真正的对决时,如果双方不分胜负,就称之为“相抜”。虽然弟子无法超越师父,但可以战胜其他流派的对手。在同门中,如果遇到与自己相当的对手,双方不分胜负,就不能称之为“相抜”。这是因为他们只是听说了“相抜”这个词,却并不理解其真正的含义。
我流派认为没有人能超越自己,这听起来可能有些傲慢,但实际上并非如此。正如前面所讨论的,如果只是凭借畜生般的心态,对天理和人道一无所知,或者假装了解人道,却对圣意一无所知,那么无论多么高明的兵法家,也无法达到极致。这是因为他们的行为千差万别。本流以圣人为基础,如果符合圣意,那么圣人古今如一,上古的圣人与末代的圣人完全一致,没有任何差别,因此无法说谁优谁劣。如果圣人与圣人相遇,双方都会“相抜”。如果有人声称能够超越圣人,那么圣人也会输给他,但圣人与天理是一体的,因此不可能有超越天理和圣人的存在。如果有人声称有超越天理和圣人的存在,那就是异端。
因此,即使是大贤之人,也只是次于圣人,自然会输给圣人。更何况那些凡情兵法中的高手,或者凭借畜生般的行为施展奇妙技巧的人,无论他们如何呼风唤雨,也无法超越我流派。我们基于这一理念,日夜修行,分辨天理与人欲,以天理为本,舍弃人欲,最终达到与圣人一致的修行成就。当弟子能够与超越自己的师父“相抜”时,这就是修行的证据和认可。
無智盲昧の人、世間一切の所作兵法を見馴たる眼にて、当流の柔和無拍子の稽古などを脇目より見ば、さまざま嘲り笑ふベし。必それを怒り憤る事なかれ。若又、太刀先へ懸つて直に負けて見たるものは膽をつぶし、在りとあらゆる不審を起して、神変か魔法外道か放下流の術かなどゝ、驚き褒め崇むべし。是亦聞入るゝ事なかれ。邪理邪道に迷ひ染み着て、人霊を失ひたる畜生心どもが眼に、善悪の見ゆベき子細はなき筈の流なり。つらつら思ふに、仏一代の説法も応機の方便なれば、品々かはるやうなれども、皆生死解脱、涅槃得楽の為の教なる故に、畢竟無差別にして、一仏の説く所に二途なき事は疑も無けれども、諸宗それぞれに甲乙の論を設け我執を懷で、我宗の沙汰は根元別の仏が説き初めたるぞと云様に争ひを起す。況や末世技芸の兵法などは、一流ごとに一人づゝ元祖かはつて、其面々の所得と天機のはたらきとの格別ある事なれば、善悪の批判議論のさまざまにある事は宜也。いづれの代、幾年経ても畜生兵法を取扱ふ中には、種々様々の上手下手の甲乙があるベし。
无知愚昧的人,用他们看惯世间一切行为和兵法的眼光,从侧面观察我流派柔和无节奏的练习时,可能会嘲笑和讥讽。但绝不要因此愤怒或愤慨。如果他们在刀剑对决中直接败北,可能会胆战心惊,产生各种疑惑,认为这是神变、魔法、外道或放下流的技巧,并感到惊讶、赞美甚至崇拜。但也不要因此得意或接受他们的赞美。
这是因为那些被邪理邪道迷惑、失去人性的畜生心态的人,无法分辨善恶。仔细思考,佛陀一生的说法都是应机施教的方便法门,虽然形式多样,但都是为了生死解脱和涅槃得乐,因此本质上并无差别,一佛所说没有二途。然而,各宗派却各自设立甲乙之论,怀着我执,争论自己宗派的教义是佛陀最初所说的。更何况末世的技艺和兵法,每个流派都有自己的元祖,各自的天机和所得也各不相同,因此对善恶的批判和议论是理所当然的。无论经过多少年,只要还有人使用畜生兵法,就会有各种各样的高低之分。
当流、夕雲を元祖として日本国中にすぐれ、一人一流の奇妙の兵法のやうに思ひなす事は、我執つよく至愚なる所存のやうに、他には嘲るべき所なり。然れども余あながちに贔屓の片意地を張るに非ず。段々子細のある事、後学のために記すもの也。其子細と云事仕、源義経奇異の兵法の上手と云はれ玉ふ根本は、洛陽の鬼一法眼が伝と見へたり。かの鬼一は其時代無双の兵法上手なり。鬼一法眼に伝を受て鞍馬に蟄居し、山法師の若者など聚めて時々刻々修行ありっる故に、義経は鞍馬山の天狗が伝を受られたる抔と云ふと見へたり。此鬼一法眼が一卷の兵書、鹿島の神殿へ納まる。扨、義経に馴れ交りたる山法師の中にも兵法器用の者など、世俗に教へ弘めなどして、そろそろ鞍馬流と云は鹿島などにもありて、神主や地侍等が取扱たると見へたり。何れの時代か、神殿に納まる所の鬼一が一卷の書を盗み出し、密に一覧するに、悉く鞍馬流の極意秘々中の秘伝の書也。これ則ち七書の中の六韜なる由を云伝るなり。此一卷を見て、兼々習ひ置たる流の上に、鬼一が直書の秘の旨を加へ、神刀流と名を改め、又は鹿島流とも称へて、鹿島の神主等其外地侍等に取扱ふ者出来て、卜伝もこの神刀流の別れ也。扨、神刀流より上泉伊勢と云者も、抜け出て名誉をあらはし、流の名を改て、神陰流とて世間へ弘む。これ則ち、兵法中興の元祖なり。
我流派以夕云为元祖,在日本国内独树一帜,被认为是顶流的奇妙的兵法。这种想法可能被认为是强烈的我执和极度的愚昧,可能会被他人嘲笑。然而,我并非出于偏执或固执己见,而是为了后学的需要,详细记录这些内容。
详细来说,源义经被称为奇异的兵法高手,其根本传承似乎来自洛阳的鬼一法眼。鬼一法眼是当时无双的兵法高手。源义经从鬼一法眼那里接受了传承,隐居在鞍马山,聚集了一众年轻的僧兵,日夜修行,因此也被称为接受了鞍马山天狗的传承。鬼一法眼的一卷兵书被供奉在鹿岛的神殿中。后来,与源义经交往的僧兵中,也有擅长兵法的人,他们在世俗中传授和推广兵法,逐渐形成了鞍马流,在鹿岛等地也有流传,神主和地侍等人都曾学习过。不知在哪个时代,有人从神殿中偷出了鬼一法眼的一卷书,秘密阅读后发现,这是鞍马流的极意秘传之书。据说这是《武经七书》中的《六韬》。这卷书被阅读后,结合之前学习的流派,加上鬼一法眼的直书秘旨,改名为神刀流,也称为鹿岛流,鹿岛的神主和地侍等人开始学习。卜传也是神刀流的分支。后来,神刀流的上泉伊势也脱颖而出,显赫一时,将流派改名为神阴流,并在世间广为流传。这就是兵法中兴的元祖。
この上泉に上品の弟子あり。挽田文五郎、柳生但馬、小笠原玄信、戸田清源、この四人は同年に印可を取たり。右四人の弟子共、国々処々に住て、名利を求むる畜生心を懷て師恩を忘れ、別にかはりて見付たる事もなけれども、世上にきゝふるしたる流の名にては珍しからず、諸人の信仰もなきを愁ひて、流の名を改めて、天竺·大唐よりも渡るか、又は神仏に直に習ひもしたるように云なして、我流は格別也と云へども、根本右の四人の中へ帰らぬ流は一流もなし。当世大概二百余流もあるやうに聞ゆ。皆々四人より出たり。四人を根本へ帰せば、上泉一人へ帰するなり。上泉は鬼一が流の末なれば、一源分れて万派となるといへども、其極意秘事とする所は一致に落るなり。右四人の中、小笠原玄信は俗名を上総と云ふ。子細ありて入唐し、漢士にて張良が戈の術と云ふを伝へ、古今日本流の兵法になき所の道理をまなんで、自己に八寸の延かねと云事を兵法に見出せり。此則、古今に勝れる鬼一が兵法にも、上泉が見所にもなき所なれば、日本無双と云もふまへある事也。帰朝ののち昔の相弟子挽田面会して所作を試んとすれども、上泉伝の印可分にて、立場の一足をも動かす事挽田もならずして、奇異の感歎浅からず。其後柳生に相対して試んと云へば、但州の挨拶には、中々立くらぶるに不及、自分は今に於て上泉伝を守るの外は別の了簡なし、近年沢庵和尚に参じて禅法を学び、不動智など取あつかふといへども、其方の只今の兵法の理に立向て勝を得ベき覚へなし、奇妙の兵法ぞと深く嘆美して、終に試みもなし。それより後、日本国中頭を挙るほどの兵法には出合々々して試るに、一人として玄信に勝たるものなし。
上泉信纲有四位杰出的弟子:挽田文五郎、柳生但马、小笠原玄信和户田清源。这四人在同一年获得了印可。这四位弟子分别住在不同的地方,怀着追求名利的畜生心态,忘记了师恩,没有做出任何特别的贡献。虽然没有任何特别的变化,但缺乏人们的信仰,因此他们改流派名称,声称自己的流派是从天竺或唐土传来,或者是直接从神佛那里学来的,声称自己的流派与众不同。然而这四人实际上都是这一流。据说当今大约有二百多个流派,但都出自这四人。归根结底,这四人都归于上泉信纲一人。上泉信纲是鬼一法眼流派的末流,虽然从个一源头分出了万派,但其极意和秘传是一致的。
在这四人中,小笠原玄信俗名上总因某种原因前往唐土,在汉地学习了张良的戈术,学到了古今日本流派兵法中没有的道理,并在兵法中发现了“八寸之延曲”。这是古今鬼一兵法和上泉信纲的见识中所没有的,因此可以说是日本无双。回国后,小笠原玄信想与昔日的同门挽田文五郎会面并比试,在上泉信纲的印可之上,挽田的认知也未改变,对此感到非常惊奇和感叹。后来,小笠原玄信想与柳生但马比试,但柳生但马表示自己至今也仍遵守上泉信纲的传承,没有其他见解,近年来跟随泽庵和尚学习禅法,虽然掌握了不动智,但面对小笠原玄信当前的兵法理论,无法取胜,深感其兵法的奇妙,最终没有比试。
此后,小笠原玄信在日本国内与有名望的兵法家比试,没有一人能够胜过他。
老师的老师不是我老师,贬损别人的时候一起带上
余が先師夕雲は、初め玄信が弟子にして、八寸の延びかねを自得せられけれども、悉く捨払て、只今皆々の稽古せらるゝ無為の兵法を以て、玄信に立場をも動かさせず、自由自在のふるまひありて、其外世間一切の兵法者、終に手に障りたる者なし。宜なる哉、諸流一源に帰す。その一源の上泉伝を、玄信破る。其玄信を夕雲やぶらる。尤、何れも向上にてはあるべけれども、玄信とても八寸の延がね、張良が戈の術の心などゝ、云を以て見れば、皆々より所のふまへある兵法なれば、聖意にあらず。畜生兵法と云程にいやしくはあるまじけれども、能き分にて大賢分上なるべし。夕雲大悟の意は聖に疑ひ無しと、余が信ずる事段々前に云ふが如し。其理兵法にあらず、其所作兵法にあらず。萬端兵法めかしき事はなくて、天狗魔神の如くなる人をも十分に勝を取て、自由三昧をはたらくなれば、古今一人と云より外はあるべからず。
我的先师夕云,最初是小笠原玄信的弟子,掌握了“八寸之延曲”,但后来完全舍弃了这些技巧,专注于现在大家所练习的无为兵法。小笠原玄信的立场未有改动,行动自如,世间一切兵法家都无法与他抗衡。这是理所当然的,因为所有流派都归于一个源头。这个源头就是上泉信纲的传承,小笠原玄信打破了上泉信纲的传承,而夕云又打破了小笠原玄信的传承。
虽然这些都是向上的进步,但小笠原玄信的“八寸之延曲”和张良的戈术,从某种角度来看,仍然是有局限的兵法,不符合圣意。谈不上是畜生兵法,应当属于大贤的境界。夕云的大悟无疑符合圣意,正如我之前所说的那样。他的理和所作都不是兵法,没有任何兵法的痕迹,却能战胜天狗和魔神般的人物,自由自在地施展技艺,古今除他一人之外再无他人。
和原始流派进行切割。前面自己还说“神仙托梦”“天狗传授”是妄言,现在自己又标榜可以战胜天狗魔神般的人。
いかやうに奇妙不思議の兵法者出来たりとも、至極にて当流と相ぬけの外に当流に勝つ事あるべからず。自然の者相ぬけならば、それも兵法大悟の人なるべし。さりながら天に日月ありて、終に日二つ、月二つ一度に出たる例はなし。もし出るとも、一つは変邪の躰なれば、能々日に似たりとも、終には自滅すべし。仏在世に仏は唯我独尊にて、一世に二仏は生ぜず。この理を以て見れば、当流相弟子中にも、同じやうの者一世に二人はあるべからず。況んや、他流の修行力を以て、当流の内意に徹して相ぬけやん事は更にあるべからず。他流平生の意をみるに、海を渡るに車を用ひ、陸を行くに舟を漕ぐが如し。始中終の心入の相違したる事は、雲泥水火の如くなればなり。書つゝくる中に、此所に於て別に段を立たるは、余が思ひよる所に子細ありて也。言句いやしく、文盲なる言分なりと雖も、此段には、別に工夫を著て見玉ふベき深き旨あり。
无论多么奇妙不可思议的兵法家出现,只有达极致者能与本流达到相抜之外,要么根本无法胜过本流。如果有人能够相抜,那也是已彻悟兵法之人。然而,正如天上有日月,但从未同时出现两个太阳或两个月亮,即便有,也必定是虚妄之象,即便再像太阳,最终也会自我毁灭。
佛陀在世时是‘唯我独尊’的,一世之中不会出现两位佛陀。由此可见,在本流的门徒中,同样境界的人一世之间不会出现两人,更何况他流之人,仅凭修行的力量就能彻悟本流的内在真意相抜,这是绝对不可能的。
观他流的修行方式,就如同渡海却使用车轮、行陆却划船一般,起点、中途、终点的理解皆有巨大差异,如云泥之别、水火之异。因此,在这篇书写之中,特意在此立下独立一段,是因为我对此有深思熟虑的考量。即便言辞粗浅、文句朴拙,此段亦蕴含深远的道理,希望能加以深入思考。
其实相当于给自己叠了一层buff。别人知道这个流派推崇和人同归于尽,就会避免和其发生争斗。而即使发生争斗赢了自不必说,输了或者双输则说对方亦至相拔之境、对方相拔之境在我上。
たとへば、月を指して大きさ如何程に見たるぞと問ふに、大小の見様の相違夫々にあり。是は月は一輪にてかはらねども、見る人々の心のかはりと見へたり。又盲人に象を一撫つゝ撫させて、象はいかやうの物ぞと問ふに、頭を撫て知れるものは、頭の事許りを云て、象の全体のやうに語る。尾ばかり撫たる盲人は、尾の事ばかり知て、象の全躰を争ふ。その外牙爪手足脊骨ひばら、夫々に一撫づゝ手のさはりて、己に覚へあるを象と開悟すれども、開悟の盲人同士が聚て象を論ずる時は、爪は牙と同じやうならず、頭が尾と一つにてもなく、手が脊骨にも似ず、足とひばらは格別なれば、互に論は止むべからず。其云処も象を云、其撫で覚へたるも象を撫て知りたれども、合せて論じて見る時は、烏を鷺と云程に違ひたるやうに疑ふ心面々にありて、目明きの只一目に象の全体を見たるやうに明かにてはなし。然れば盲人の撫で知りたる象は、象中の一事なり。いかほど合せて言ても、皆々象の道具では有て象ではなし。目明きの一目見たるが象の全躰にて、種々に論ずる者共もその中に在りと云事を目明きは知る也。
比如,指着月亮问它看起来有多大,每个人的看法都不同。这是因为月亮虽然只有一个,但看的人心态不同。又如让盲人摸象,问他们象是什么样子。摸到头的盲人只会说头的事,却以为自己在描述整个象。只摸到尾巴的盲人只会说尾巴的事,却以为自己知道整个象。其他摸到牙、爪、手足、脊骨、腹部的盲人,各自根据自己摸到的部分来描述象。然而,当这些盲人聚在一起讨论象时,他们会发现爪与牙不同,头与尾不同,手与脊骨不同,足与腹部也不同,因此争论不休。他们所说的都是象,他们摸到的也是象,但合在一起讨论时,却像把乌鸦说成白鹭一样,彼此怀疑。这与明目之人一眼看到整个象的情况完全不同。因此,盲人摸到的象只是象的一部分。无论他们如何合在一起讨论,都只是象的局部,而不是整个象。明目之人一眼看到的才是整个象,而各种议论之人所说不过是其中的一部分,唯有明目者方能识得此理。
かやうの事、諸芸の理にあるべし。就中心地の沙汰をして諸人の師と成りて、我は本の心地を知りたると思ふ類の中に、盲人の象探りがあらんかと疑しき事ども也。当流の兵法は、師に向ひて相ぬけをして印可を受るなれば、象の全体を見たるに粉れはなし。いまだ相ぬけなき中に、いかやうに発明にしても、象中の一色を撫て覚へたる盲人の象の全体を知らぬに同じ事と心得たまふべし。当流の中の事にてはありながら、当流の全躰をば尽さぬ所があるべし。いがたなくて手離れのしたる兵法故、当流には他流よりは結句心得違ひありて、正脈を取失ふ紛れ者の出来らん事を深く恐れて、此一卷を記す。文にかゝはらず辞つゞきたしなまず、只愚意の存する所、幷に先師夕雲の物語にせられたる事抔を取集め書残し、当流修行する人の為と思ふ迄也。真実当流に志深き人ならば、此書を一覧の度々に、夕雲·一雲同座の閑談に会する心にて読玉はゞ幸甚。
这种事情在各种技艺中都有。特别是在心性修行中,有些人自以为已经掌握了根本的心性,却可能像盲人摸象一样,只掌握了部分真理。我流派的兵法,通过与师父相抜获得印可,就像明目者一眼看到整个象一样,没有任何疑惑。在没有相抜的情况下,无论多么高明,也只是像盲人摸到象的一部分一样,无法了解整个象。
此虽属本流之事,然亦可能并未尽本流之全貌。由于本流是无形的、自由的兵法,可能会比其他流派更容易产生误解,甚至偏离正脉。因此,我深感忧虑,写下这一卷书。虽然文辞不工整,言辞不修饰,但我只是将我愚钝的想法和先师夕云的故事记录下来,供我流派修行者参考。
若有真正志于本流之人,每次阅读此书时,都能像与夕云、一云同座闲谈一样,那将是我最大的荣幸。
無住心剣元祖針谷夕雲伝法嫡子
小出切一雲 誌焉