【竹花诺特的诞生】如今的世界是自由之道。(自己选择的道路)、所以怎样努力都不会厌
枫叶之愿
2021年12月24日 20:54

感谢@网页链接​  的翻译,在wiki上找到一篇介绍,由于涉塔,地址就不放了,原文放于文后。

2019/07/18

株式会社いろはにぽぺと multi-creator 竹花note

使用电脑绘画的角色来直播的Vtuber正备受瞩目。在其中被称为“八美肉(虚拟美少女受肉)”的类别中,男性在虚拟中使用女性的角色演出,有着各种各样的直播形式,是涌现了诸多人气角色的“御宅”的类别。其中倍有人气的有着猫耳一般的“兽耳”、身着女仆装的美少女角色---那就是,作为虚拟youtuber活跃的竹花note的姿态。

竹花note不仅使用自己设计的角色作为Vtuber活动, 还担任其他Vtuber的角色设计,作为画师绘制轻小说的插画, 担任social game、电脑游戏等的原画·图画制作 以及孕育了许许多多的作品。(此处选词可以斟酌,制作的同义词即可

2019年7月现在,推特的粉丝数已迫近17万,Youtube的频道粉丝数也已然超3.5万人了,但实际上竹花note开始作画已然是20岁过后的事情了。虽然不是说讨厌绘画,并不是说从儿时就期盼着成为画师、漫画轻小说也只是友人安利就会读读的程度。 这样的竹花立志走上creater的道路,是大学三年级的时候了。

现今回顾,到那时之前“过的是相当灰暗的人生”。中小学的时候遭受欺凌,怀着“想要脱离这种环境该怎么做好”的想法过着童年。在那时找到的是:“优秀的人很难被欺凌”这样的回答。为了大学入学考试开始上学塾之后,从来没有高过的分数蹭蹭上涨。本凭持着“我是无能之人”,却发现了只要努力学习就能提高成绩。变得学习好了之后,逐渐也不再受到欺凌了。

仅凭着“不想被欺凌。不想成为没有价值的人类”的摆脱不了的观念(原文:强迫观念),拼死学习的高中时代。成了能争年级一二名的成绩,借由指定学校推荐升上了东京理科大学。尽管如此,遥想未来的时候,“这样下去就可以了嘛”这种疑问不断涌生。这就是,multi-creator “竹花note”诞生的契机。

“作为庞大社会中的一员,连自己想做什么都不思索就沿着人生的轨道前进下去,我当时觉得太过于可惜了。大学三年级开始绘画也跟我擅长美术有关,当时大约也就“创作这个领域我也能挑战吧”这个程度的想法。在其中,因同人志中自己画的画被人所承、自己的作品被谁所喜欢 而欣喜。”

正当“大约能在creator的路走下去”和开始考虑去往creative企业就职的道路之时,竹花碰上了名为“父母的离婚问题”的巨大的障壁。(离婚)发展成为诉讼的程度,作为母亲的替代为保护年幼的弟弟们四处奔走。就职活动也就如此失掉了,身心也逐渐千疮百孔,连住所都失去了的时候,当时伸出援手的是いろはにぽぺと的代表董事渡辺圭広。

“商谈了之后借给了我空余的屋子,还说:‘没有就业的话就来我家吧。’算是在崩溃边缘获得了拯救啊。入社了之后,也由我做我自己想做的事情。‘竹花君就请做想做的工作,逐渐变得有名起来吧’被这样说的公司大约不是路边常见的吧。”(这几段属于公司彩虹屁)

经过诸多曲折走至端头到达的场所。从儿时没有自己抉择过的竹花,初次选择,并赢取的是“multi-creator”的道路。在这个世界中,诉说着 “想创造能够在他人的心中能长久活下去的角色,能够在历史中留名的角色或者内容” 这样的梦。

从开始画画的六年来,没有放下笔的一天。是给比其他cretor落下了很多的自己的,严格的规则。“若这样不能大成,那只有一死了”这个程度的紧急窘迫的状况开始,一步一印地积累着努力。从今往后,想把作为个人的“竹花note”渠道做大增加粉丝。儿时“自己毫无价值”的竹花,通过更加活跃,无疑是想将以身姿想成为世间创作者的勇气。


原文

今ある世界は自分で選びとった道。だからどんな努力も厭わない コンピュータグラフィックスのキャラクターを用いた動画配信をするVtuberが注目を集めている。なかでも“バ美肉(バーチャル美少女受肉)”というジャンルでは、男性がバーチャルで女性キャラクターの姿をまとい、さまざまな動画配信をおこなっており、多くの人気キャラクターを輩出している「オタク」のジャンルだ。特に人気なのが、猫の耳のような“獣耳(ケモミミ)”にメイド服を身にまとった美少女キャラクター。それが、バーチャルYoutuberとして活躍する竹花ノートの姿だ。 竹花ノートは、自らデザインしたキャラクターを用いたVtuberとして活動するほか、他のVtuberのキャラクターデザイン、イラストレーターとしてライトノベルの挿絵、ソーシャルゲーム、PCゲームなどの原画・イラスト制作と幅広く作品を生み出している。 2019年7月現在、Twitterのフォロワー数は17万人に迫る勢い。またYouTubeのチャンネル登録者数も3.5万人に上るが、竹花がイラストを描き始めたのは20歳を過ぎてからだ。絵を描くことは嫌いではなかったが、子どもの頃からはまっていたわけではなくマンガやライトノベルも友人から勧められれば読む程度。そんな竹花がクリエイターの道を志すようになったのは、大学3年の頃だ。 それまでは「なかなか灰色な人生を歩んできた」と振り返る。小中学生の頃にいじめに遭い、「この環境から抜け出すにはどうしたらいいのか」ともがき続けた。そこで見つけ出したのは、「優秀な人間はいじめられにくい」という答えだった。高校受験のために塾に通い始めると、それまで振るわなかったテストの点数がぐんぐん上昇。「自分は何もできない人間だ」と思っていたが、勉強を頑張れば成績が上がることに気付いたのだ。勉強ができるようになると、次第にいじめを受けることもなくなっていったという。 「いじめられたくない。価値のない人間だと思われたくない」という強迫観念だけで、懸命に勉強した高校時代。成績も学年で1、2位を争うようにまでなり、指定校推薦で東京理科大学に進学した。しかしながら将来を考えたとき、このままでいいのかという疑問がフツフツと湧くように。これが、マルチクリエイター『竹花ノート』が誕生するきっかけとなった。 「ありふれた社会の一人として、自分が何をやりたいのかも考えず決められたレールを進むのはもったいないと思うようになりました。大学3年からイラストを始めたのはもともと美術が得意だったこともあって、『創作分野なら挑戦できるのではないか』というくらい軽いノリです。そんな中で、同人誌で描いた自分のイラストが人に認められ、自分の作品で誰かに喜んでもらえたことが嬉しかったです」 「クリエイターの道なら進めるかもしれない」と、クリエイティブ企業への就職の道を考え始めた矢先、竹花は両親の離婚問題という大きな壁にぶつかってしまう。訴訟にまで発展し、母親に代わり幼い弟たちを守るために奔走。就職活動もままならなくなった。身も心もボロボロになり、住む場所さえなくなったとき、救いの手を差し伸べてくれたのがいろはにぽぺとの代表取締役である渡辺圭広だった。 「相談したら空き部屋を貸してくれて、就職先がないならうちに入ればいいと言ってもらえました。ギリギリのところで救ってもらったのです。入社してからも、僕の好きなようにさせてくれる。『竹花くんは好きに仕事をして、どんどん有名になってください』と言ってもらえる会社はそうそうありませんよね」  数々の紆余曲折の果てに辿りついた場所。子どもの頃から何ひとつ自分で選び取ってこなかったという竹花が、はじめて自ら選び、勝ち取ってきたのが「マルチクリエイター」という道なのだ。その世界で、「人の心のなかでずっと生き続けるキャラクター、歴史に名前が残るようなキャラクターやコンテンツを創り出していきたい」と夢を語る。 はじめてイラストを描いて以来6年間、ペンを握っていない日はない。他のイラストレーターより大きな後れをとっている自分に課した、厳格なルールだ。「これで大成できなければ、死ぬしかない」というくらいの切羽詰まった状況から始まり、コツコツとした努力を積み重ねてきた。これからは、『竹花ノート』個人としての発信を通じてファンを増やしていきたいと語る。子どもの頃の自分を『何の価値もなかった』と語る竹花が、活躍の幅を拡げることで、その姿が世のクリエイターの勇気となるに違いない。