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宮崎吾朗 Goro Myazaki
2005年の春、僕はアニメーション映画『ゲド戦記』の監督を務めることとなった。それまで畑違いの仕事をしていた僕は、アニメーション映画の制作に関わったことなど全くなかった。もちろん子どもの頃からアニメーションを観ていたし、アニメーション関係の雑誌や書籍も読んでいた。それにジブリ美術館で館長をしていたから、アニメーション映画の制作過程とその実際についておおまかには知っていた。しかし、具体的で詳細なこととなると分からないことだらけだった。
だから僕は、プロデューサーの鈴木さんに、「次はどうすればいいですか?」と尋ねながら手探りで仕事を進めていった。しかし、大まかなストーリーの骨子に基づいて、脚本家と一緒に脚本を書き始めたのだが、何度脚本を読んでもらってもプロデューサーは良いとも悪いとも言ってくれない。理由は、「脚本じゃ分からない」ということだった。つまり、「アニメーションは絵なのだから、絵コンテにして欲しい。絵コンテを見て良し悪しを判断したい」ということだった。
それならばと絵コンテを描こうとしてみたが、断片的な映像は頭に浮かぶものの、何をどう組み立てればいいのかが分からない。絵コンテは簡単に言えば絵で描いた脚本である。そこには画面の絵、カメラワーク、キャラクターの演技の内容、台詞、映像処理、効果音、尺(秒数)などが書き込まれていなければならない。なにより、完成した映画を想定しながら、カット(ショットとも言う)をつないでいかなければならない。
「宮さん(宮崎駿監督)の絵コンテをまねして描けばいいんだよ」とプロデューサーは簡単に言うのだが、ことはそう上手くはいかない。そんな時、思い出したのがアメリカのアニメーションスタジオで見たやり方だった。あちらではディズニー以来、絵コンテ(彼の地ではストーリーボードと呼ばれる)はカット毎に小さなカードに描かれ、それをカットの順番に壁一面に貼って大勢で内容を検討する。このやり方ならば描き直しも簡単だし、カットの入れ替えも簡単である。そしてなにより、他の人たちに同時に見てもらえるので、意見を求めやすい。素人なのだから、自分ができる方法論でやっていくしかないと考えた僕は、このアメリカンスタイルで絵コンテを描くことに決めた。
過去のジブリ作品の絵コンテを机の脇に積み上げて、このシーンはこの作品の感じ、このシーンはあの作品が参考になる、という具合にカードに絵コンテを描き始め、描いたものは壁に貼り、作画演出の山下明彦さん達に意見を求めながら修正を繰り返していった。と同時に、この絵コンテはスキャニングしてコンピューターに取り込まれ、ライカリール(絵コンテをつなげた紙芝居のような映像)が作られた。僕のような経験の無い人間にとって、このライカリールは擬似的な映画の状態にして絵コンテを確認できるという意味で、自分の映像的、時間的なイメージと実際との整合性を確認するうえでとても役に立った。ライカリールでおかしいと思った部分は、カットを差し替えたり、尺を伸ばしたり短縮したりして絵コンテに反映させていった。最終的には山下さんがカードに描かれた絵コンテを通常の体裁に仕立て直してくれ、絵コンテは完成することができたのだった。
絵コンテが描き上がったことで、いよいよ実制作が始まった。映像処理や作画に関しての打合せが行われ、絵コンテの意図を各部署のスタッフに説明し、まず原画マンたちがレイアウトに取り掛かった。ここから先はプロフェッショナルであるスタッフ達に作業を委ねることになるのだから、自分がやらなければならない実作業はそんなに無いだろうと僕は思っていた。だから作画演出の山下さんに尋ねた、「僕はなにをすればいいんでしょう?」と。返ってきた答えは、「レイアウトをチェックしてください」だった。
「レイアウトをチェックする」それがどういうことか僕には分からなかった。なにしろ専門家がレイアウトを描くのだから、自分が出る幕はないだろうとさえ思っていたのだ。それが、とんだ勘違いであることに気がつくのにそう時間はかからなかった(もっとも、本当の意味でのレイアウトの重要性に気がついたのは、映画が完成した後になって改めて色々なことを見聞きし、整理して考えられるようになってからだったけれど……)。
しばらくすると、原画マンから少しずつレイアウトが上がって来るようになった。何を見れば良いものか?と不安に感じながらレイアウトを見ると、「あれ?」と思った。時折、何かしっくりこないレイアウトがあるのだ。キャラクターの位置がもう少し右や左ではないのかという微妙なものから、カメラのアングルが意図していたものと違ってしまっているものもある。以前の商売柄から建物や自然の描写がやたら気になったりもした。結局、僕は原画マンが描いたレイアウトに少しずつ手を入れるようになっていた。
おそらく、見よう見まねで絵コンテを描いているうちに、自分の頭の中で画面のイメージが出来上がってきていたのだろう。当時の僕には(今でもそうだが)、そのままレイアウトにできるような的確な絵コンテを描くことはできなかったから、原画マンにレイアウトを委ねた時に、どうしても自分の持つイメージとレイアウトとの間に誤差が生じやすかった。それを無意識に修正しようとしていたのだろうと思う。
そうこうしているうちに、短い制作スケジュールの中で作画に費やす時間を少しでも捻出するためには、レイアウトにかける時間を短縮するべきではないかと考えるようになった。誰かが先にレイアウトを描いておけば、レイアウトを修正している手間が省けるし、原画マンはすぐに作画に取り掛かることができると考えたのだ。これは僕なりの合理的な選択だった。
結局、僕は先行してレイアウトを描くようになった。もちろん、僕が描いたものでは絵にはなっていても、作画部分と背景部分の切り分けや、具体的な指示としての数値(たとえば雲ブックを引く速度など)などの設計図"としての情報が不足していたし、キャラクターの動きに従ってカメラが動くようなカットでは作画のあり方が分からずに四苦八苦したから、そうしたことは山下さんに助けてもらうことになった。そうしながら、最終的には僕はかなりの数のレイアウトを描いていた。やれることが無いどころか、やろうと思えばやれることは山のようにあったのだ。
話は変わるが、かつて僕が携わっていた公共造園や建築の仕事には計画と設計の二つの段階がある。計画はどういう公園や建物を作るのかの全体像を決める段階で、設計は工事のために詳細なデザインを明らかにして材料や構造、工法などを決めていく段階だ。そして設計には更に基本設計と実施設計の二つの段階があって、基本設計は全体の概略の設計図を描くことであり、実施設計はまさに工事のための詳細な設計図を描くことである。「これにアニメーション映画を当てはめると、脚本までが計画の段階、絵コンテは基本設計、レイアウトは実施設計ということになる。そして、作画や美術、仕上、撮影といった作業は建設工事そのものだ。専門職の人たちが分業して一つのものを作り上げていくところや、工程管理が上手くいかないとスケジュールが遅延することなども、土木や建築工事の現場とそっくりだと思う。
こういうふうに整理できるようになったのは最近のことなのだけれど、整理できるようになってみると個人的にはとても合点がいった。と同時に、設計段階である絵コンテやレイアウトの重要性を改めて認識することになった。建物だって設計が良くなければ、工事の段階で苦労することになるし、なにより完成したものは期待されていた性能を発揮できないのだから。
当時の僕は、高畑勲監督が本書に書かれているようなレイアウトのなんたるかを理解していたとは言いがたい。自分の直観だけを頼りに厚顔にもレイアウトを直し、レイアウトを描いていたのだから、今思い出すと赤面もするし、背筋も寒くなる。けれども、映画の監督として演出意図を明確にするために必要なことであったのだと思う。思えば、初めて造園や建築の現場に立ち会ったときも同じことがあった。相手が経験豊富な専門家たちで、たとえ自分が実際的な現場の技術を知らなかったとしても、自分が何をどのように作りたいかを自分ができる手段で提示し、問題があれば自分なりに考えうる解決の可能性を提示していかなければ現場は動かないし、目標とするところに辿り着かない。
その意味で、素人の僕がジブリのスタッフ達に認めてもらえたのは、現場の一員として絵コンテを描き、レイアウトを描いたからだろうと思う。口先だけで何とかしようと考えていたら、おそらく何ともなっていなかっただろう。そして、レイアウトを描いたことで僕自身ずいぶん勉強になった。
それにしても、この文章を書きながら、あの時に山下さんがいてくれなかったらどうなっていたことかとつくづく思う。山下さんには今でも本当に感謝している。そして、多くの制作スタッフにも、この場をかりて改めて感謝したい。
Profile
1967年、東京生まれ。三鷹の森ジブリ美術館団長。信州大学農学部森林工学科卒業後、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事。その後1998年より三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、2001年の開館より2005年6月まで同美術館の館長を務める。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。2006年夏に公開された映画『ゲド戦記』で初監督を務める。
藤森照信 Terunobu Fujimori
宮崎さん高畑さんから聞いた話しの中で、心に残った指摘が二つある。
一つは、ディズニーとジブリアニメの作画のどこが具体的に違うのですか、という私のぶしつけな質問に、宮崎さんは、「ディズニーはタテ方向の奥行きのある動きに乏しく、登場人物はヨコ方向ばかりに動く」
たしかにそうで、ミッキーマウスもドナルド・ダックも、ヨコの動きばかりでじつにウルサイ。子供っぽいオモチャじみた動きというしかない。
もう一つは、江戸東京たてもの園での対談のおり、宮崎さん高畑さんのお二人はどうして高度成長期の集合住宅や昭和初期の商店建築などの近過去の建築に関心が深いのか、という質問に、
「物語の時代設定より少し前の時代の建物や町並みを背景に使った方が、物語が生き生きしてくる」
なるほど確かに、『千と千尋の神隠し』では昭和初期の神田あたりの着板建築が並んでいたし、『平成狸合戦ぽんぽこ』では、多摩丘陵とおぼしき大規模住宅開発地に、多摩丘陵開発よりも前の時代のいわゆる"公団住宅”が新築されていた。作画の時代設定が、遠近二つに分かれているのだ。
この二つの話しが頭に強く残っている状態で、このたび“レイアウト”を見せていただいた。「高畑・宮崎アニメの秘密がわかる。」とうたうレイアウトから私はどんな秘密がわかったのか。
パース(透視図法)が明快に使われている画面を例に見てみよう。たとえば、『おもひでぽろぽろ』の絵(P107-13)の場合、左に生垣、右に板塀の間を通る狭い路地が描かれ、パース効果はいやが上にも高まっているのだが、パース効果の主役をつとめる板塀の中央の貫材(ぬきざい。水平の板材)に「ヨコ板あまりアオリっぽくなく水平にちかい方が見やすい」とエンピツ書きが入っている。
プロのアニメ関係者でもまず板塀の貫材の存在は知らないか、知っていても気にかけないだろう。「あまりアオリっぽくなく水平に近い」とは、パース効果をあまり利かせるな、の意である。ここまでパースに敏感とは。
パース効果がいやがうえにも盛り上がるのは、正面の目立つ物体に向かって主人公が進んでゆく設定だが、たとえば『千と千尋』の湯屋に千尋がはじめて近づくシーン(P219-57)では、千尋の影には「ダブラシカゲ」、空の右上の雲には「クモひきゆっくり」、右下の雲には「クモのきれ目」との注意書きがある。シーンの主役となる前景の橋と後景の湯屋の二つにはなく、前景のさらに前に位置する千尋の影と、湯屋のさらに後に位置する雲にわざわざ注意を喚起しているのである。パースへの敏感さのなせる技。
ここで、ディズニーとジブリアニメのちがいについての宮崎の指摘を思い出してほしい。ディズニーのヨコの動きを越えるジブリのタテの動き”を実現すべく努めてきた成果がここに明らかにされているのだ。
基本はパースの活用にある。パースはよく知られているようにルネッサンス期の建築家ブルネレスキによって発見され、画家たちが活用し、栄光のルネッサンス絵画が生まれている。当時、パース発見に興奮するあまり、パースを厳密正確に適用した絵が描かれたが、どうもおかしい。描かれている対象よりパースの印象が強く、現実感を伴わないのである。人の視点は移動するし、見たいものは正確に、そうでないものはいい力加減にとらえているのだから、正確なパースとはちがってくる。
そこでルネッサンスの画家たちは、さまざまな工夫をするが、その一つに、町並みなどの背景のパースを利かせすぎないようにする工夫があった。タテ方向を弱めてヨコの動きを強める。
それと同じ工夫がジブリでもなされていることが分った。たとえば『おもひでぽろぽろ』の絵(P107-14)を見てみよう。グラウンドにパースの基本線が引かれていることから分かるようにパース効果を大いに期待しているのだが、ヨコ方向の強化が計られ、背景と校舎と町並みとバックネットはヨコ方向にずるずると伸ばされ、手前には応援する仲間がヨコ一列に並ぶ。
ジブリアニメは、ルネッサンスの巨匠画家たちがそうしたように、パースを上手に工夫して使うことによって、ディズニーアニメを乗り越えたのだった。
先にジブリアニメでは、背景画の時代設定を少し遅らせ、一つ画面のなかで時間の遠近法が利用されている点を述べた。空間の遠近法(パース)と時間の遠近法の二つが使われているのである。
それにしてもどうしてジブリでは、二つの遠近法などという複雑なことが行われるようになったんだろう。この点を宮崎さんにも高畑さんにもうかがったことはないが、おそらく、かつてルネッサンスの画家たちがそう望んだように、アニメというものをルネッサンス(再生)させたかったのだろう。長い絵画の歴史をふり返ると、ルネッサンス以後、今日につづく絵の世界が始まるのである。
Profile
1946年、長野県生まれ。建築史家。東京大学教授、建築家。東北大学工学部建築学科を卒業
後、東京大学大学院で近代日本建築史を研究。「建築探偵団」を結成し、ユニークな調査活動を展開する。また、赤瀬川原平氏、南伸坊氏らと「路上観察学会」の結成に参画、その活動・普
及に努める。著書『建築探偵の冒険 東京篇』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。その他の著書として『明治の東京計画』『日本の近代建築』(岩波書店)などがある。1997年には、「赤瀬川原平氏邸(ニラハウス)に示されたゆとりとぬくもりの空間創出」で日本芸術大賞を受賞する。主な建築作品には、タンポポハウス(国分寺市)、熊本県立農業大学校学生寮(熊本県)、焼杉ハウス(長野県)などがある。
行定 勲 Isao Yukisada
映画は一秒24コマの連続写真、アニメーション映画だと24枚の絵が連続したものである。
今回、はじめてアニメーションのレイアウトの数々を観て、そこに24分の1コマの核になるものを認識し、ジブリ作品の美しさの源泉がここにあるのかと時間を忘れてすっかり見入ってしまった。
その一枚一枚の完成度にまず驚いた。その絵からは、匂い立つ草いきれや、通り抜ける風、キャラクターの疾走感や躍動感まで描かれており、その繊細な鉛筆の動きから生まれるディテールに目を馳せるとそこには描かれていない外側の世界の気配まで見えてくるようだ。
恥ずかしながら私も絵コンテなるものを描いている。しかし、誰にも見せることはない。あくまでも自分の中だけの撮影のメモだからだ。私はスタッフや俳優に、映画を自由に解釈し、共に創造してもらいたいという思いがある。自分の想像を押し付けないことで、想像を凌駕するものが生まれることを密かに期待しているのだ。しかし、アニメーションはそうはいかないのである。
当たり前のことだが、何もない白紙の上にゼロからすべてを絵で描くことで構築されるのがアニメーションである。我々、実写の監督と比べると、アニメーションの監督はかなり細かい世界観まで自分の中で構築されていることがレイアウトの絵を見れば分かる。私のように偶然が引き起こす奇跡(例えば予測しなかった霧が立ち込め幻想的な雰囲気になったとか、雲の隙間を割って光が大地に注ぐ瞬間があるとか)を期待しているわけにはいかないのだ。
最終的に目指すところは実写にしてもアニメーションにしても同じである。映画の世界観に観客を引きずり込み、魅了させるような絵作りをするところだ。しかし、その絵作りの手順がアニメーションと実写では明らかに違うのだ。
実写映画においてレイアウトにあたる作業は撮影現場で行われる。美術スタッフによるセットが建てられ、俳優がその空間に身を置き、監督による演出がなされ、俳優の演技が固まると、それによってカメラの位置が決められ、フレームが決められる。そこに照明があてられ、そのフレーム内の絵がレイアウトになる。しかし、そのレイアウトされたフレームは撮影直前の空気や光の加減、俳優の演技によって瞬時に覆され、変更を繰り返す。すべてが整った瞬間、所謂“本番”という撮影がなされたその時に、やっとレイアウトが確定するわけだ。実写でのレイアウト作業は偶然に翻弄された結果の産物に近いものだと言えるかもしれない。
実写映画の中でも黒澤明監督が描いていた絵コンテはアニメーションのレイアウトに近い役割をしていたと思う。
彼の描く絵コンテは演じる俳優の顔も似ていてかなり具体的にセットの隅まで描かれているようなものだ。しかも、色使いも大胆で、そのシーンの繊細さやダイナミズムまでが描かれていて、黒澤映画の源であることが実証されている。
黒澤監督曰く、
「絵コンテというのはなぜ描くかというとスタッフにこういう感じということを教える為だ。自分がすべてを具体的に分かってないと描けないものだ」
まさに黒澤監督の絵コンテはレイアウトの役割を成しているのだ。その確固たる世界が見えているからこそレイアウトを描くことが出来るのだ。
宮崎駿作品には最初に脚本がないという。宮崎監督が絵を生み出しながら同時に台詞や風景が描かれ、主人公たちが動き出すことによって生まれる物語なのだと聞いた。そう考えると、ここにあるレイアウトに息づかいを感じるのも納得がいく。その一枚に世界観が見えて来ないと映画の未来がないからだ。
ここにあるレイアウトが積み重なってジブリ映画の傑作が生まれて行ったのだと思うと感慨深い。
私が映画に目覚めた頃に、映像の成り立ちを学んだのはアニメーション専門誌(『アニメージュ』)だった。今回、レイアウトの絵を拝見させて頂いて憧憬のアニメーションへの想いが喚起された。
私はレイアウトの完成度の高さにスタジオジブリのアニメーション作品の豊かさの秘密を見た気がした。そして、またしても映画の絵作りの重要性を改めて再認識させられたのである。
Profile
1968年生まれ。熊本県出身。映画監督。『OPEN HOUSE』(1997)で長編劇場映画初監督。第2作『ひまわり』(2000)は第5回釜山国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。『GO』(2001)で日本アカデミー監督賞をはじめ数々の映画賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。その他の主な代表作は、『ロックンロールミシン』(2002) JUSTICE』(2002)『きょうのできごと a day on the planet』(2004)『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)『北の零年』(2004)『春の雪』(2005)『クローズド・ゾート』(2007)など。2006年に企画/プロデュースレーベル"セカンドサイト"を設立。レーベル第一弾の虜」場映画として、オリジナル脚本による長編劇場映画『遠くの空に消えた』(2007)、TVCMとのコラボレーションによる中編オリジナルドラマ『ショコラの見た世界』(2007)を製作した。
山口 晃 YAMAGUCHI Akira
「レイアウト」について画家の視点で文章を、なんて依頼を受けて気楽に書く事にしたが、絵描きになる前から宮崎アニメのファンだったので、そちらの事も少し書きたい。
中学生の時に観た『風の谷のナウシカ』に僕はすっかりアテられてしまった。人物の性格描写や物語の設定はもちろん、何より其の「動き」に大いに魅せられたのだ。単に滑らかに動くと云うのでは無く、確固とした物理法則によって画面の中の絵自体が動いている様だった。人物の端々しい動きに始まり、例えば砂上を疾空するメーヴェが巻き上げる砂の、鋭く舞い上がり緩やかに消える様や、ガンシップが浅く飛行機雲の次々と湧きゆく様。例えば飛行ポッドの連射する弾の硝煙乱れる様や、巨神兵の吐く光線と一連の其の反応など、其れら虚実の現象の描写にただ絵が動く事を超えて、「どの様に」動くかと云う事に興味を持たされた。
それからはノートや教科書の端に其れらのシーンを描きまくった。大砲の発射場面は、砲が火を吹く瞬間レーションでバックが暗くなる様や、紙の上の事とて透過光の代わりに蛍光ペンで火柱を描くなどして、パラパラめくっては悦に入っていた。その内、真似だけでは飽き足らなくなり、身の回りに目を向けだした。鳥が羽ばたきと滑空を繰り返す軌跡や、積乱雲の湧き方、水に物を落とすと二段階にしぶきが上がる様など、目を凝らしては動画におこしてみた。積乱雲は、モコモコとした固まり其れぞれが丈を伸ばして大きくなるのではなく、湧くの言葉どおり、天辺から次々と新しいモコモコが湧いて出て大きくなってゆく。公開された『天空の城ラピュタ』に、正にそんな湧き方をする雲の描写を見た時の喜びを、何と云へばよいだろう。尤も、雲だ鳥だと窓の外ばかり見て黒板を見ないと、学校の勉強はおいてけぼりを食う訳である。
絵空事を描くアニメーションだが、宮崎アニメに触れて僕はむしろ、現実に目を向けさせられた様な気がする。一から十まで作画しなければならないアニメは、現実にしっかり根を張って養分をとらなければ、空想の枝葉を広げる事ができないからなのだろう。だからと云ってガチガチの写実かと云へばそうでもない。勘所を間違ったリアリズムの息苦しさではなく、的確な様式化による軽やかさに宮崎アニメは溢れている。様式化と云ったら、写実の反対の恣意的な形式づくりみたいに聞こえるかもしれないが、そうではなくて真実を掴まえる為の方便だ。嘘のつき所とついてはいけない所、その勘所を押さえる事でのリアリティの高め方を宮崎作品は教へて呉れる。リアリズムの権化の様な西洋絵画だって、らしく見せる為の嘘にあふれている。言ってみれば写実様式である。遠近法にしたって、目ん玉が二ツあるのに消失点がーツと云う所からして大ウソだ。
パズーとシータが坑道を逃げる途中で食事をとるシーン。地下水をバケツで汲む描写の、水をくぐる容器と揺れる水面や滴る水の様子と云ったらない。大胆に省略され見事に様式化されながらも、匂う様なリアリティがある。シータがパンに載っけた目玉焼を食べる描写も好きだ。パクッと一呑みのパズーに対して、はむはむと少しづつ口でたぐりながら食べるシータ。その唇の動かし方や、目玉焼の端っこを頭を小さくあおってパクリとやる様が丁寧に描かれる。そこを疎かにしては絶対に優れた表現たりえない点があるとして、こう云った細部での大胆さと細やかさが、それに応えるものとなっているのは明らかだろう。それは物語の大局に於ても、相似形の様に表れていると思う。
此う云う細部を生む秘密の一端が「レイアウト」である。絵コンテよりはずっと具体的に、背景や動きの指示がかき込まれていて、用語がわかれば何だか自分にも描けそうな気がしてくる程だ。動かない一枚絵なのにもかはらず、今にもかえりそうな卵の様に弾みを含んでいる。この弾みの来し方は監督であろうし、行く末は作画や美術の人達であろう。波のように其う云うものが伝はってゆく重要な部分に、此の「レイアウト」がある訳だ。
弟子なんて居ない僕は一人で絵を描く。一人だから自分の胸三寸でどう描いても良いと思はれそうだが、絵コンテ的なものやレイアウト的なものを必ず描いておく。何となれば、人間なんて其の日の気分で得手勝手をするもので、其んな風で10日も描いたら十人がてんでに手を入れた様になり収拾がつかない。だから最初の心持と絵の目標点、其れに必要な細部の構想を描き留めて指針とする。そうすれば10日描いても十人分の厚みと強度が一作品に込められる訳である。
宮崎作品に携わりたい、と将来を思った事もあったが、同じ道では何だか一生顔向けできない様な気がして其の道には進まなかった。今になればそんな風に考へなくてもと思うが、今回図録の片隅に文章を載せてもらえた事をあの頃の僕が知ったら、きっと喜ぶだろう。
Profile
1969年東京生まれ、群馬県桐生市に育つ。画家。1996年、東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。時空の混在、古今東西様々な事象や風俗が、画面狭しと描き込まれた都市鳥瞰図・合戦図などが代表作。絵画のみならず立体、漫画、また「山愚痴屋澱エンナーレ」と名付けた一人国際展のインスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。最近では日本橋三越100周年記念広告、公共広告機構マナー広告「江戸しぐさ」、成田国際空港のプリックアート、など幅広い制作活動を展開。2007年、上野の森美術館での会田誠との二人展「アートで候。会田誠山口晃展」、練馬区立美術館での個展「山口晃展今度は武者絵だ!」を開催。また2008年12月より京都の大山崎山荘美術館で個展を開催予定。