吉卜力·Layout展 揭晓高畑勋·宫崎骏动画的秘密(上)
发光的球已冻结
2018年09月02日 05:53
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共3篇

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はじめに

『高畑・宮崎アニメの秘密がわかる。スタジオジブリ・レイアウト展』を開催いたします。

今回の展覧会でご覧いただく《レイアウト》とは、一枚の紙に、背景とキャラクターの位置関係、動きの指示、カメラワークの有無やそのスピード、撮影処理など、映画で表現される全てが描かれた「設計図」とも言えるものです。これは、分業化が進んだ現在のアニメーション制作において、作品の統一感を持たせるという重要な役割を果たしています。レイアウトを制作工程に取り入れるシステムは、1974年に「アルプスの少女ハイジ」ズイヨー制作)で高畑勲・宮崎駿によって初めて本格的に導入されたと言われています。

レイアウトはアニメーション制作の一工程ですが、そこには、カメラで撮影した写真や、正確な遠近法など計算された手法で構築した画からは感じることのできない、作り手たちの自由なイマジネーションがあふれています。一枚の鉛筆画でありながら、アニメーションでしか表現のできない、人の手が実際に描いて作り出す豊かさを感じることのできる画となっています。そのどれをみても、アニメーションをつくるための工夫が凝らされており、高畑・宮崎監督作品の魅力の秘密がここにあることがおわかりいただけることでしょう。

本展では、スタジオジブリと三鷹の森ジブリ美術館全面協力のもと、「風の谷のナウシカ」から2008年夏公開「崖の上のポニョ」まで、スタジオジブリ作品のレイアウトを宮崎監督直筆のものも含めて展示します。また、歴史を振り返るコーナーとして、両監督がジブリ以前に手がけた「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「未来少年コナン」「じゃりン子チエ」など、日本のアニメーション史に残る名作のレイアウトも展示します。約1300点のレイアウトを一挙に公開することは、日本では初めての試みであり、世界的にみても稀有な機会となることでしょう。

本展開催にあたりまして、企画制作およびご協力を頂きましたスタジオジブリならびに三鷹の森ジブリ美術館、また、貴重な作品を提供してくださった所蔵家の皆さま、ご後援・ご協力を賜りました関係各位に心より御礼申し上げます。

本展が、アニメーションをつくるとはどういうことなのか一加えて、「手で描く」ということや「ものをつくる」ことが、どういうことなのかを考えるきっかけとなれば幸いです。

主催者


レイアウトはアニメーション映画制作のキイ・ポイント

高畑 勲 Isao Takahata

「レイアウト」の展覧会が行われると聞いて驚いた。あまりにも地味だから。そしてすぐ、すごいと思い、個人的にたいへん喜ばしい気持ちがこみ上げてきた。なぜなら、レイアウトを、私はアニメーション映画制作のキイ・ポイントと考えてきたから。それに、いまでこそ宮崎駿は世界に名立たるアニメーション作家だが、『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』などでの「場面設定レイアウト」という彼のクレジットタイトルを見ただけで、彼がどんな大きな役割を果たしたのか、ただちに分かる人はいないだろうから。

作品の質を統一的に向上確保するための最も重要な仕事なのに、時間に追われながら毎週一話分三百数十ショットという厳しいノルマを達成しなければならなかったレイアウトマン。宮崎駿だけではない。『赤毛のアン』の途中で彼が辞めたあと、過酷な制作条件のなかでレイアウトを引き継いでくれた櫻井美知代さん、また、とくに、『火垂るの墓』から『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』まで、綿密な絵コンテ作画と一体化したこの大役で見事に才能を発揮した百瀬義行さんのことを思わずにいられない。百瀬さんは当時、知り合いからお前はいったい何をやっているんだ、と聞かれて、うまく説明できなくて弱ったそうだ。

まさに演出の「片腕」、いやベターハーフとも言うべきレイアウトマンの仕事。レイアウトは完成品として人に見せるために描かれたものではない。また、しばしば驚くほどの迅速さを要求された。しかも、心血を注いで描いたものが、実作業が終われば簡単に捨てられてしまい、大事に秘蔵した人たちがいなければ残らなかった。それらがいま、あらためて陽の目を見る。レイアウトたちはさぞまぶしかろうが、私はたいへん嬉しい。

(現在のジブリスタジオでは、コマの大きな用紙を使って的確で詳細な絵コンテをまずつくる。そしてそれを拡大コピーした絵をもとに作画担当者がレイアウトを起こし、さらに絵コンテを描いた本人自身が修正し描き直す。むろん、捨てない。)

実写とアニメーション映画

映画では、演出コンテの計画にしたがってカットを割り、アッ「プで表情を捉えたりロングで全体を見せたりと、各ショットを別々に撮っていく。実写や人形映画だけでなく、セル・アニメとよばれる平面上に描かれた絵によるアニメーション映画でも、これは基本的に同じである。しかし、作業のやり方は実写とまるでちがう。

実写ではスタッフが撮影現場に集まり、背景・大道具から小道具まで、持ち寄った“素材”すべてが吟味され確定されたところに俳優を入れ、照明を当て、演技や情景の全体を見定めたうえで、これから撮ろうとするショットの最終的な構図を決める。そのためにレンズを選び、カメラの位置やアングルを決め、場合によってカメラワークをつける。さらに各部署のさまざまな問題点が修正されると、監督の「本番用意、スタート!」の声とともに、スタッフ全員注視の中で「本番」が撮影される。

ところが平面アニメーション映画では実際の具体物は何もない。登場人物はもちろん、美術背景・大道具・小道具から波や雪などの自然現象に至るまで、あらゆる“素材”をすべて一から絵で描くしかない。しかもここが肝心なところだが、出来上がったその“素材”は、実写ならば「本番」撮影されてすでに“フィルムになった状態”を表現していなければならない。アニメーション撮影は実写の撮影とはちがい、撮影台上にこれらの“素材”が持ち寄られたとき、それからあれこれと変更できる余地は多くないのだから。

要するに、実写のようにスタッフが素材を持ち寄り、一緒にそれを組み上げ吟味して、最後に「本番」を迎えるというわけにはいかず、そのまるで逆、まず真っ先に各ショットの「本番」、すなわち“フィルムになった状態”を想定し、あとはその構成要素をスタッフが持ち帰り、分業によって、その“完成状態”へと、それぞれの“素材”を仕上げなければならない。分業する以上、その作業のほとんどすべては、当初に想定された「本番」をただひたすら黙々と具現化するための努力となる。

だから、フィルムで仕上がりを確認するまで、作業に入ってから個々のショットのためにスタッフが一堂に会することはまずない。実写や人形映画のように、スタッフ全員が撮影現場に集まり、全体を把握しつつ“素材”に細かい修正をほどこし合って完成に導く、といった、緊張と連帯感あふれる同志的撮影風景は残念ながら平面アニメーション制作では望むべくもない。アニメーションは、個人的作品でなくても、やはり孤独な作業の積み重ねなのである。

レイアウトは各ショットの実践的設計図

では、この「本番」、すなわち各ショットの“完成状態”がスタッフ全員にきちんと把握され、個々の分業が間違いなく仕上がるにはどうすればよいか。むろん、絵コンテがある。打ち合わせがある。演出や作画監督・美術監督による各作業へのチェック・介入・修正がある。しかしじつは、そのために決定的な役割を果たすのが、他ならぬレイアウトなのだ。

日本で「レイアウト」とよばれている仕事の内実は、個々のケースによって大幅に違う。けれどもレイアウトが基本的に充たすべき必要条件は以下のようなことになるだろう。

各ショットに関し、絵コンテで指示された内容と構図が以後の製作工程で間違いなく画面上に達成されるために、その全体的構図、カメラアングル、人物のサイズと配置、その動きの概略、そして背景の空間的構成要素、とくに人物の動きと関連する箇所などを、実際の作画・作景とまったく同サイズの用紙上に、鉛筆画で設計すること。

移動・パン・ズームなど、カメラワークがあれば、その設計・指定もできるだけここで行う。

ただし、描かれた絵がラフか精密かは場合による。指示の的確さが肝心、あまりに緻密すぎる鉛筆画も困る、設計図なのだから。

要するにレイアウトは、各ショットの“フィルムになった状態”の作業用原寸想定図、すなわち、ショットの「実践的設計図」である。そして作画(原動画)・作景(美術背景)から撮影に至るまで、以後の各部署における作業は、すべてこの設計図を基準に行われる。むろん、各ショットの基本設計図はまず絵コンテだが、その絵は小さいだけでなく、精粗・巧拙まちまちであり、不確定要素に充ちている。たとえ絵コンテがいい加減な絵でさまざまな問題を孕んでいても、レイアウトの段階では、それらをきちんと解決しておかなければならない。なぜなら、ショットの全体像が正確に分かるのはこの“原寸大”の設計図だけで、以後、作画(及びセル仕上げ)と作景で分業されるから。分業「が行われるかぎり、設計図としてのレイアウトは不可欠であり、「これなくして作品制作は成り立たない。

レイアウト前史―背景原図システムとその問題点

私の東映動画時代、各ショットを設計し、レイアウトを描くのは、原則としてそのショットの作画担当者(アニメーター=原画家)で、描かれたものを「背景原図」とよんだ。作画で人物を動かすためには、人物のいる空間や動き回れる空間、すなわち「背景」を設定しないわけにはいかないから。建築など、きちんと描かなければならないものは、美術監督(又は別の設定者)が出した美術設定にもとづいて描き、作画してセルになる登場人物や小道具は、背景原図に赤鉛筆であたりを入れるか、別紙で添付する。

ショットの作画担当者は自己の設計した「背景原図」に基づいて原画(アニメーション・ドローイング)作画を完成させ、「背景原図」とともに提出する。演出と作画監督がチェックしてOKとなれば、「背景原図」は同じものを一枚コピーして、それを作画監督の修正の入った原画とワンセットで動画家(アシスタント・アニメーター)に渡し、「背景原図」の原版を美術にまわす。そして動画家は動画作画に入り、美術監督以下美術スタッフは作景作業に取りかかる。

例えば柱を手でつかむときなどのように、人物と背景が組み合わさる場合は、背景原図の段階でその部分(この例だと柱)の線をぴったり同じにトレースした二枚の「組合わせ線」をセルで作り、それぞれの背景原図に添付する。後になってセル画と背景がずれないためである。そういう部分以外の美術的な詳細は(美術の領域だから)しばしば簡略化され、美術にまわった時点で美術監督がそれをさらに作景用にきちんと鉛筆画で描き直すことも多かった。ただし、人物が画面の中を動き回る場合は、位置を移動する人物と、建物などの背景との関係が重要なので、背景原図をあまり簡略化できない。

これが一般に行われていた「背景原図」のシステムである。

当時からこのシステムにはいろいろと問題があった。絵コンテの絵があいまいなものであれば、作画担当者は一から画構成を計らねばならない。けれども作画担当者はアニメーターだから、建造物や自然描写が必ずしも得意とはいえないことも多い。パースペクティヴに弱い人もいる。要するに、動かせるからといって、画面構成や人物配置が巧みで的確かどうかは分からない。しかも作画は何人ものアニメーターによって分担(ほぼシーン別に担当)されるから、作品全体での統一がとれない。パースペクティヴの強さ、実写でいうレンズの選び方(広角か標準か長焦点か)も、演出意図による以前に、アニメーターの感覚によってまちまちになる。

さらに、原画と「背景原図」双方とも、絵コンテの内容が間違いなく実現されているかどうかを演出と作画監督がチェックするのは、作画担当者の原画作業が完了したあとになる。もしそれがうまくいっていなかった場合でも、そのすべてを描き直す(リテークする)のは、担当者自身であれ作画監督であれ、膨大な時間と労力と大きな苦痛をともない、事実上不可能だった。

ある種の“独裁”が必要

監督である宮崎駿は、みずから、アニメーターの誰彼の原画を火の玉のようになって次から次へと直している。本人が“軍曹”と自称したその恐るべき奮闘ぶりを横目で見ながら、ある日ある時、スタッフの誰かがこう言った。

「宮さんはただ優秀なスタッフが欲しいんじゃないね。自分が何人も欲しいんだよ。毛を抜いてふっと息を吹きかけるやたちまち分身がバラバラッと飛び出す孫悟空みたいに」

そう、彼は、作品づくりできわめて明確な具体的イメージをもち、それを自分の手でならいくらでも実現できるはずなのに、残念ながら自分が一人しかいないことにいつもいらだっていた。かなりの部分をいったん他人にゆだねなければならないから。しかし他人の仕事を直すのはたいへんな労力がいる。他人がやるにしても、できるだけ自分のイメージに近いものになるような方途はないか。できるだけ直しやすいものにする方策は。

老境にさしかかったいまでは、直すための優秀な専門ス「タッフ(作画監督グループ)をかかえ、手助けしてもらうことで、少しでも自分の労力を減らそうとは考えているようだが、基本的に「自己のイメージの貫徹」(すなわち演出意図の貫徹以上のもの)を計ろうとすることに変わりはない。

個々のアニメーターを信頼して任せてしまった『王と鳥』でのポール・グリモーの演出方法と比較して、私は私自身のたずさわったものも含めたつもりで、「たとえば宮崎作品における高水準での作画の均質性は、個々のアニメーターの優秀さだけでなく、演出と作画監督のある種の“独裁”によってはじめて可能なのです」(『漫画映画の志一「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」』岩波書店)と書いた。

じつは、こういうたぐいの“独裁”は、まず東映動画での作画監督制の導入にはじまり、さらに、『アルプスの少女ハイジ』でのメインスタッフによる「集中管理」体制、とくに「レイアウト先行制」によって決定づけられたと言える。私たちは自分たちの意図を徹底しシリーズ全体の質を向上確保するために、どうしても集中管理体制が必要だった。そのためなら重労働をいとわなかった。また同時に、私は宮崎駿のすばらしい才能をできるかぎり作品全体におよぼし、反映させたかった。

彼はアニメーターとしてもとびきり優れていたが、そのイメージボードを見れば分かるとおり、人物込みで作品世界を見事に構築するという、並のアニメーターや美術には稀な大きな才能をもっていた。だからこそ、私は『長くつ下のピッピ』(実現せず)のために東映動画をやめたときも、『ハイジ』をつくるためにズイヨー映像に移ったときも、一緒に作品づくりをやろう、と、キャラクターデザイン・作画監督の小田部羊一と彼を強く誘ったのだった。

イメージボードや美術設定など、準備段階のさまざまな仕事の後、彼のごとき万能の人材が、なぜ毎話の「画面設定レイアウト」を担当したのか、それは、彼のレイアウトを見れば分かる。

各ショットの構図、カメラアングル、人物配置と背景セッティング(場面設定)をきちんと定め、カメラワークの設計と指定、さらにはキャラクターのプロポーション、その基本ポーズ・表情などをできるかぎり指示しつくす。水など自然現象のかたちと動かし方といった、彼のアニメーターとしての知恵や才覚もまた、そこに入れてある。それはしばしば単なるレイアウトの域を脱している。英語で演出のことを「ステイジング」と言うが、宮崎駿のレイアウトは、まさに見事なステイジングだった。

レイアウト先行制が必要だった二つの理由

*この項、『作画汗まみれ増補改訂版』(大塚康生、徳間書店)の付録論文、「60年代頃の東映動画が日本のアニメーションにもたらしたもの」(高畑勲)から修正して引用。

レイアウト重視、レイアウト先行制は作画監督制同様、メインスタッフ中心主義のあらわれである。私の知るかぎりでは、それがはっきり確立するのは、ズイヨー・日本アニメーションの名作TVシリーズにおいてであると思う。『アルプスの少女ハイジ』をはじめるにあたり、短期決戦が連続する殺人的スケジュールのなかで、作画他の玉石混淆の外注スタッフの力をフル活用しつつ、出来る限り質的に高い作品に仕上げるには、メインスタッフによる完全な集中管理が必要だった。そして宮崎駿というきわめてすぐれた才能が「場面設定レイアウト」を担当し、レイアウトをすべての作業に先行させた。

メインスタッフ中心主義をとりたくても、その基礎になる絵コンテの絵をメインスタッフ(この場合宮崎駿)が描けるのははじめの数本だけで、あとは「コンテマン」が絵コンテを描き、それを絵描きではない演出(私)が修正するしかない。コンテマンが絵描きの場合でも、的確な構図やアングルや表情・ポーズなどを描出できていないことが多い。したがって、そこから個々の原画家にレイアウトを起こしてもらい、そのまま原画作業に入ってしまうことは質的に危険きわまりないことだった。レイアウトは画面を決定するものだから、原画作業終了後にメインスタッフがそれを直そうとすれば大変なことになる。たとえ演技内容に問題がなくても、直したレイアウトに合わせて原画の全面描き直しをしなければならなくなるのである(切迫したスケジュールでそれは事実上不可能)。レイアウトを前もって統一的に起こす作業は、それが優れた才能の手になるならば、一挙に作品全体の質的向上を可能にする。

私たちは、宮崎駿という希有な才能があったればこそ、「レイアウトマン制度」をとったのだが、それは作品の質的向上だけでなく、同時に、原画家の作業負担の大幅軽減とスケジュール促進の面からも大いに有効であることが分かった。なぜなら、原画家はすでに出来上がった「レイアウト」指示に従って、原画作業のみを行えばよくなったからだし、この制度だと、原画作業の進捗状況に左右されずにシーン全体の美術設計が可能になったからだ。従来のやり方では、ワンシーン全部の原画作業が終了し、メインスタッフによるそのチェックがすべて終わるまでレイアウト(背景原図)は出揃わず、美術設計に手がつけられなかった。

「レイアウト先行制」、特に「レイアウトマン制度」は、作画と美術が同時に作業をはじめることができる点で、スケジュール「進行上都合がよく、制作サイドからも歓迎されたのである。そして以後、このシリーズでは、宮崎駿の担当でない作品でも「レイ」アウトマン制度」がとられることになった。

日本では現在、誰がその原形を描き(しばしば担当原画家)、誰が完成させるかは、作品によってさまざまでも、作画前にメインスタッフの誰かがレイアウトを最終的に完成させる「レイアウト先行制」が一般的になりつつある。さらに、完成レイアウトに合わせて、作画監督が正しいプロポーションのキャラクターを、そのショットの基本となるポーズ・表情でクリーンアップ的に最低一枚以上描き、レイアウトにそれを付して担当原画家の手に渡されることも一般化しはじめている。

原画家は作画時にこれに拘束される結果、作画監督は原画終了後の作画監督作業で、プロポーションその他のちがいのために全面描き直しを含む大幅なキャラクター修正をしなくて済む可能性が生まれる。日本でも原画の密度(枚数)を増やし、演技を完全につくり上げる原画家が増えはじめた現在、それを生かしつつ統一を計るためにも、この方法はますます普及すると思われる。

これもまた、一種の集中管理システムとして機能し、メインスタッフの意図と意匠を徹底する役割を果たすとともに、以後の作業がそこから外れていかない歯止めとなり、作品の統一感・一貫性に寄与する。

これが現在日本で一般的になりつつある「レイアウト先行制」のあらましである。

Profile

1935年、三重県生まれ。アニメーション映画監督。東京大学を卒業後、東映動画へ入社。1968年の『太陽の王子 ホルスの大冒険』が初監督作品。おもな監督作品は『アルプスの少女イジ』、『母をたずねて三千里』、『赤毛のアン』、『じゃりン子チエ』、『セロ弾きのゴーシュ』、『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』、『平成狸合戦ぽんぽこ』、『ホーホケキョとなりの山田くん』など。また、ミッシェル・オスロ監督のアニメーション『キリクと魔女』の日本語版翻訳・演出、『アズールとアスマール』の日本語吹替版翻訳・演出も手がける。著書としては、『映画を作りながら考えたこと』、『映画を作りながら考えたことI』、『十二世紀のアニメーション』(徳間書店)、『漫画映画の志一「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」』(岩波書店)などがある。


レイアウト変遷史―東映動画創設から現代まで―

大塚康生 Yasuo Otsuka

(取材・構成/叶 精二 interview&Text by Seiji Kanoh)

●アニメーション制作にレイアウトが不可欠な理由

「レイアウト」という単語は、現在の日本では、主に出版やデザイン関係の事業などで、コンテンツをどう並べるかという、「配置」の意味で使われることが多いようですが、英語圏ではもっと広範に使われています。たとえば、レストランで食事をすると、マネジャーが「今日の料理はいかがですか」と聞いて来る。すると、出された料理に対して客が「すばらしいレイアウトだった」と言うんですよ。料理の出来、店の雰囲気、サービス、その他全部を「レイアウト」と表現するわけです。それから、家屋の電気配線工事の図面、あれも「エレクトリカル・レイアウト」と言う。

アニメーションの世界では、かなり古くからレイアウトと呼ばれる画が描かれていたようです。それは、一言で言うと、キャラクターのサイズや動きの幅、風景や舞台の構図といった各シーンの演出意図を示した原図のことです。

実例を挙げましょうか。たとえば、広い海原を撮るとしますね。水平線が画面の上の方にあったら、海が多くて、空が少なくて全体に重苦しい感じがするでしょう。内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1965)がいい例ですね。逆に水平線を低くして、空を増やすと、やや明るい気分かするでしょう。単純に言って、見上げるか見下ろすかで、精神的なものも象徴するものも変わって来る。映画は、カットを並べて監督が観客にある意思を伝達するということですから、一種の理論が必要なのです。

画面のセンターに丘があって、そこから手前に曲がった道が伸びているとしますね。丘ヘキャラクターを走らせるとだんだん小さくなって行く。それを上から撮るか、横から撮るか、どう繋ぐか。その時に背景はどう見えるのか。アニメーションは全て絵で描かなければなりませんから、演出の意図が決まっていないと、キャラクターの位置もサイズも崩れて滅茶苦茶になってしまうでしょう。それを整理するには、正確なレイアウトが不可欠なのです。より新しい画面の切り取り方、かつてなかったような画像を作ろうと思えば思うほど、レイアウトの重要度が増します。その発展と研究の歴史がアニメーションの可能性を広げて来たという一面はあるでしょう。

ティズニーは、レイアウトの定義として、キャラクターの移動による視点の変化を観客に明確にする、それによって背景が歪んだり崩れたりしないための原図としての機能を挙げています。ただ、いきなりレイアウトが描かれるわけではなく、まずストーリーボード(ストーリー・スケッチとも言う)やサムネイル・スケッチといったアイデアの原図をアニメーターが色々と描いて持ち寄って、検討するわけです。アメリカは熾烈な競争社会ですから、まず大量の選択肢があって、どれを選択するかが重要なんですね。主にディズニー本人が、そういう中から観客を喜ばせることの出来そうなアイデアを厳選して、アニメーターに具体的な設計を指示する。ケン・アンダーソンという人が最初のレイアウトマンだと言われていますが、それ以前にも設計を担当したアニメーターはいた筈ですね。

●東映動画には初めからレイアウトのシステムがあった

日本でいつ頃からレイアウトが描かれていたのかはよく知りません。おそらく、アニメーションが創られ始めて間もなく、描かれていたのではないでしょうか。レイアウトは、その場面に要求される構図などを決定するための原図ですから、作業を進めるためには必要不可欠だった筈です。精度はともかく、政岡憲三さんや村田安司さんがご活躍になっていた戦前には、既に描かれていたと考えるのが自然でしょう。『くもとちゅうりっぷ』(1943)など、緻密なレイアウトがなければ不可能なカットがたくさんありますからね。

東映動画が出来て間もなく、藪下(泰司)さん達が渡米して、ディズニーなどの作業工程を見学されたことがありました。持ち帰った撮影伝票だとかプレストン・ブレアが書いた教科書だとかを色々と見せて頂きましたが、藪下さんは「それほど新鮮なものはなかった」とおっしゃっていました。むしろ、「これは日本でもやっている」という確認作業の方が多かったようです。

余談ですが、幕末の頃に岩倉具視たちがアメリカに視察に行ったでしょう。その際に、何を見ても「ああ、これ知ってる」と、驚かなかったらしいですね。蒸気機関車も銃も、細かな風習さえもオランダ経由で知識としては持っていたんです。逆にアメリカ人が驚いたらしいですね。それと同じことで、中国で『鉄扇公主』(1941)が出来た頃、日本で『桃太郎の海鷲』(1942)を作っていた頃、大まかな工程はアメリカとほぼ同じようなものになっていたんだと思います。ただし、大衆に支持されるような面白さの追求とか、どう興行的に成功させるかといったノウハウの方は日本には全くなかったでしょう。

「白蛇伝」©東映アニメーション

「白蛇伝」©東映アニメーション

柱飾りの龍が天に昇っていくカット。能にしがみつくパンダ、ミミー、少青。上が大塚康生氏による複写コンテ。下は森康二氏の原画。

16フィート10コマ、約11秒の長いカット。3月15日に着手して、3月28日までかかった「大変な難画」。特にカメラワークは指定がないが、本編では龍は次第にカメラに近づき、うねりながら横移動。その間、カメラは付けパンで追いかけるという複雑な構成。

「白蛇伝」©東映アニメーション

愚連隊の隊がパンダに木槌を振り下ろすカット。上が大塚康生氏による複写コンデ。下は森康二氏によるコンテ画の直後、左に逃れたパンダを追いかけて槌を振り下ろす豚の原画。

豚が全身を使って重い症を振り下ろす度に隊の片足が浮き、頭の笠が宙に浮くという設計、猫の残像や流線など演技の設計が実に細かい。26フィート11コマ、約17.8秒もある長回しカット。

僕が『こねこのらくがき』(1957)で初めて動画を担当したカットには、森康二さんの原画の上に、ラフスケッチ風に指示を書いたレイアウトが1枚乗っていました。「レイアウト」という言葉こそ使われていませんでしたが、既にそういうものを原画担当者が描くのは当然という感じでした。ちなみにそのカットは、壁にらくがきをしているこねこと、走って来るネズミ2匹がいて、その壁の脇からくまのおじさんがニューッと顔を出すというカットでした。森さんの原画はネズミが走っていくまでは4枚ぐらい。僕はその中割りを指示通りに描いて森さんに見てもらって、「ああ君、うまいね」と褒められたことを良く憶えています。

つまり、東映動画には、非常に簡単なレイアウトシステムは、初めからあったんです。元々アメリカから輸入されたものが定着したのか、日本で独自に創り出したのかはよく分からないですね。

●アニメーター主導だった『白蛇伝』の頃

『白蛇伝』(1958)では、当初漫画家の岡部一彦さん達が、レイアウトのようなボードをたくさんお描きになっていました。ただ、どれも構図が決まっていて、俯瞰の絵ばかり。当時は寄った絵で漫画を描く人は少なかったですから。ある種の様式があって、それだけで映画を構成すると退屈極まりないことになってしまいます。

結局、演出の数下さんと、原画の大工原(章)さんと森さんがカット毎に打ち合わせをして、キャラクターのサイズや位置、カメラワークなどを決めて、お二人がラフな原図を描いて、それを集めてコンテのようなものにまとめていました。要するに、今で言うイメージボード、レイアウト、絵コンテなどの役割を兼務したような図ですね。

ただ、そのオリジナルのコンテは藪下さんが持っている一部しかない。コピー機のない時代ですから、オリジナルを貸してもらって、自分で写し描きをしてから担当するカットに取り組むという感じでした。全部のカットにお二人のコンテがあったわけではなくて、第二原画の僕や楠部(大吉郎)さんに任されたカットもありました。

もともと、大工原さんのレイアウトは大胆なラフで、原画も数枚しか描いていないカットもあったりと、細部の設計はかなり任されていました。第二原画や動画の力量如何でカットの完成度に差が出ることもあったようです。森さんの設計は緻密で、原画も20枚、30枚というカットもありましたが、フォルムは線の束で描かれていて、これもどの線を取るかは動画の裁量で決まるんです。

続く『少年猿飛佐助』(1959)では途中から原画の人数が増えましたが、やはり担当原画が各カットのイメージボードやコンテを描いていました。したがって、コンテの絵柄や特徴はかなりバラつきがあって、極論すると短編をつなぎ合わせたようなものでした。それに合わせて、ストーリーもエピソードを連ねた構成で、「串団子式」と呼ばれていました。演出と各原画が話し合って進めていくわけですが、かなりアニメーターの側に創作の余地がありました。つまり、アニメーター主導の制作だったのです。

『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)など、僕と月岡貞夫さんが担当したラストの大蛇退治シーンが、当初の倍の尺数に延びてしまったということもありました。今では考えられないことですね。それほど鷹揚だったのです。

●『太陽の王子 ホルスの大冒険』で歴史が変わった

『太陽の王子(太陽の王子 ホルスの大冒険)』(1968)は、おそらく日本で初めて演出主導で制作された長編だと思います。この作品で、歴史が大きく変わったと言えるでしょう。

この作品でも、各原画がイメージボードを描いて、壁一面に貼り出すという、いつものアイデア合戦はありました。誰よりも突出して大量のアイデアを捻出していたのが、宮さん(宮崎駿)です。タイトルに「場面設計 宮崎駿」と出ますが、この作品で言う「場面設計」は「レイアウトマン」を指すわけではありませんでした。もちろん、宮さんがレイアウトを担当したカットはたくさんありましたが、全てのカットのレイアウトを担当したわけではありません。舞台や小道具の設定、キャラクターや各シーンの大もとのアイデアをたくさん出したというニュアンスを込めて、パクさん(高畑勲)が考案した役名だったと思います。

この作品の大きな特徴は、イメージボードのアイデアをそのまま原画に任せてしまうのではなく、一旦演出が消化して絵コンテにまとめて、その設計通りに完成させるという、制作スタイルの劇的転換にありました。パクさんが作画監督の僕に詳細な指示を出し、二人で全カットの絵コンテを描きました。まず僕が動画用紙にパクさんの指示に沿って色々な試作を描き、決定してから絵コンテの画を描く。コンテの箱書きは当然全てパクさんです。

かつて、これほど緻密なコンテは存在しませんでした。このコンテを元に、各原画がレイアウトを描き起こし、原画や背景が描かれるというスタイルは、現在のスタジオジブリに至る長編制作スタイルの大もとになったと思います。つまり、コンテとレイアウトの役割が鮮明になったということですね。人によっては、それまでのアーメーター任せのスタイルとの違いに戸惑いもあったようです。

ただ、この頃にも今のようなトナー式のコピー機はなかったので、オリジナルのコンテは1冊しかない。時間のかかる青焼きで1枚1枚複写して現場に回していました。あとは、各々が描き写すしかなかったんですね。そんなわけで、『太陽の王子』のコンテの原版は部分的に失われてしまって、全部は残っていません。

S17-C17~19 絵コンテ

S17-C18 レイアウト

レイアウト左から村長、モラスの遺体に泣き崩れるチャレ、路に立って決起する村人を速めるドラーゴ、手前右の後姿のボルド。絵コンテ右に「a.c(つづきのアクションカット)」として描かれたC-18を元にして描かれたレイアウトが下の画像。レイアウトは、絵コンテの指定通りドラーゴが二歩歩み寄った立ち位置で描かれている。ボルドの位置がコンテより正面寄りに変更され(続くアクションでドラーゴを叱責するための布石)、左奥に村長が描き込まれるなど、より緻密な構成になっている。また、「地面だけBG(背景)です」と背景の指定が書き込まれている。本編もほぼこのレイアウト通り。

SG9-C47~48 絵コンテ

S69-C48 レイアウト

村人の追求をかわし、東の村を去るホルスを見送るヒルダ。絵コンテにはヒルダの目線のアクションが描かれているが、レイアウトでは立ちつくす静止画のヒルダになっている。また、絵コンテには背景の村の家屋や他の村人は描かれていない。本編では、もう少しカメラ位置が高くヒルダの頭の上がフレーム外に切れているが、背景や構図はレイアウトがそのまま採用されている。このようにアクションがないカットでは、レイアウトのは背景原図としての役割は特に重要である。

しかし、こうした演出主導のコンテは『太陽の王子』一作限りで、『長靴をはいた猫』(1969)では、再びシーン毎に分かれたアニメーター主導のコンテに戻っています。ただし、『太陽の王子』の影響をみんな受けましたから、全体的に演技の設計が緻密化しています。それほど高畑演出は衝撃的だったのです。

●テレビ時代を迎えての混乱

手塚治虫さんの虫プロ制作による『鉄腕アトム』(1963~66)を皮切りに、テレビシリーズが量産されるようになり、事態は一変しました。

年1本で長編を作るのとは大違いで、とにかく予算と時間がない。おまけに突然新設された各スタジオには、技術も、人もない。ということで、毎週一からアイデアを出し合って検討するというスタイルは初めからあり得なかったでしょう。雑誌漫画ばかりを原作に選ぶのは、スタート時点で創作を省くという大きな利点があったわけです。既に安定した知名度も人気も得ているわけですし。

信じがたいことですが、ごく初期には、原作漫画のコマをたくさんちぎって並べ、話に合わせて切り貼りしたコンテがあったと聞いています。この頃は、コンテもレイアウトもまともな工程として確立していませんでした。

たとえば、『アトム』では、一家団欒の居間や寝室が、宮殿のように広大で、何十メートルもある石柱が描かれていたりしていました。実際は宮殿でも居間くらいはコンパクトですよ。落ち着きませんからね。走っているのに、障害物とキャラクターが全く合っていなかったり、距離感が滅茶苦茶で3歩か4歩ではるか遠い家に着いちゃうようなカットもよく見かけましたね。現場では試行錯誤の連続だったことでしょう。

僕も『ムーミン』(1969~70)で、本格的にテレビの世界に入って行きましたが、その頃にはコンテが不可欠な工程として定着していました。ただし、絵が描ける演出は少なかったので、かなりラフな「コンテばかりで、一見絵文字か記号のような、何を描いているのか分からないようなものもありました。それでも的確に意図が伝われば良いのですが、中には雰囲気だけで「あとはよろしく」といった風の曖昧なものもあり、現場で困惑することも多々ありました。今でも、現場にそういう類の不明瞭なコンテが回ってきてレイアウトや作画で大変苦労したという、アニメーターの愚痴をよく聞きます。

●高畑勲・宮崎駿による絵コンテ主導スタイルの確立

『ムーミン』と『旧ルパン』(『ルパン三世』第1シリーズ)(1971~(72)の初期に関しては、僕が打ち合わせの時に演出の大隅(正秋)さんと話し合って、コンテを膨らませたり変更したりして、キャラクターの位置やサイズを決めたレイアウトを描いて原画に渡すということを、かなりやっていました。『日ルパン』中盤でパクさんと宮さんが演出(「Aプロダクション演出グループ」名義)に入ってからは、宮さんがコンテやレイアウトをかなり描き直してくれました。お陰「でこちらは、作画に専念出来ました。

続く『パンダコパンダ』(1972)では、全カットのコンテをパクさんと宮さんが二人三脚でこなしています。このコンビネーションが、『アルプスの少女ハイジ』(1974)の雛形になったのだと思います。

しばらく間を置いて、『未来少年コナン』(1978)で僕は再び宮さんと組んだわけですが、第1話の絵コンテを見てびっくりしました。『ハイジ』や『母をたずねて三千里』でパクさんによほど鍛えられたと見え、かつてないほど緻密なコンテになっていたのです。それは、コンテというより、レイアウトと第一原画を兼ねたような密度の絵を連ねたものでした。

まず、宮さんは、コンテの前段階として、イメージボードも大量に描いていました。そのボードに蓄積されたアイデアを自分で取捨選択してコンテにしていくんですね。要するに数人分の仕事を一挙に一人でこなしてしまうわけです。才能あふれる宮さんでなければ不可能な仕事だと思いました。

確かに、ここまで質の高いコンテが最初からあれば、周囲はその通りに仕上げるサポートに徹するしかありません。外注や下請けに原画を発注する関係で、これは実に効率的です。実際、コンテをそのまま拡大コピーして、レイアウトの代用として原画に回していたことが多々ありました。この頃、ようやくコピー機が現場に導入されたので、すぐに大活躍となったわけです。コピー機の普及は、レイアウトの定着に一役買ったと言えます。

続く長編の『ルパン三世カリオストロの城』(1979)以降、宮さんはこの絵コンテ主導スタイルを推し進めました。担当原画がコンテよりも緻密なレイアウトを起こし、それをチェックして、さらに作画もチェックするという、より高度な一極集中型の演出スタイルを確立し、現在に至っています。

一方でパクさんは、緻密なリアリズムを更に理詰めで突き詰めて、『火垂るの墓』(1988)のような地点にまで到達しています。あれも、レイアウトから作画まで万能にこなせたコンちゃん(近藤喜文)という、優秀なアニメーターと組んだから出来たことですね。

そのことで、思い出すことがあります。『太陽の王子』で滝壺に棲む巨大な怪魚を描いたら、パクさんが「こんな狭い所に棲める筈がない。何千平方マイルの水量が要る」と言うんですね。それこそ、レイアウトがおかしいと。こちらは、「あり得ないから面白いんでしょう」と押し切って描き続けたら、採用してくれましたけど、当時から本当は理詰めで全て築き上げたかったんだと思いますね。ただ、僕や宮さんのようにパクさんに抵抗して、現場でせめぎ合うと、あり得ないかも知れないけれど、結果として面白いアイデアが採用されることはあったと思います。

●動画の面白さを生かすレイアウトとは

今回、スタジオジブリの作品を中心にレイアウトをまとめて展示するということですが、かつては単なるゴミとして片端から処分されていただけに、ある種の感慨を感じます。中間工程で発生した様々な素材を残しておくということは、ディズニーやジブリのような、しっかりした管理体制が必要ですから、それ自体が大変貴重なことだと思います。

現在の日本のアニメーションは、イラストレーションとしてのうまさを映像で追求する方向が人気を博しているように思います。確かに、線の多い複雑なキャラクターを綺麗に描く技術は格段に向上したと思います。絵コンテやレイアウトにしても、かつての原画以上に緻密なものがたくさん描かれています。しかし、本来のアニメーション(動画)の面白さという意味では、劣化が始まっているように思えてなりません。止まった動作を見つめる為の絵と、動きの流れ自体を見せる為の絵では、設計の目的が違って当然です。

かつて『ワズルス』(1985)というアメリカの作品に関わった時のことです。絵コンテもレイアウトもきちんとあるのですが、その通りに描けばいいというのでなく、原画の演技はいくらでも変更可能で、そこの創造性が一番重要だと、アメリカ側の担当者が言うんです。つまり、動きの設計ですね。

ディズニーのアニメーターの原画は、みんな線の束でザッと描いていて、キャラクターの似る似ないは二の次で、あくまで動きの設計がメインになっています。日本の常識に照らせばみんな乱暴なラフということになってしまいますね。しかし、ディズニーでは、時間と空間を損なわない視点の移動と、その中でどう生き生きと動かすかー、つまり肝心の演技を生かすためにレイアウトがあり、コンテがあるのです。

オーバーアクションを基本としたアメリカの設計がそのまま適用できる筈はありませんが、静的な演技が好きな日本人をどう紙の上で面白く演技させるかという課題には、今も答えは出ていないのではないでしょうか。パクさんと宮さんは、今もそこに果敢に挑戦しているのだと思います。

Profile

1931年、島根県生まれ。アニメーター。1957年に東映動画に入社。『白蛇伝』(1958)『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)などに参加。『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)で作画監督を担当。その後、東映動画を退社し、Aプロダクションやテレコム・アニメーションフィルムなどで、『ムーミン』(1969)『ルパン三世』(1971)、『パンダコパンダ』(1972)『未来少年コナン』(1978)『ルパン三世カリオストロの城』(1979)『じゃりン子チエ』(1981)など数多くの作品に、作画監督やアニメーターとして参加する。また、アニメーター養成講座「アニメ塾」の塾長を務め、テレコム・アニメーションフィルム、スタジオジブリなどで講義をするなど、後進の育成にも努めている。著書として『作画汗まみれ 増補改訂版』『リトル・ニモの野望』(いずれも徳間書店)などがある。