《初対談》大八木弘明と大迫傑<Best Selection>
kimu51
2024年09月23日 15:02

原标题:《初対談》大八木弘明と大迫傑が語り合った“陸上偏差値”「最近の選手はすごくいい子で…」「65歳になって大人になった(笑)」<Best Selection>

箱根駅伝から世界へ――。創設者・金栗四三が掲げた理念であり、100回を迎える現在も続くテーマでもある。箱根路から世界の舞台へ走り出したふたりの先駆者が語る「その先」への道標。2024年1~7月にNumberPREMIERで公開された記事の中で、人気の高かった記事を再公開します。今回は陸上競技から駒大・大八木弘明総監督と大迫傑選手の対談記事です。《初公開:2024年1月3日/肩書などはすべて当時》

――おふたりはきちんとお話しされるのは、これが初めてということで、まずはお互いの印象を教えていただけますでしょうか?

大迫 高校時代、大八木さんが佐久長聖高校まで来てくださって、駒澤大学にお誘いいただいたのは覚えています。

大八木 そうだったか? ただ、当時から大迫くんはスピードとバネがあって、すごく良いものを持っていると思っていましたね。大学時代はスピードを磨いて、いずれはマラソンに行く。そこからが勝負だと思っていたし、大学卒業後も自分の信念を貫き通すメンタルの強さを感じていましたね。

大迫 僕は皆さんが知っている姿と同じかと。メガホンじゃなくて拡声器で活を入れていて、「わぁ、今日もすごいな〜」みたいな(笑)。それにしても最近の駒大は、先日の八王子ロングディスタンスを見ても、シンプルに強いですよね。「速いから強い」のではなくて「強いから記録が出た」と思わせる選手が多い気がします。

大八木 やっぱり強さは必要です。大迫くんもそうだけど、昔の子たちは強さがあった。私たちの年代だと、瀬古(利彦)さんなんか、すごく強かったから(笑)。ただタイムを出しただけじゃダメで、絶対に勝たないと、みたいな強さがないといけない。

大迫 そこが大学陸上競技部の難しさだなと思います。これまでどの大学にも強い選手がひとりはいたと思うんです。ただ、ひとりで練習を積むのはハードなので、他の選手に合わさざるを得ないところがあって。

大八木 そうだね。箱根駅伝をメインに目指す選手と、そこからさらに世界も目指す選手の意識の差は大きい。駒大は今までABCの3クラスで選手を分けていましたが、2年ぐらい前から世界を目指すSを作って。今はAの選手の意識も変わって、Sの練習に参加したいと頑張る子も出てきている。

大迫 意識もさまざまですよね。僕はどうしてもオーバーワークになってしまって、コーチに止められることもあるんです。でも、選手によっては自主性に任せると、設定の中で楽をしようとする選手もいる。GMOに関わるようになって、最初はスタッフを通して選手とコミュニケーションをとっていましたが、最近は細かいフォローが大事だと実感して、選手と月1回話をするようにしているんです。ただ、これが大学のような大所帯だと本当に難しいんだろうなと。

大八木 やっぱり長年指導に携わっているといろいろな選手がいますよ。強い選手というのは、自分で考えて練習をプラスするので、私もあまり多くは言いません。ただ、弱い選手はやっぱりきめ細かく言ってあげないとダメ。私はいつも「陸上偏差値」という言葉を使うのですが、高いレベルの大学に行こうと思ったら勉強を一生懸命やらないといけないのと一緒で、陸上競技も自分で考え、頑張って偏差値をあげない限りは上にいけない。結果が出るかどうかは結局意識が高いか、低いかなんです。意識が高ければ、偏差値も高くなる。だから指導者は、声かけをして意識を変えていくことが大切。意識が変われば行動も変わりますから。

大迫 今のお話はすごく響きました。

感性がない人は、何をやっても成功しない。

――おふたりが考える強い選手の条件というのはなんでしょうか?

大八木 もちろん素材は大切なんですけど、やっぱり意識ですよね。大迫くんみたいに海外に飛び出すのもそうだし、前向きに取り組める選手はやはり強いですよ。

大迫 自分から楽しむことは大切ですよね。やらされていると思ってしまうと、自分から理解することができない。

大八木 やっぱりね、感性なんですよ。感性がない人は、陸上競技に限らず何をやっても成功しない。だから私は「鈍感は罪だ」っていつも言っています。

大迫 ところで最近、年代によって選手の質が変わってきていると感じているのですが、関わり方は昔と違ってきていますか?

大八木 全然違う。大迫くんの時代だったら、私、もっと厳しい(笑)。ただ、7年ぐらい前からはグッと我慢して、今はもう優しいオヤジみたいな雰囲気ですよ。

大迫 なぜ聞いたかと言うと、僕の時代と比べて、最近の選手は良くも悪くもスマートというか。僕の高校時代は、精神論みたいな無駄なこともあったけど、それが一種、自分の力になっていると思う部分もあって。

大八木 今の子たちは合理的でしょ。

大迫 そうですね。僕は強い選手の条件として反骨心が必要だと思っていて。僕は性格が悪いので、監督から言われたことに対して「これ、本当に僕のこと考えているのかな?」って裏読みして、そこから議論になっていた。最近の選手はすごくいい子で、与えられたメニューをそのまま飲み込んじゃう。

大八木 そうだね。以前は怒られても「何くそ!」っていうのがあったけど、今は「これをやれば成功する力がつきますか?」みたいな感覚の子も多い。だからそういう子には選択肢を与える。同じようなメニューを2つ、3つ用意して選ばせるんです。そうすると、「自分で決めたんだからやり通せよ」となりますから。これがひとつだと「自分がやれなかったのは監督のメニューのせいだ」と思う子も出てくるんです。選手によって個性は違うので、一方通行でいい子と、ダメな子は見極めないといけない。

大迫 自分で選ぶことは僕も大事にしています。やっぱり自分で選んだことだと言い訳ができませんから。

人に任せる、休む期間を作る。変わってきた考え方

――大八木さんは総監督になられて世界を目指して、現在精力的に海外にも出られていますが、箱根駅伝から世界へというのはいつ頃から考えていたのでしょうか?

大八木 箱根駅伝を4連覇(2002年〜2005年)した後ぐらいですかね。箱根駅伝の勝ち方が大体分かるようになってきて、そうなると私自身も面白くなくなっちゃった(笑)。そんなときに宇賀地(強)たちが入ってきて「この選手たちを世界に行かせないといかん」という思いがあったんです。それで箱根駅伝も勝とうと思っていたんだけど、トラックに力を入れすぎて勝てない時代が続いてしまった。だから今はSを中心に見て、それ以外は藤田(敦史)に任せて。

大迫 外から見ていて思うのが、昔の大八木さんはひとりで回されていた印象が僕の中であって。でも今は周りと連携してバランス良くやられているイメージがあります。

大八木 65歳になって、大人になったんだよ(笑)。あの頃はまだやんちゃで、ひとりでやらなきゃ気が済まなかった。でも今は藤田や高林(祐介、現コーチ)にも見てもらって、自分は「世界」に集中だって。

大迫 自分が割ける労力って決まっていますよね。僕も現役を続けているので、できるところは誰かに任せていくのが大切だと感じていて。大八木さんはすごく上手にマネジメントされているなと思っていました。

大八木 大迫くんは現役でもあるし、大変だよな。私の場合は藤田たちに任せることで、行っていなかった海外にも出られるようになりました。言葉も分からないし、海外は好きじゃなかったんだけど、実際に世界のトップチームの話を聞くと、自分の考えていることとは違うな、と思うことも出てきた。だから今はそれを少しずつ取り入れていて。例えば、きちんと休む期間を作らないと選手が長持ちしない。

大迫 それは分かります。僕も最初にオレゴンプロジェクトに参加したときは、こんなに休んでいいんだと驚きました。

大八木 日本はトラックをやって、駅伝をやって、マラソンをやって……いつ休むんだというスケジュール。連戦、連戦で疲労も溜まるから、タイムも出ない。最近は3週間なら3週間、スパーンと休ませて、ターゲットの大会にピークを合わせています。

大迫 僕もアメリカに渡ってから、ゴールから逆算して波を作っています。1年間を通して、この大会で狙うので、こっちの大会は何%で行ってくださいみたいなプランをコーチが提示してくれる。こちらもどこを目指すのかインプットできるので、気持ち的にも擦り切れない。長いキャリアを持てる人は、常に気持ちがフレッシュだと思うんです。今までの日本のやり方だと、ハード、ハードで気持ちが擦り切れてしまう。

大八木 私も昔はずっとやらせていましたから「当時は酷だったな〜」と、今になって思いますよ(笑)。もうひとつ指導者が考えないといけないのが、選手のピークです。高校で終わるのか、大学で終わるのか。伸び代も含めて、今どのぐらいの練習を積んで、どこまで伸ばせばいいのか。大迫くんも30代だけど、32歳ぐらいまではある程度やれるんです。だけどキャリアのどこで一番のピークを迎えるのかが重要。藤田がそうです。私も若かったから、トレーニングをさせすぎて、藤田のピークを早く持ってきすぎてしまった。これは反省しています。だから指導者はきちんとデータを持ったうえで考えないといけないんだけど、それができる人がなかなかいない。

令和のトレーニングに重要な「練習のデータ化」。

――大八木さんは過去の指導をデータ化されているんですか?

大八木 当然です。年間1万km走った選手が、どんな練習を積んだ時に、どこにピークを持ってこられるか。スピードが活きたのは何歳ぐらいで、どう成功したのか。そういうデータは絶対必要です。私が大迫くんに聞きたいのは、MGCで吉田祐也くんが行けるんじゃないかと思っていたんだけど、あの結果(50位)は調整に失敗したの?

大迫 それこそデータの話で。彼とは2年ほど前から一緒に練習を始めたんですけど、この2年はパンク気味で消化率が60%とかだったんです。だからまず「なんで走れないかを考えよう」と。今回は「マラソンで2時間10分」の練習を、ようやく消化できるところまで来たところでした。

大八木 元々は7分台で走っていたのに。

大迫 そうなんです。ただ、彼は再現性のない成功だったんです。メニューを見ても、1週間にできるときはロング走を3回、できない時は1回で、疲れが出ると休んでしまったり。こういう作り方だと感覚的に良い時は走れるかもしれないですけど、感覚が自分の体と合わなくなった時に走れなくなる。僕は誰でも最初の2回は、マラソンを速く走れると思っているんです。というのも2回目までは気持ちがフレッシュだから。ところが3回目以降になるとだんだん怪しくなってくる。だからやっぱり長くデータ化して、方法を確立していかないといけないよね、という話は吉田くんにはしていて。彼が今後、どれぐらい伸びるかによって、答えは出てくると思うんですけど。

大八木 やっぱり自分で「これをやったら、最低これぐらいで走れる」という基準はもっていないと長続きしない。藤田のときも中村匠吾のときも、私がメニューを組み立てたけど、彼らのスピードやデータを元に、全くやり方を変えましたから。田澤(廉)も私の言った通りじゃなくて、自分の体でやってみないと分からないって、設定より1、2秒速く走る努力をしていますから。

大迫 楽しみですね。今、日本の高校生や大学生のレベルって、他の国と比べても非常に高い。だから若い選手は、どんどん海外に出るべきだと僕は思っているんですけど。

大八木 私もやるなら本気でやった方がいいといつも言っているよ。実際、(佐藤)圭汰なんか、海外に行きたいって、今必死に英語の勉強やってるよ(笑)。

大迫 それは今後が楽しみですね。駒澤大学さんのご活躍に期待しています。

大八木弘明Hiroaki Oyagi1958年7月30日、福島県生まれ。1995年から駒大の陸上競技部コーチに就任すると低迷するチームを常勝軍団に育て上げた。昨季の箱根駅伝後に総監督に就任。世界と戦える選手の育成を目指す。   大迫傑Suguru Osako 1991年5月23日、東京都生まれ。早大1年時に学生三大駅伝三冠達成。卒業後はプロランナーとして活躍し一昨年の東京五輪ではマラソン6位入賞。近年は後進育成にも力を入れる。170cm、52kg。