

僕ら演技者としては、笑うこともあるし、歯が見えるからキレイにしておかなきゃっていう感覚はあります。あとは、これはスポーツやっている人特有の考えかもしれないけれど、息が上がったときに、口臭も気にならないから、集中力も保てる。そういう面でも助けられてるなと感じます。

気に入っているのはこのブラシの形状。歯にフィットしやすいんです。普通はあてる角度によって磨かれ方が違うじゃないですか。でも丸型だと磨かれ方のスキがなくて、歯の1本1本を包み込んで、歯垢が落ちきる感じがする。それがすごいなと思います。遠征では、付属のトラベルケースを使っています。個人的にすごく助かっているのが、通気性が保たれること。濡れたままケースにしまうと、蒸れてしまうんですよね。だから、通気性は結構ポイントなんです。あとは、バッテリーの持ちが長いんですよね。1週間くらいの海外遠征でもそのまま行っちゃう。ジーニアス10000が海外電圧対応になるのもすごいですね。

歯ってずっと続くものじゃないですか。子どもは歯が生え変わっていくけど、その後はずっと付き合っていかないといけない。健康な歯があることによって、体全体の健康も守られる。そういう点ではずっと健康でいてほしい家族にも使ってもらいたい。だから、この限定デザインのオーラルBをお母さん達に使ってもらいたいですね。

一流スケーターたちが一堂に会し、華やかなエンタテインメントを繰り広げる「ファンタジー・オン・アイス」。今年は幕張・金沢・神戸・新潟・静岡の5会場で開催。皮きりとなった幕張公演(5/25~27)では、日本から織田信成、安藤美姫、鈴木明子、宮原知子らが、海外からはハビエル・フェルナンデス、エフゲニア・メドベージェワ、テッサ・バーチュー&スコット・モイヤーら平昌オリンピックのメダリストたちも登場。さらには羽生選手が「ヒーロー」と尊敬するエフゲニー・プルシェンコ、ジョニー・ウィアー、ステファン・ランビエール、ハビエル・フェルナンデスの4人も集結しました。大トリのグランド・フィナーレを務めた羽生選手はケミストリーとコラボレーション。幼い頃から聞いていたという思い入れのある「Wings of Words」でエモーショナルな演技を披露。観客を感動の渦に巻き込んだ羽生選手に「ファンタジー・オン・アイス」への思いについてインタビューしました。
今回は、出演アーティストのなかでは、オリンピックのプログラムを演じてくれた方が多かったと思います。観客の皆さんが目の前でその演技を見たとき、自分の中にあるオリンピックの記憶や背景をフラッシュバックして感動してほしい。オリンピック後だからこそ感じられるものを味わってほしい。「ファンタジー・オン・アイス」全体としては、そんなふうに思っていました。 僕自身は、コラボレーションさせていただいたので、今の自分が皆さんに伝えたい気持ちを押し付けるわけではなく、感じてもらえるようなプログラムにしたいと思っていました。歌詞があるものだったので、よりストレートに自分が伝えたい気持ちが届きやすかったのではないかと思います。「言葉の翼」というものを感じながら、もっともっと前に進んで行こうという気持ちを込めました。

自分が憧れている非現実的な世界の中に飛び込んでいった感じでした。そして、その一員として頑張れていることを実感できた瞬間でもありました。 出演者のみなさんが「これはあなたのショーだから」と僕のことをすごくリスペクトしてくださったり、「素晴らしいショーを作ってくれてありがとう」とか「ショーに呼んでくれてありがとう」という言葉もかけてくださいました。だからこそ、自分はこのショーの中の一員ではあるけれど、しっかりと「ファンタジー・オン・アイス」をまとめきらなければという使命感をもって滑っていました。 ただ、僕のショーではないことはすごく感じていました。自分がすべてというわけではなく、出演アーティストのみなさんがいて、見てくださる観客のみなさんがいて、僕たちはこうやって集まってこのショーができている。この場所にいるみなさんに、しあわせになってもらいたい。そんなことを考えながら滑っていました。

来てくださった方々にはいろんなものが伝わったと思うので、みなさんの中の気持ちや記憶を大事にしていただきたいなと思います。 このようなショーを観て心が動かされているときは、たとえば、過去の体験や記憶、今感じていることや、未来への思いなど、何かしら自分の心の中にあるものとシンクロして、いろんな感情が芽生えたりすると思うんです。そういった体験は、非日常で、とても素敵な体験だと思います。また日常に戻ったとき、このショーの記憶や感覚が、活力になればいいなってすごく思います。


スポーツでありながら、芸術性も評価の対象となるフィギュアスケートでは、衣装も重要な要素です。華麗な演技もさることながら、毎シーズンごとのプログラムに合わせた衣装も注目される羽生選手。衣装に込める思いを伺いました。
衣装というのは、物語を表現するツールのひとつだと思うんです。もちろん表現の中にはモダンダンスやコンテンポラリーダンスといったものは、衣装に頼らず本当に身体ひとつで何かを表現するというものもあるのですが、フィギュアスケートの世界は、視覚に訴える部分もとても大きいです。そう考えると、衣装というのはすごく大事だと僕は思います。

フリープログラムで演じた『SEIMEI』は、主人公をモチーフにして衣装を作りますが、ショートプログラムで演じたショパンの『バラード1番』のようなプログラムでは、曲そのものに寄り添って衣装を作っているという感覚です。でも、表現したいものがあまりにも具体的に衣装に出すぎてもいけないんですね。全ての情報を衣装に詰め込んでしまうと観る側からするとゴテゴテと過剰な印象になってしまって演技が入ってこなくなるんです。 譜面や音符の出方、呼吸、そういうものひとつひとつと、衣装とのトータルのバランスを考えて衣装を作っています。

アイスショー用の衣装もいろいろこだわっています。競技するときの会場の温度よりもアイスショーは少し温度が高めに設定されているんです。汗をかいて体力の消耗がものすごく大きいので、薄くて涼しい素材を選んでいます。自分が飛んでみないとわからないですし、滑ってみないとわからないところも大きいので、機能性は自分が主に重視しているし、自信がある部分です。 機能性といえば、平昌オリンピックの後にスピードスケートの選手の方々とお話する機会があって、「スピードスケートのピタッとした新素材にしたほうが絶対滑りやすいと思うよ。あれでジャンプしたら絶対もっと回れるよ」って言われて、僕は機能性というところに興味があるので、話が盛り上がりました。たしかに、スピードスケートの方々が着ている新素材で回るともしかしたらもっと回りやすいかもしれませんね。ただ、衣装についてルールが定められていますし、フィギュアは魅せるものなので表現に影響が出てしまい、おそらくスピードスケートのような新素材で滑るのは不可能に近いと思います。あまりにも身体のラインが強調されてしまいますし、模様をつけたとしてもフィギュアスケートではなくなってしまうような気がします。(笑)


羽生選手は、インタビューで自分の言葉で丁寧に語るところが魅力のひとつです。今回のYUZU DAYSでは過去のインタビューから、羽生選手の「言葉」を6つピックアップ。オリンピック2連覇の背景に、このような魅力的な羽生選手の言葉がありました。お楽しみください!
2015 年インタビュー 「羽生選手が語る、成長の軌跡[ 幼年~ジュニア編]」より ――羽生選手はフィギアスケートを始めた子供の頃から、オリンピックで2 回金メダルを穫ると、お母様によく話していたそうです。今回のオリンピック2 連覇は、子供の頃からの夢を有言実行したんですね!

羽生選手:「様々な環境の中、例えばリンクによって氷の質感は違います。その条件の中でジャンプを跳ぶとき、どういうふうに跳ぶ感覚をつけるかというのは本当に経験になってきます。最終的には自分の感覚なので、誰かに教えてもらえるものでもなく、自分が信じられるかどうかです。これから先どれだけ自分が『信じられるもの』の経験を作っていくか。それが自分の課題だと思います。」 2017 年インタビュー「羽生選手が語る進化の理由『 目指す強さについて』

羽生選手:「フィギュアってものすごく多面性のあるスポーツなんです。例えば、ジャンプに伸び悩んだとしても、ステップやスピン、表現力を磨けばいいわけで、探そうと思えば成長できるところはいくらだってあります。自分で限界を決めない限り、どこまでも成長できる。この先、年齢を重ねてジャンプが跳べなくなったとしても、表現力はもっと磨かれているはずだから、違う意味でうまくなっているわけです。そう考えると、僕はまだまだ進化できる。」 2017 年インタビュー「羽生選手が語る、スケートへの想い」より。 ――私たちが、人生の中で、何かに悩んだり行き詰まったりしたとき、前に進み方のヒントを羽生選手は優しく教えてくれた気がしたインタビューでした。
羽生選手:「もともと認知心理や臨床心理といった心理学や、人体の神経系や感覚器官について興味があって、普段からそういう本を読むことが多いですね。最近だと睡眠についても本やネットでいろいろ調べたり、今気になっているセルフケアや体の使い方についての本を読んでみたり。たぶん小さい頃から緊張やリラックスについてずっと考えてきたので、そういう分野がより身近なのだと思います。それに、僕の場合は本で読んだことをスケートで実践する機会もたくさんあります。本や学校で学んだことと、今までの経験を合わせて、自分なりに見えてきたこともありました。今まで自分が感覚として感じていたことや現象としてあったことが、科学的根拠として存在するということを学べたり、裏付けができたりして、それがすごく面白いですね。」 2017 年インタビュー「YUZURU'S プライベート後編『オフタイムの過ごし方』」より。 ―-2016 年世界選手権終了後、羽生選手はケガの治療とリハビリで2 ヶ月間リンクに上がれない期間がありました。「リンクに上がれない時間をどのように過ごしていましたか?」と伺ったときに「おかげさまで勉強がはかどりました」とい言葉とともに、上のように答えていただきました。リンクに上がれなくても、常に進化している羽生選手。この時の言葉の中に、今回の平昌2018冬季オリンピックの「逆境からの劇的勝利」の理由が、垣間見ることができた気がしました。

羽生選手:「カナダ(トロント)の家は、家族全員が一緒でなくても、“トロントの実家”というと変ですが、“自分の家” だという安心感があります。それは母親が、トロントでずっと側にいてくれて、料理の味だったり、洗濯の香りだったり、そういった、僕の周りの『空気感』のようなものを母が作ってくれるからだと思います。」 2017 年インタビュー「羽生選手が語る、母への感謝の気持ち」より。 ――スケートをするためにカナダのトロントへとお母様と生活拠点を移したのは、2012 年のことでした。6 年間、羽生選手と共に歩んだお母様の愛情の深さを感じるとともにに、「海外暮らしでも、まるで仙台にある実家にいるような安心感」があることを“トロントの実家” と表現した羽生選手は言葉の選び方がとても素敵だと思います。

羽生選手:「母親の立場でスケートを観るのって、すごく緊張すると思うんです。出ているほうは、試合でやることがある程度決まっているわけなので、緊張より集中のほうが強くなるんです。でも、応援している側の緊張感というのは、胃が痛くなるくらいだと思います。祈るような気持ちで見守ってくれる。それがわかるから、母も僕と一緒に戦ってくれているんだなと感じます。」 2017 年インタビュー「羽生選手が語る、母への感謝の気持ち」より。 ――羽生選手は別のインタビューでこのようにも語っていただいています。 羽生選手:「フィギュアスケートというスポーツは、氷上でひとりでするものですが、大きな試合になればなるほど、ひとりの選手をサポートするメンバーが大勢います。氷上に辿り着くまでに体を作ってくれる人がいて、教えてくれるコーチがいて、チームの関係者の方たちがいる。そして、生活全般から試合にいたるまでのすべてを支えてくれる母がいて、会場でエールを送ってくれる観客の皆さんがいる。そのすべての人たちが同じ方向に向かって僕と一緒に戦ってくれている。チームで戦っているという感覚があるんです。」 2017 年インタビュー「羽生選手が語る進化の理由『更なる高みに向かって』」より。 ――「支えてくれる全ての人がチーム」という、胸が熱くなる羽生選手の言葉でした。

2018年2月の平昌冬季オリンピックで66年ぶりの2連覇を果たした羽生選手。その影には、右足首損傷で2ヶ月間リハビリと治療のためリンクに上がれないという大きな試練がありました。その後、奇跡的な復活を遂げた美しい演技は、世界中を感動の渦に巻き込みました。これまでの羽生選手の競技者としての人生は、ケガや病気など大きな試練とそれを乗り越えることの連続でした。羽生選手の「逆境」と、羽生選手自身がその逆境をどうやって乗り越えてきたか、力に変えてきたか、インタビューで迫ります。
「逆境」については、僕はそういった局面がとても多いんです。2014年、試合前の練習中にあった怪我も、同じ年の手術も、その後も、本当にケガや病気の連続で…。自分でもジェットコースターのようにアップダウンが大きい人生だなと思います。でも、これは僕の持論なんですけど、どんなに苦しいことがあっても「逆境の後には、絶対に幸せがくる」と思っているんですよね。どんなに苦しいことがあっても、たとえその困難が長かったとしても、次の幸せは絶対に大きいものだと信じています。 平昌冬季オリンピックの前のケガは、これ以上ないだろうっていうくらい辛く苦しかったです。でも、「もう、これだけ辛いんだから、オリンピックで幸せになるべきだよね」と、そう信じて準備を重ねていました。だから、平昌の会場入りしたときは、ある意味とても幸せでした。「苦しかった分、幸せがちゃんと来る」と、そう確信していましたから。よく言われる、「試練は乗り越えらえるものにしか与えられない」という感覚は、自分の中にあります。試練は成長するときに訪れるものだと思うし、自分が強くなれるきっかけになっていると思います。

ちょっと不思議な言い方かもしれませんが「過去の自分」って自分の中にずっと共存しているんです。共存していて、自分に発破をかけているんです。例えば、少年時代の自分、中学生くらいの自分、数年前の自分など、過去の自分が今の自分を奮い立たせてくれるんです。そういった感覚は子供の頃からあって、それがずっと続いている感じです。今までどんな困難があっても、絶対にあきらめなかったのは、これまでの自分がスケートにかけていた気持ちを絶対に無駄にしたくないっていう思いが強くあるからです。その気持ちが前に進む力をくれていると思います。 今、スケートをはじめて19年くらいになるんですけど、「過去の自分」が作り上げてきたことを「全部証明したい。人生を賭けきりたい。」と、強く思っています。

自分の中で決めている「マイルール」のようなものがあります。「幸せを自分のためだけに使わない」ということです。僕の人生は、逆境と幸福の連続でした。自分はこれまでずっと支えられて、一人で生きているわけではないので、幸せがやってきた時には、その幸福をみんなの幸せに使って、みんなで幸せになりたい。そう思っています。


3月に日本で開催されるフィギュアスケート世界選手権に挑む羽生選手にあなたの“エール”を届けよう。(受付は終了いたしました。たくさんのコメントありがとうございました。)
2019年3月、フィギュアスケート世界選手権が日本の埼玉県さいたま市で開催されます。前回の日本での開催は、2014年で今大会は実に5年ぶりとなります。2014年は、羽生選手が世界選手権ではじめて金メダルを穫った年でした。羽生選手は、以前のインタビューで「みなさんの期待や応援が自分の原動力になる」と語っていました。 さあ、私たちYUZU DAYSで大きな「エール」を羽生選手に届けましょう。

以前にみなさまからのメッセージを羽生選手に届けたときの様子です。

人の心を揺さぶるような表現力に、繊細で高い技術力。そしてインタビューなどで見せる、論理的で知的な受け答え。羽生選手の頭の中はどのようになっているんだろうということは、読者のみなさんもとても興味があることなのではないでしょうか?YUZU DAYS編集部は、羽生選手の頭の中に少しでも迫るべく、お話を伺いました。羽生結弦が羽生結弦を語ります。
フィギュアに向いていると思うことですか?うーん、そうですね…。小学生くらいのときに、気づいたことなのですが自分自身を客観的にイメージする力が強いと思います。なんて表現すればいいんだろう…。壁に目があってそこに映る自分を「視覚的に」イメージできるという感覚です。これは特殊で自分が得意なことなんだと、その時に気づきました。例えば先生に「こう直しなさい」と言われたときに、自分の感覚だけでなく「視覚的」に、イメージとして見ることができるんです。 今では「脳内カメラワーク」のように、いろんな角度から自分自身を見ることもできます。自分を客観的にイメージできるということは、僕自身の強みで子供の頃から鍛えてきたことだと思います。

前にインタビューでお話ししたことがありますが、小さなころから「なんで?どうして?」ということをよく言う子供でした。自分がちゃんと腑に落ちないと満足いかないんですね。そういった所は今でもあって、自分自身の性格だと思います。 今は「納得する」までの過程も、とても厚みがあるものだと思います。本や論文を読んで研究して、見聞きした理論や知識を自分の体を使って実験するように体感していく、一つ一つ自分で切り開くような感覚です。実際にやってみて納得したら、プラスαでいろんなことを試してみます。さきほど話した、イメージ力と、それにすりあわせる感覚と理論というのは僕の武器だし、スケートの技術を高めるために大切にしていることです。

ひとりで練習しているときに、ただただ自分が感情の赴くままに、何も考えずに、「ぶわーっ」と滑っているときに幸せを感じます。そういう時に、ふとインスピレーションや、演技のアイディアが沸くこともあります。 表現とは、「表す」ものなので、人に伝えなくてはならないし、自分一人だと完結しないものだと思っています。だから、自分の感情のままに、自分のためだけに滑る姿って、基本的に人には見せないものです。 そういう風にひとりで感情の赴くままに滑るときは、たとえば行き詰っているときとか、自分の感情をうまく言葉にできないときが多いので、ストレス発散みたいになっているかもしれないですね。そういう意味でも、スケートに助けてもらっているなと思います。


今回は、YUZU DAYS特別企画。羽生選手に「31の質問」に答えていただきました。事前に質問内容は見せておらず、その場で次々と質問をし、短時間の中で直感的に答えていただきました。咄嗟に答えていただいたコメントには、ユーモアがあるものや、素の羽生選手が垣間見られるものも。
YUZU DAYSでしか見れない、貴重な羽生選手のコメントをどうぞお楽しみください!
体重計に乗ります。
ベッドでゲームをします。
スケートをしてるときです。
猫。自由気ままなところが。
「頑張ったね。」
なりたくないかも。自分勝手だから(笑)
「悔し泣き」が多いです。
「頑固」「わがまま」「ストイック」
千葉の有名テーマパークのアトラクションで、滝から落ちる瞬間です。 2,3歳の頃だったと思うんですが、その時のことがよく夢にでてきます。

とりあえず、姉についていこうと必死だったのを覚えています。 たぶん喋っていなくて、もくもくと滑っていました。
人間がいいです。
今経験したこと生かせるから、男性のほうがいいかな。
次は、羽生結弦でなくていいかな(笑)
好きな時…、うーん音楽に没頭しているときですかね。
癖は、指をパチンと鳴らすことです。リズムをとりながら、指を鳴らしたりします。 口癖は、そうですね…、「そうですね」というのが、口癖です(笑)
前世?何だろう・・・?きっと人間だったとは思います。
「ゆづぽん」「ぽん」、あと「ゆにゅる」とか…(笑)
「波乱」(編集部注:ジェスチャーをつけながら) あとは「ジェットコースター」とかですかね。

バッティングセンターに行きたい。すごく行きたいです、今! 野球がしたいんですよ。それはすごい思ってます。
「やまんば」です。子供の頃にやっていたゲームに出てきて怖かったのを覚えています。 父親に怒られたとき「お山に連れてくぞ」と言われて泣いた覚えがあります。
パジャマです。Tシャツのような形の・・・でもパジャマです。
断然、猫派です。
母が作った餃子が食べたいです。
「狙った獲物は逃さない!」(笑)
何だろう?「サバイバルナイフ」かな? こういう質問には、実用的なことを考えちゃいます(笑)
寝る前は、ひとりになりたいです。
何だろう。「一心不乱」…ですかね。
音楽をひたすら聴いて歌う。泣きながら歌います。
「しょぼん」としてるやつが好き。(´・ω・`) あと口がほーってなってるやつ。
「根性論」
ベッドです。ぐーたら、ですね(笑)


羽生選手が生まれて24年、スケートを始めてから20年間、お母様はずっと羽生選手を支え続けてきました。スケートを離れたときの、母親と息子の日常の風景や、飾らないお母様への想いを伺いました。
子供の頃、母親や家族から「スケートばかりで、他がおろそかになってはいけない」ということを言われて育ってきた気がします。例えば、人としての常識や人に対する感情や想いを大切にするように言われてきました。常識といっても、それぞれの家庭によって違うと思いますが、僕が家族に教わったことは今の自分自身を形成する一部になっているなと思います。 「反抗期」も特に自分ではなかったと思います。だけどこの間、昔の映像を見返して気づいたのですが、中学3年から高2の頃の僕の母親に対する態度が素っ気ないなと、映像を見て客観的に思いました(笑)。でもそれはきっと、学生時代に誰でも通る流れのようなものに乗っているだけなので、僕の気持ちとしては母親との距離感は昔から変わっていないです。 大人になった今でも、ずっと母には言いたいこと言ってしまっているので、そういう意味では、ずっと反抗期と言えば反抗期かもしれませんね(笑)。今でもずっと変わらない所なのですが、自分が納得しないとモヤモヤしてしまうので、自分が腑に落ちるまで母に話し続けたりしています。ずっと同じテーマについて、長い間話していることもあるので、母は面倒くさいこともあるんじゃないかなと思います。でも、家族だから、率直に言いたいことを言えるし、言葉に出さなくても通じ合える思いもありますし、それは親子ならではのありがたいところだなと思います。

母は、僕の考えを尊重してくれて、進む道をちゃんと未来まで見越した上で守ってくれています。例えば、「僕自身が、スケートを好きで始めた。」という気持ちを絶対に消さないでいてくれます。 僕の最終的な目標がオリンピックの連覇になったときには、そこに向かうまでの過程を一点に絞って支え続けてくれました。平昌2018冬季オリンピック前に大きなケガをしたときも、ずっと母が側にいて、安心できる場所を作ってくれました。 僕は母親の自分を犠牲にしてでも、息子を守りたいという愛情をひしひしと感じながら生きています。

平昌2018冬季オリンピックで最初に金メダルを掛けたのは、母です。いつから始めたかわからないのですが、金メダルを最初に母親にかけるという儀式的なものはずっと続けていて、たぶんソチ2014冬季オリンピックのときもかけていたと思います。 金メダルをかけたときには、「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えると共に、「おめでとう」という気持ちも伝えました。それは、僕が言うのも変かもしれませんが、「母も僕と一緒に戦っている」そういう思いがあるから、母に「おめでとう」という気持ちを伝えました。 母親に対する気持ちをひとことにすると「感謝」です。母が存在して自分のことを想ってくれることをちゃんと感じて、感謝の気持ちを当然ながらに持っていようと自分の中では強く思っています。


昨年も好評いただいた【裏YUZU DAYS】コーナーを今年もお届けします!取材班の図々しく踏み込んだインタビューにも、にこやかにユーモアも交えながら答えてくれる羽生選手。貴重なインタビューとオフショットをどうぞお楽しみください!
5、6歳くらいの頃からかな?「オリンピック2連覇をできる」と思っていました。自信か確信かと言われれば、「確信」という感覚に近いです。…って、すごく大きなことを言ってしまっていますね、僕(笑)。でも根拠はないし、そのときの自分が特別なものを持っていたわけじゃないんですよ。でも、子供ながらに根拠のない「使命感」のようなものに燃えていました。 もし、連覇を達成した今の自分が、少年時代の自分に一言かけるなら、、、「ここから先、辛いよ。大変だよ。。」と、声をかけると思います(笑)。

そんなに自分ではボキャブラリーが豊富だとは思っていなくて、もっと芸術や本などを見たり読んだりして知見を広げたいと思っています。言語能力ということについてあえてあげるなら、毎日その日あったことや考えたことをノートに書いているので、自分が考えたことを言葉にするという習慣は昔からあるかもしれません。 あ、あと、今思ったのですが、自分が姉と二人兄弟の末っ子のせいか、「伝えたい」という気持ちが大きいんですよね。感じたことを伝えたいという子供の頃の欲求がもしかして言語能力のようなものに結びついているのかも・・・というのは少し思いますね。二番目がお喋りという定説です(笑)。

ジャンプしている時間の感覚は、うーん、少し長く感じるかもしれませんね。でも、いつもではなく、集中しきれてないときは、あっさりと一瞬で降りているときもあります。 スローモーションのように感じるときもありますね。ちなみに、平昌2018冬季オリンピックのフリーの演技の最後の「ルッツ」は、スローモーションでした。「あ、これ転ぶ。どうしよう。どうしよう。どうしよう。あ、立った!」くらいの感覚です。すごく長く感じました(笑)。

幸せな瞬間は、家族団らんしているときです。こういう立場になってすごく思うのは、家族との時間がとても大切です。その時間が、どれだけ自分の心を豊かにしていて、スケートや普段の生活の中で活力になっているのをすごく感じています。 オリンピック後は、祝勝会や旅行など特別なことは何もしていなくて、日本にいて、家族でご飯食べるくらいだったのですが、本当に幸せな時間でした。家族で、一緒に食卓を囲んで、一緒にご飯食べて同じテレビ見ながら笑ったり泣いたり、そういう「団らん」の瞬間が幸せなんです。自分が素に戻れるっていうか、自分が帰るべき場所があるのは、すごいありがたいなって思います。

『YUZU DAYS』は、[第35回【裏YUZU DAYS】オフショットと貴重な「ここだけ」の話]を最後に、2019年6月27日をもちまして連載を完結いたします。『YUZU DAYS』は2015年にスタートし、ちょうど4年になります。インタビューでは、“ここでしか見られない羽生結弦”をコンセプトに、羽生選手の素顔や気持ちに迫り、読者の皆様と羽生選手をつないできました。羽生選手からも『素を出せる場所』という言葉をいただき、皆様と共に歩んできたこの4年間に、マイレピとしても万感の思いです。これからも、マイレピは皆様と共に1ファンとして、常に進化する羽生選手を応援してまいります。長きにわたりご愛顧いただきましたことを心よりお礼申し上げます。『YUZU DAYS』は、6月27日まで記事の閲覧やコメントの書き込みが可能です。皆様の好きな記事やエピソードなど、最後までお楽しみください。 2019年マイレピ編集部一同